「やるなあ」
声をかけて、桓※[#「鬼+隹」、unicode9B4B]は吉量《きつりょう》の背から虎嘯の間近に飛び降りる。吉量は自ら騎首を巡《めぐ》らせて、郷城へと戻っていく。
「俺たちの力じゃねえ。なんかが味方についてるみてえだ。馬が勝手にすっころんでいく」
へえ、とつぶやいて、桓※[#「鬼+隹」、unicode9B4B]は槍《やり》を構える。柄《え》までが鋼《はがね》の鉄槍、桓※[#「鬼+隹」、unicode9B4B]自身の冬器《ぶき》だった。
「おまけにどうしたことか、こんだけの明かりがあって、さっきから一矢もねえ」
「運が味方についてるんなら、結構だ。——一気に酉門《ゆうもん》まで制圧するぞ」
おう、と声を残して、虎嘯が駆けていく。後を追って桓※[#「鬼+隹」、unicode9B4B]も走り、馬から落ちて狼狽する兵たちに突っこんでいく。
起きあがった兵士と斬《き》り結び、陽子は繰り出された槍の穂先を叩《たた》き折る。武器を失って逃げ出す兵士はそのままあえて追わずにおいた。
陽子は顔を上げる。間近に酉門が見えている。床子弩《しょうしど》らしきものも見えるのに、さっきから飛んでくる矢はない。
軽く笑ったところに、足元から声がある。
「門外の兵は敗走し始めました」
「ありがとう。——怪我《けが》は」
使令《しれい》といえども不死身ではない。冬器をもってすれば傷つけることは、もちろんできる。気に聡《さと》い武将なら、隠形《いんぎょう》していても忍び寄る気配に気づく。
「多少は。……大したことはございませんが」
「すまないな。もうひと働きしてくれるか」
「酉門《ゆうもん》に集まってくる州師で?」
うん、と陽子は間近の敵に剣を構える。
「かしこまりまして」
声が絶え、同時に敵が直刀を抜いて駆け寄ってきた。斬撃《ざんげき》を剣で受ければ小さく剣花《ひばな》が飛ぶ。すりあげて流し、敵が体勢を崩したところを背《みね》で殴打する。退《さが》った相手はそれで逃げず、さらに斬《き》りかかってきた。斬撃を受け流し、今度は武器を握った手を狙《ねら》う。直刀を取り落とした相手は、声をあげて逃げていく。
「人殺しは嫌《いや》と見えるな」
声をかけてきたのは|桓※[#「鬼+隹」、unicode9B4B]《かんたい》だった。陽子は正直にうなずく。
「殺さずにすめば、それにこしたことはない」
「殺して兵力をそがねば、意味がないのじゃないか?」
「士気が落ちればそれでいい、と思ってる」
「妙な奴だな。——それだけ剣に慣れていて、そんな甘いことを言うのか」
桓※[#「鬼+隹」、unicode9B4B]の声は笑うふうだった。
「——さっき、誰かと話していなかったか」
「いや。……どうも、独り言を言うくせがあるらしい」
ほう、と声を残して、桓※[#「鬼+隹」、unicode9B4B]は陽子の側を離れる。剣を構えて駆けてくる兵士三人を鉄|槍《やり》で薙《な》ぎ払《はら》う。重い武器がうなる。膝《ひざ》上を殴打されて三人が一撃で折り重なるようにして倒れた。
陽子はなかば呆《あき》れる。百|斤《きん》に及ぶ大刀《だいとう》を振り回す虎嘯の腕力と体力には感嘆したが、総身が鋼《はがね》の鉄槍《てつそう》を苦もなく使う桓※[#「鬼+隹」、unicode9B4B]には、感嘆を越えて呆れてしまう。虎嘯でさえ、軽く振ってみて呆れ果てていた。その重量、三百斤近く。ややがっしりしているという程度の体格でしかないこの男の体重が、そもそも三百斤に満たないだろう。自分の体重に匹敵する鉄槍を携行して、それを振り回す腕力と体力は常識を超えている。とりあえずいまも、特に重さに辟易《へきえき》している様子がなかった。
「化け物だな、あいつは」
呆れたような声は虎嘯のもの、虎嘯も肩で息をしている。手には曲刀を持っていた。
「——大刀は」
「折れた」
そうか、とうなずいて、陽子は広途《おおどおり》を駆ける。郷城を出たのは三千、これを広途の途中に置いてその場を守らせ火を消させ、前へと進んできた。酉門《ゆうもん》は目の前、陽子たちの数は激減している。それでもなんとか酉門を占拠し、郷城正門から市街への道を確保しなくてはならない。
一瞬、振り返った市街はわずかに火勢が衰《おとろ》えている。