残る二つのグループ、エレガンス派とボリューム派については、まとめて書いてみようと思います。エレガンス派の女のコというのは、ボクの書く小説のなかに出てくる女のコと、非常に近い存在ですから、多くを語る必要はないでしょう。これに対して、ボリューム派の女のコたちは、別にいてもいなくてもいいので、あまり多くを語る気がしません。
エレガンス派のコが、大学を卒業して就職しても、毎朝早く起きて通勤するのはつらいので、しばらくしたら退職しちゃいます。それで「アーバン」とか「フラッシュ」といった人材派遣会社に登録して、「コンパニオン」をやったりするのがパターンとなります。
とはいっても、月のうち半分以上は仕事をしていませんから、とてもエレガントです。もともとお金持ちの家のコですので、何につけ「アクセクする」といった感じが欠落しています。
よく晴海《はるみ》で行われる「〇〇見本市」とか「〇〇ビジネス・ショー」とかのコンパニオンをやっていると、出品している企業の広報担当者や、その企業を担当している電通、博報堂などの広告代理店の営業マンたちと知り合うことができます。
だいたい、メーカーの担当マンはフェース的にダサいです。代理店の男の人も、大したことないですが、「電通」というブランドで、エレガンス派にモテたりもします。
でも、エレガンス派にとって、真のブランドとして通用するのは、なかなかに厳しいチェックをかいくぐってこられるごく少数の男のコだけです。ですから、もともと家のいい電通マンはいいんですが、単なる早大や明大の「広告研究会」あがりのサラリーマンだと、いくら電通の社員だとしても、すぐに捨てられます。
こういう遊びで男のコとつき合うことで、数多いエレガンス派の女のコは、いざ、結婚となると結構、「お見合い」で決まったりします。彼女たちの場合、結婚の対象を選ぶ基準は、容姿なんて別に関係ありません。男の職業、家柄、収入、これから先の見通し、といったもので判断します。そうすると、「お見合い」で、客観的に、それぞれの条件をチェックしたほうがいい、ということになります。
結婚してからも、経済的にラクラクの生活ができるように、というのが、結婚の目標ですから、夫は多少フェースが悪くてもいいのです。
エレガンス派を多く輩出する大学としては、学習院、白百合、聖心、立教といったところですが、これらの大学の中学、高校を経てきた純粋培養エスカレーター組のなかにしか、エレガンス派は見いだせません。
外部受験の女のコたちは、下からあがってきた女のコと違って、どうしても「受験勉強」をしてきた、というクサさがあります。この極致をいくのが、付属高校を持たない大学の女のコたち。エスカレーターのない上智大学の女のコなんていうと、イメージとは裏腹にそーとーにダサいわけです。
もっとも、突如として、発作性遊び人を作り出すこともあります。上智大学はミッション系ですから、わりと小さいころから厳しくしつけられてきた女のコが、一生懸命に受験勉強を繰り広げたうえで、狭き門をクリアしてきてるわけです。入学したトタンに、これまでの何重にもなっていたタガが、一気にハズレて、道もハズレてしまうケースがあるんです。たまりにたまっていたものがあったんでしょうね。ですから上智の女のコには、ごくたまにですけど、ド淫乱《いんらん》なコがいたりもします。
ま、話はハズレましたけど、エレガンス派の女のコの神髄は「モラトリアム」にあります。中学、高校、大学ときて、学校を卒業したらモラトリアム期間が、同時に終了して、実社会とかシビアな人間関係とか、あるいは自分で生計をたてていくとかいった「シリアスな場面」に直面するのが通常のケースなんですが、彼女たちは、そういうシーンが、あまり好きくないので、会社にいっても辞めてしまいますし、結婚したって、いままでと同じような生活を続けてしまいます。
そういうわけで、エレガンス派の女のコたちは、一生モラトリアムしています。
どこまでもモラトリアムするには、経済的基盤が、まず何よりも必要になりますから、つき合う男のコも、それに見合ったレベルにいなければ、すぐに相手にされなくなるし、ましてや結婚の相手ともなると、経済力のない男性は「書類選考」の段階で、ゴミ箱へ直行しちゃいます。
つまり、エレガンス派は、お金持ちとでないと恋愛や結婚が成立しない人たちなんですね。そういう意味でいうと、社会的には「マイナー・グループ」であるといえるでしょう。
しかし、恋愛行動における彼女たちの考え方は、実に自由で、しなやかです。エレガンス派である、ということで恋愛経験がたくさん蓄積されるのか、逆に、恋愛のやり方がとても上手だから、男のコといっぱいつき合うチャンスが多くなるのか、これは「ニワトリとタマゴ」でしょうが、エレガンス派の恋愛術は、ボクの力説する「よそ行き顔してつき合う恋愛」や「並行・ブティック恋愛」のエッセンスを含んでいるので、とても楽しそうです。
問題は、だれもが恋愛をいい気分で楽しみたい、と考えていることですから、
「ビンボー少女だからエレガンス派にはなれない」
と悲観してはいけません。エレガンス派にはなりにくいかもしれませんが、彼女たちの自由な恋愛術を見て、それを参考にして、各自それぞれのレベルの恋愛を、フルに楽しもう、ということが大事です。エレガンス派は「恋愛標本」ということもできます。