班渠《はんきょ》に命じて三騅を捜《さが》せと言ったところで、これだけの街、一朝一夕には当然見つけられるはずもなかった。
虎嘯《こしょう》、夕暉《せっき》、鈴。——三人の名前。
もっと他に手がかりになるものはないか。とりあえず虎嘯の宿の付近に住む人々に行く先を尋ねてみても、答えてくれる者はいない。そのうちの幾人かは、明らかになにかを知っていて隠すふうだった。
多くの人に会って、虎嘯の行方《ゆくえ》を尋ね、陽子は拓峰の人々の陰鬱《いんうつ》な表情に気づかざるをえなかった。
かつて、この街で子供が死んだ。悠々と去っていく華軒《くるま》、それをただ見送る人々、あの時に見られた図式が、そこかしこで見られる。なんのための人捜しだ、と問うてくる者は多かったが、里家《りけ》の襲撃事件について言ったところで、それは可哀想に、と通り一遍の慰《なぐさ》めしか返ってこない。全く心を動かされたふうもなかったし、少しでも陽子に協力するふうを見せる者は皆無《かいむ》だった。それどころか、あまり係《かか》わるなと忠告してくる者さえいる。
——どうなってるんだ、この街は。
思いながら、宿屋の大門《いりぐち》をくぐった。
「すみません」
声をかけて、虎嘯という男を知らないか、三人に似た連中が泊まっていないか、尋ねる。宿屋同士なら、少しは知っているかもしれない、住処《すみか》を移動したのだから、どこかの宿にいるかもしれないとは思っていたが、根拠があるわけではない。虎嘯らが拓峰にとどまらず、逃げ出している可能性のほうが大きいことには、陽子も気づいている。
「……知らないな」
宿屋の声はそっけなかった。
「そうですか……。どうも」
言って表に出て、少しの間、陽子は店の前に立ち止まる。陽子が主人と話をしている間に、隠形《いんぎょう》した班渠がとりあえず騎獣《きじゅう》がいないかどうか、宿の中を調べている。
いない、とかすかな声が戻ってきて、陽子はひとりうなずいた。次の宿を目指そうとしたところに、背後から声がかけられた。
「あんた、人|捜《さが》しかい」
振り返ると、あまり人相のよくない男が宿の中から出てきたところだった。
「そう。——虎嘯という男を知らないか?」
「虎嘯ねえ……」
言って男は宿の脇の小途《こみち》へと手招きする。陽子は黙ってそれについていった。
「虎嘯って奴、なにかしたのかい?」
「固継《こけい》の里家《りけ》が襲撃された。その犯人となにかの関係があるのじゃないかと捜している。知っていたら教えてくれないか?」
男は壁にもたれた。
「それ、証拠があって言ってんのかい」
「証拠がないから、本人を捜してるんだ」
ふうん、と言って、男は陽子の腰に目をとめた。
「太刀《たち》なんか持ってんのか。……あんた、それ、使えるのかい」
「護身用だ」
そうか、と男は身を起こす。
「どうも、俺は虎嘯なんて奴に記憶がねえ。……だがな、虎嘯ってのが犯人ならとっくにこのあたりにはいねえんじゃねえか? 俺ならさっさと雁《えん》なりに逃げ出すがな」
陽子は男の顔を見上げた。
——この男は、なにかを知っている。
「……そうかな」
「そうだとも。第一、証拠もねえのに追っかけまわすのはどうだかな。ひょっとしたら虎嘯は犯人じゃねえかも」
それに、と男は首筋を掻《か》く。その無骨な手に目をとめて、陽子は目を細める。
「そうやって訊《き》いてまわってる横に本当の犯人がいたりしてな。……それはちょっと危ねえんじゃねえかな」
——指環《ゆびわ》。
気を引かれる。この男の風体《ふうてい》にはあまりにも似合わない。——この困惑に覚えがある。
「悪いことは言わねえからさ、そういうことはお上に任せときな」
虎嘯だ、と陽子は思いだした。虎嘯も同じように指環をしていた。虎嘯をとめた少年にも、そして——思い出した——、湯呑《ゆの》みを出してくれた鈴の指にも。
「時間、取らせて悪かったな」
軽く手を挙《あ》げて踵《きびす》を返そうとした男に陽子は歩み寄る。不審そうに陽子を見返してきた男の胸ぐらに肩を入れ、壁に向かって突き飛ばした。
「……お前……っ」
壁に突き当たった男の襟首《えりくび》を掴《つか》み、背中から肩を入れて壁にたたきつける。肩で背中を押さえたまま、怒声をあげた男の首筋に太刀《たち》の切っ先を構えた。
「——剣を使えるかどうか、教えてやろうか」
「てめえ……」
「……その指環、どこで手に入れた」
身をよじって陽子を押し戻そうとするので、切っ先に力を込める。首筋に当たった切っ先が軽く肌に沈む。
「大|怪我《けが》をする、動かないほうがいい」
こくりと息を呑《の》む動きが切っ先から伝わってきた。男の頭上、染《し》みだらけの壁の一部から赤いものが現れた。ずるりと壁から生《は》えた獣《けもの》の前肢《まえあし》が、男の頭上に爪《つめ》を構える。——壁に頬《ほお》を当て、横目で陽子をうかがう男はそれに気づいていない。
「——虎嘯を知っているな?」
「知らん……」
「それは、嘘《うそ》だ。……わたしの腕が疲れて、手元が震える前に言ったほうがいい」
「——知らん!」
「会って話をしたいだけだ。あくまで隠すと言うなら、虎嘯もお前も犯人だとみなす」
「無茶苦茶だ……」
「わたしは気が立っているんだ。——言え」
わずかの間があった。
「……虎嘯はそういう奴じゃねえ」
「会って話をすれば、納得する」
「ぜったいに違う。……信じてくれ」
「虎嘯のところに案内しろ。だったらお前を信じてもいい」
分かった、と男が呻《うめ》いて、同時にするりと男の頭上にあった前肢が消えた。陽子は切っ先を男から離す。抵抗がないのを見て、男から離れた。
男は壁に手をついて、ひとつ頭を振った。指環のある掌《てのひら》で首筋をぬぐって、ぬぐった手を見て顔をしかめる。
「……ここまでするか。呆《あき》れた娘だ」
「約束は守ってもらう。妙なことをすれば、今度は本当に斬《き》るからな」