すでに三騅は鈴でなければ乗せたがらない。いちど虎嘯《こしょう》が乗ってみたが、振り落とされてしまい、危うく街の隔壁《かくへき》さえ跳び越えるその脚で蹴《け》り上げられるところだった。妖獣《ようじゅう》を御するには妖獣を組み伏せる覇気《はき》が必要、誰でも乗せる騎獣《きじゅう》を作るには、数十年単位で人に馴《な》らし、妖獣の矜持《きょうじ》を叩《たた》き折っていかねばならない。そうして、そうやって馴らされた騎獣は、馴らされたぶんだけその能力を著《いちじる》しく萎《な》えさせてしまうのだった。
「鈴がもう少し立派な主《あるじ》になるとなあ……」
虎嘯は恨《うら》めしげに三騅をにらんだ。
「あたし?」
菜園の菜を摘《つ》む手を止めて、鈴は井戸端《いどばた》に座った虎嘯を振り返る。
「本当に主によく馴れた騎獣は、主が言い含《ふく》めれば言うことを聴くらしいぜ。早く鈴もそのくらいの主になって、こいつに言い聞かせてくれ。——虎嘯を乗せろってな」
くすくす鈴は笑う。
「がんばってみるけど。うんと時間がかかりそう」
「まったくな。——なるほど、騎獣《きじゅう》を持つと、馬には乗る気になれねえはずだ」
「虎嘯も騎獣がほしい?」
「俺じゃどうあっても手が出ねえよ。言うだけ無駄だ。……まあ、兵士にでもなりゃあなあ」
「兵隊さんは騎獣をもらえるの?」
「うんと出世すりゃあな。それも運次第だが、俺には縁がねえな」
「どうして?」
「軍で出世するためにゃ、よっぽど腕が立つか、少学《しょうがく》ぐらい出てねえとな。王師の将軍なら大学を出てて当たり前だ。そのうえ、軍功次第だからな。……いまの慶《けい》で軍功を立てるってことは、昇紘《しょうこう》のような連中に使われて農民を殴《なぐ》るってことだ。……気が進まねえ」
「そっか……」
「そういうことに、ふんぎりがつけられりゃあいいんだがな……」
「うん?」
虎嘯は三騅から目を離して苦笑する。
「兵士なら学もいらねえ、出自も関係ねえ。どっかの兵士になって、夕暉《せっき》を和州《わしゅう》がら出してやれればな。せっかく出来がいいんだから、出世させてやりたいじゃねえか。奴が和州を出ようと思うと、奴が二十歳になる前に俺がどっかに動くしかねえ。女房を探しても、夕暉は連れて行けねえしなあ……」
虎嘯と夕暉の兄弟には親がない。里家《りけ》の世話になっていたのを、虎嘯が二十歳になって独立すると同時に、夕暉を手元に引き取った。あいにく虎嘯は拓峰《たくほう》の生まれで、拓峰には土地が余っている。増えるよりも激しい勢いで人が減っていくからだ。土地を放棄して逃げ出す者、もっと運悪く土地を残して死んでいく者。夕暉の戸籍《こせき》も拓峰にあるから、二十歳になれば間違いなく拓峰に振り分けられる。その土地を売って街に店を買おうにも、余所《よそ》の土地は高い。これはその土地の者が優先的に割安で購入できるからだった。
「がんばって少学に行こうにも、和州の人間は和州の少学にしか行けねえ。よほど出来がよくて大学へ行ければともかく、少学を出て官吏《かんり》になるなら、どうしたって和州の中だ。女房を探して俺が土地を移っても、夕暉は連れて行けねえ。そういう決まりだからな。奴をなんとかしてやるためには、俺が他州の兵士になるか夕暉が他州に女房を見つけるか……」
言って虎嘯は手を叩《たた》く。
「そうだ。鈴、お前、どうだ?」
「やめてよ」
鈴は蔬菜《やさい》を入れた籠《かご》で軽く虎嘯をつついた。
「そういう考え方は虎嘯らしくない。夕暉が二十歳になるまでに、和州がまっとうになってればいいんでしょ?」
虎嘯はにんまりと笑う。
「そりゃそうだ」
「——人の心配より、自分の心配をすれば?」
夕暉の声がして、鈴も虎嘯もあわてて正房《おもや》を振り返る。
「たとえ他州に出ていけても、兄さんが心配で置いていけやしない。短気で考えなしだから」
お前な、とねめつけた虎嘯を無視して、夕暉は鈴に笑う。
「そろそろ午《ひる》だよ」