恋愛は、生身の人間がやるわけですから、永遠によそ行き顔で通す、ということはできません。結婚してしまえば、よそ行き顔は成立しなくなりますからね。
若いOLと中年のオジサンの恋愛にしても、最初のうちは「すごく楽しい」とか「セックスがうまい」とか思ったりしてうまくいっていても、やはり徐々にのめり込んでいく可能性は高いわけです。
すると当然、相手に束縛を求めるようになってきますね。意識の変化が起きてくる。もう、よそ行き顔の恋愛が、できなくなってきちゃうんです。
いずれにせよ、いつかはよそ行き顔ができなくなるときはくるでしょう。結婚すれば、そうなるわけですしね。でも、「早いところ結婚したい」と思ってるわけでもなく、「いまは楽しい恋愛のほうがいい」と思っているのなら、なるべく、よそ行き顔を続けるほうがいいわけです。
このむずかしい状態をうまく避けるために、ボクが提案したいのは「ブティック恋愛(並行恋愛)」なんです。
男でも女でも、深みにはまってくると、どうしても相手に束縛を求めたくなってきますよね。そうならないように、ほかにもその気持ちを分散できるようにしておけばいいわけです。並行して同時に四人とか五人とか、恋愛の対象が分散していれば、ひとりひとりに対する束縛を求める気持ちの量は減る、という寸法ですね。周りから見ると、それぞれの恋愛には、まったく束縛がないように感じられる。それが、よそ行き顔の恋愛を可能にするんですね。
いま、デパートのなかもショップになっているでしょ。セーターはここ、靴はここ、下着はここって、買いに行く人はデパートのなかでも、お店を決めてるわけでしょう。化粧品だって、ファンデーションはクリニーク、マニキュアはレブロン、口紅はディオールとかって、決めてるわけで、みんなブティックになってるわけですよ。
恋愛にしても、対象を選ぶ場合、それぞれにはいくつかの条件というものがあるわけですね。背は高いほうがいい。お金はたくさんあるほうがいい。将来性はあるほうがいい。顔はいいほうがいい。頭はいいほうがいい。いい会社のほうがいい。車は持ってるほうがいい……。
しかし、これだけの条件を、全部満たしてる男というのは、これはそういない。いるわけない。だけど、たったひとりとしかつき合っていないと、ないものねだりみたいに、あらゆる条件の要素を、彼ひとりに求めてしまうんですね。これは、お互いに求め合い、その結果、よそ行き顔ができなくなってしまうわけです。
条件のひとつひとつを、ブティックに見立てて、この人背が高いから、この人車持ってるから、この人いい会社に勤めているからと、かりに三人とつき合ってるとしましょうか。この三人で、本来ひとりの人間に求めてたはずの条件が、三人持ち寄りで八五パーセントから九〇パーセントくらい満たされるかもしれない。条件の質は落ちたとしても、とりあえず、条件の量は九〇くらいいくかもしれないわけです。
そうすれば、束縛はそれぞれに分散できるし、逆に条件は合併できる。それぞれ違うタイプの自分をよそ行き顔にして、恋愛を楽しむことができるから、満足もできます。
ブティック恋愛は、決して悪いことだとは思いません。恋愛というのは、結局、最後に一番いい人を見つければいい、と思うわけですよ。そのために、いろんな人を見ていく、というのはすごくいいことだと思うな。
三人の男性と同時並行してつき合うということは、そのなかからひとりを選ぶ、ということとは違うと思うわけ。将来、お互いに一生愛し合い続けられるような人にめぐりあうため、また、そういう人にずーっと気に入ってもらえるような、いい自分というものを作り上げるための「トレーニング」として、そういう認識で、ブティック恋愛をおススメしたい。そうすれば、ブティック恋愛は、決して後ろめたい考えではない、と思うわけです。
かつての特権階級は、それこそブティック恋愛をやっていたわけです。奥さんとは別に銀座で、ひとりいい女を見つけると、通い詰めて、看板まで粘って、そのあと焼き肉屋に連れてって、とにかく口説き続ける。ま、いまでも盛んにやっておられるようだけど、そういう形でないブティック恋愛が、あっていいと思うわけですよ。
昔は超エリート階級でなければ、手も出せなかった着ものや食べものが、もう大衆のものになってるんだから、恋愛パターンだって、大衆化するべきでしょう。
ブティック恋愛——恋愛を楽しむための、恋愛のハイテクノロジー。これを学んでから、楽しい恋愛を捜しにお出かけしちゃいましょう。