ところで、恋愛関係のなかで、嫉妬《しつと》ほど、非生産的なことはないですね。そんなことしているヒマがあったら、他のどんなバカげたことでもしていたほうがお利口さんです。
ジェラシーなんていう、まったくムダなところにエネルギーを使っているんだったら、どうして新しい女のコなり、男のコなりを見つけるほうにエネルギーを使わないのか、ということなんですよ。
いかに自分をよく見せるか、きれいに見せるか、よりアトラクティブな人間にできるか、ということに、エネルギーを燃焼させるべきなんです。ジェラシーなんていうのは、もうすでに終わってしまったことに対する思いでしょう?
過去完了形のことを、いまだに追っかけていってることなわけです。そういう、純文学小説が描くような世界をやっていては、ダメです。
ジェラシーのメカニズムは、結局、
「自分を悲劇中の人物に仕立て上げる」
という、単なるナルシシズムにすぎませんから、そのようなことに精を出していると、やがてギリシャ文学を作り出していたころのギリシャのように滅びます。
また、ジェラシーの背景には、必ず、その対象を偶像視していた、という自分本位の「思い込み」ないしは「自己同一化」のパターンがあります。ですから、それ以前の恋愛が、すでにして「よそ行き顔」では行われていなかった、という証拠ですね。
そういうことではいけません。
それは結局、
「私はこの人に、ここまでサービスしていたのに」
という意識のうえに成り立っているわけですから、ボクのいう「サービス」とは、向きが逆になっているわけですよね。サービスの見返りを、直接、相手から得ようとする、さもしいサービスです。これは、非生産的な恋愛といわざるをえません。
もし、自分がジェラシーを相手に感じていることに気がついたら、いいチャンスですから、即刻、その相手のことを忘れて、違う相手を捜し始めるべきだと思います。
よく新聞を賑《にぎ》わす「痴情の果ての刃傷《にんじよう》」なんていうの、ありますね。たいていはとてもマジメな人たちが当事者なんです。結局、ああいうことになるわけですから、嫉妬というものが、いかにバカバカしいか、わかってもらいたいものです。
恋愛に失敗した場合、ジェラシーへエネルギーをまわしてしまわずに、まず、
「どこがまずかったか」
に集中してほしいんです。
そして、自分の備えている「チャート」を復習することです。嫉妬に目がくらんだ状態では、冷静にチェックすることもできなくなってしまいますね。復習は、その場で確実にやってほしいものです。
そして、チャートのチェックが終わったら、失敗の原因を割り出し、それを新たな「チャート」として、自分のひきだしのなかへ収納し、次の恋愛を求めるスタートを切らなければいけません。
チェックし終わったあとまで、ウジウジと考え込んでいると、それがまた、ジェラシーにつながってしまうからです。