「——鳥」
「いや、——天馬《てんば》!」
ざわめきが走って人垣が崩れる。
「空行師!」
「夕暉《せっき》——!」
虎嘯の怒声がして、鈴が夕暉を見たときには、すでに夕暉は矢をつがえている。黒々とした影に放たれた矢が吸いこまれ、一拍を置いて、標槍《なげやり》が夕暉めがけて斜めに降ってきた。
「夕暉!!」
悲鳴が交錯し、鈴は目を見開く。虎嘯が手を伸ばし、陽子が手を伸ばした。陽子が突き飛ばした身体を、虎嘯が掴《つか》んで引きずりよせる。つい寸刻前まで夕暉のいた歩墻《ほしょう》の上に標槍が突き立って、悲鳴とも安堵《あんど》ともつかない声が流れた。
「箭楼に入れ!!」
虎嘯の声に、弾かれたように人々が箭楼の扉に向かって走る。鈴は三騅《さんすい》の手綱《たづな》を取る。その三騅の首を一条の標槍が貫いて、鈴は悲鳴をあげた。横倒しになった三騅に引きずられ、鈴は手綱を握ったまま振り飛ばされる。痛みに息を呑《の》んだ鈴の腕を掴んで、虎嘯がたぐり寄せた。その足元に次の標槍が立つ。
「やはり州師は格が違う」
虎嘯は短く言って、鈴をすぐ側の箭楼《みはりば》に突き飛ばす。
「入っていろ。夕暉を頼む」
うなずいたものの、鈴は絶望的な気分で頭上に目をやった。明け始めた空を行き交う騎獣《きじゅう》の群れ。その実数は分からない。降ってくる標槍《なげやり》と矢は、文字どおり雨のよう、し損じなく確実に人を貫いていくのは、格の違いというものだろうか。
「虎嘯も、入って」
鈴は虎嘯の腕を掴《つか》む。空を飛ぶ騎獣を打ち落とす術《すべ》がない。すぐ背後の箭楼の上から矢が放たれ始めたが、実際弓矢以外に、頭上の敵に対抗する方法がない。
「まさか空行師が出てくるか——!」
「お願い、入って」
渾身の力で押して、箭楼に向かわせる。厚い扉を入り際、もういちど上空を舞う騎獣の群れを見た。その数、十五騎前後か。だが、騎兵一騎は歩兵八人に相当し、空行騎兵一騎は騎兵二十数騎に匹敵するという。
短く罵声《ばせい》を吐き捨てて、虎嘯は箭楼の中に駆けこむ。空虚な空間に懸門《けんもん》を巻き上げる滑車だけがある。その広間を駆け抜け、虎嘯は上へと登っていく。正門の三層、最上階へと駆け上がった。
「——鈴!」
虎嘯に続いて鈴が最上階へと駆け上がるやいなや、目の前に弩《いしゆみ》が飛んでくる。あわてて受けとめると、夕暉が箭《や》を投げてきた。
「箭を張って」
鈴はうなずいた。弩の先の鐙《あぶみ》に足をかけ、全身を使って弦を牙《とつき》にかける。箭を箭槽《みぞ》に落としこんで夕暉に渡す。空いた弩を拾って、同じように箭をつがえては、女墻《じょしょう》の側に集まって空行騎を射る者たちに渡していく。その脇で、門前に向かった大型の弩——床子弩《しょうしど》を動かす男たちがいる。虎嘯のかけ声に従って、戦棚《ぼうへき》を運ぶ者たちがいる。
石で作られた大広間、門の内外に向けては壁がなく、柱の間に女墻が巡《めぐ》らせてあるだけ、横に長く開いている。施されてあった見事な装飾は射撃の邪魔にならないよう斧《おの》で叩《たた》き落としてあった。軒と女墻に挟まれた四角いだけの開口部に戦棚が立て回されていく。その隙間から眼下に大きく暗く拓峰《たくほう》の街が見渡せた。街がほのかに見える程度には夜が明けたのだ。——まだ絶望的な状況ではない。少なくとも、弩弓《どきゅう》で狙《ねら》えるようになった。それが当たるかどうかはともかくも、空行師は射かけられる箭に大きく箭楼を離れ、突進してきては退《さが》ることを繰り返している。
「くそ、速い」
虎嘯の吼《ほ》える声が聞こえる。当たらないのだ。ぴったりと戦棚が立て回されて、すでに外は見えなかった。
「だめだ、矢が尽きた!」
悲痛な声が床子弩《しょうしど》を取り巻いた男だちからした。床子弩で射る矢は、通常の矢とは違う。槍《やり》に匹敵する長さと重さ、当たれば建物も破壊する。——だが、その矢が尽きた。
「弩《いしゆみ》がまだある、弩と弓を使え! 標槍《なげやり》はないのか!」
「——虎嘯!」
背後で悲鳴じみた声があがった。振り返ると、後方の女墻《じょしょう》に立て回した戦棚《ぼうへき》が吹き飛ぶところだった。木《こ》っ端《ぱ》を散らして空《あ》いた穴の外に、赤銅《しゃくどう》色の馬が一騎ある。
「乗りこませるな!」
攻撃が表に集中していたので背後への注意をおこたった。この場を制圧されたら終わりだ。射撃が絶えれば、空行師が舞い降りてくる。
真っ先に夕暉が背後に向かって弓を構え、陽子が抜刀して駆け出した。騎獣《きじゅう》の背には二人の人影、そのうちの一人が槍を携《たずさ》えて飛び降り、女墻を越えて転がりこんでくる。鈴はその騎獣に目をとめ、それが吉量《きつりょう》であるのに気づき、同時に騎乗した人影を認めて前に飛び出していた。
「——夕暉、陽子、待って!」
吉量を操るのは若い娘。
「——祥瓊《しょうけい》!!」
鈴の声に気づいたように、離れようとしていた吉量が馬首を巡《めぐ》らせた。鬣《たてがみ》が東からの暁光《ぎょうこう》を受けて赤く流れた。鈴は女墻に向かって駆け寄る。
「おい、鈴——」
虎嘯の声に、鈴は振り返る。
「敵じゃないわ! 労《ろう》のところで会ったひとよ!!」
戦棚の破れ目に駆け寄り、鈴は外をのぞく。間近に白い縞《しま》の美しい馬が駆け寄ってきた。騎手は軽く身を乗り出す。
「鈴! 無事だった!?」
「祥瓊、どうして——」
吉量の上で少女は手をあげる。まっすぐに右手を示した。
「——え?」
鈴は身を乗り出す。示した方向に東、青龍門《せいりゅうもん》が見え、その向こうには広途《おおどおり》がまっすぐに延びている。青龍門の前に布陣した州師、広途から駆けてくる、人の群れ。
「——あれ……」
祥瓊が手を振って下降していく。建物の陰を縫うようにして、北へと飛んでいった。見送る鈴の脇に立つ人影があって振り仰ぐと、吉量から飛び降りてきた男だった。
「あんたが、鈴か?」
「ええ。——あなたは……」
男はやんわりと笑む。
「俺は|桓※[#「鬼+隹」、unicode9B4B]《かんたい》という。祥瓊の仲間だと言えば分かるか?」
鈴は東を見る。
「じゃあ、あれは——」
鈴の脇から身を乗り出して、虎嘯が東を見た。見て、桓※[#「鬼+隹」、unicode9B4B]を振り返る。
「あんたの仲間か——?」
「州師よりも先に着いたぞ、褒《ほ》めてくれ」
桓※[#「鬼+隹」、unicode9B4B]は笑う。
「総勢で、五千いる」