「どこが都だ……」
陽子はその明郭の門に立って、広途《おおどおり》を見渡した。その閑散《かんさん》と人気《ひとけ》のない広大な通り。
首都、州都ならば門は十一門、郡から県城までなら十二門ある。首都および州都では十二門のうち北中央にある子門《しもん》が欠けているものだった。その代わりに街の北には凌雲山が接し、国府または州府が広がる。
陽子は景麒を伴《ともな》って、西に位置する酉門《ゆうもん》から明郭に入った。酉門からまっすぐ東へ七百|歩《ぷ》、街の中央に位置する府城《やくしょ》に突き当たるその広途は、その幅が百歩近くある。どこの街でもその両側には小店が並び、道幅を大きくせばめているものだった。そこに行き交う車と、人々の群れ。——だが、この街には小店ひとつ見えない。
周囲の閑地《かんち》にも荒民《なんみん》の姿が見えなかった。景麒の使令《しれい》を借りて三日の旅、その途中通ったどの里《まち》、街にも当然のように見えた困窮《こんきゅう》した人々のたむろする姿がなかった。その代わりに活気もない。小店も露店もなく、通りを賑《にぎ》わす人波もない。
陽子とともに門をくぐった人々のうち、幾人かが驚いたように広途を見渡していた。
陽子は左右を見渡し、むっつりと門をくぐり、慣れた足どりで外環途《がいかんと》に向かって歩いていく男に声をかけた。
「あの……すみません」
男は足を止め、どこか茫洋《ぼうぜん》とした視線を陽子に向ける。
「今日は、なにかあったんですか?」
重そうな籠《かご》を背負った男は、興味もなさそうに広途《おおどおり》を見渡し、陽子にとろりとした目を向けた。
「……いや。べつに」
「けれど。もう日が暮れるというのに」
「ここはこれが当たり前だ。宿を探すんなら、北郭か束郭へ行きな。北郭なら亥門《がいもん》の向こう、東郭なら卯門《ぼうもん》を出たところだ」
短く低く言って、男は背中に背負った籠の位置を直すように揺する。さっさと踵《きびす》を返して黙々と歩いていった。
街に第二、第三の街が付随して肥大することはよくあることだ。少なくとも雁ではしばしば見かけた。全部をひっくるめてひとつの名で呼ぶこともあるが、付属した市街に別名をつけることも多い。
「……どう思う」
陽子は低く、傍《かたわ》らに立った景麒に声をかける。さあ、と髪に布を巻いた景麒が首をかたむけた。
「あまりにも閑散《かんさん》としているように思いますが……」
「うん。人気《ひとけ》がないのはもちろん、小店もないとはどういうわけだ?」
左右の外環途《がいかんと》を見渡してみても、一軒の露店さえない。人の姿はまばらなばかり、ぽつぽつと行き交う馬車が立てる車の音が空虚《くうきょ》に谺《こだま》していた。
「——なんかあったのか?」
たったいま門をくぐってきたばかりの旅人にいきなり声をかけられて、陽子は思わず苦笑した。
「さあ。……なんなんでしょうね」
旅人は男ばかりの三人連れ、彼らも困惑したように広途を見渡していた。
「ここは明郭だったよな?」
「の、はずですが」
「こんな寂《さび》れた都は初めて見た……。おふたりさんはこの街の人かい」
いや、と陽子が首を振ると、男たちはさらに困惑したようにしてもういちど広途を見渡した。
「店もなけりゃ、人もいねえ」
「なんか悪いことでもあったのか?」
「凶事があったにしちゃ白旗が見えんぞ」
街に凶事があれば、街のあちこちに白い旗が掲《あ》がり、角々《かどかど》に白一色の幢《はた》がさげられる。それさえないところを見ると、なにか起こってこれほど閑散としているわけではないようだった。
不審そうに広途《おおどおり》を歩いていく男たちを見送っていると、陽子の脇でぽつんと低い声がした。
「……死臭がする……」
「——景麒?」
見上げた白い面は、わずかに不快な色を呈《てい》していた。
「まるで街に怨詛《うらみ》が淀《よど》んでいるようです」
陽子は踵《きびす》を返した。
「——戻ろう」
主上《しゅじょう》、と小さく返す下僕《しもべ》を陽子は振り返る。
「閑地《かんち》に道があった。北と東に街があるんだな? 外からでも行けるだろう。あえて街を抜けてお前に無理をさせたくない」