もはや、目の前の主楼《おもや》に立てこもった敵は問題ではなかった。
暗がりの中から聞こえる悲鳴、あわてて駆けつけると、倒れ伏した仲間がいる。ほとんどは手足に深手を負って、哀《あわ》れな呻《うめ》きをあげていた。
その傷は刃物のものとも思えなかった。あるものは獣《けもの》の咬《か》み傷に酷似《こくじ》している。傷をつけた者の姿は見えない。なにかがいる——それも少なくない数——と、それだけが分かって、それでいっそう、闇の中で味方の立てる足音までが怖《こわ》い。
ひとりふたりとその場を後退し始めた。飛んでくる矢が絶えた、そう思って我に返ると、それも道理、すでに主楼から矢の届くはずもない距離まで離れている。退却せよとの声はなかったが、その場に踏みとどまり続けることのできる兵はほとんどいなかった。
冷酷無比で鳴らした彼らは、弱者を狩ることには慣れていたが、それゆえにいっそう、敵への恐怖に耐性がなかった。
——郷城に敵襲。
伝令が駆けつけてきたのは、そういったさなかだった。
兵たちの中にはいちように安堵が駆け抜けた。それは旅帥《しきかん》も例外ではない。
「——どうした!?」
「郷城に、武装した民が——その数、数百」
切れ切れの声に旅帥はわずかにひきつった笑みを漏らした。
「こちらが囮《おとり》とは、やってくれる。——すぐに戻る」
怒鳴り返した声が、わずかに弾んでいたりはしなかっただろうか。
「郷城に戻れ!!」
号令と共に、堰《せき》が切れたように、兵は卯門《ぼうもん》へ向けて走り始めた。勢い込んで閑地《かんち》を駆け抜け、卯門へと雪崩《なだ》れこむ兵の数は半数近くに減っている。
閑地に落ちた闇《やみ》の中に、彼らに救済を求める兵卒の声が取り残されていった。