小吉は睨み下ろして
「茂左衛門、はじめて正体を現したな。村方をあおり立てる張本人はお前だと、おれは初対面からそう思った。狡い奴の顔はすぐわかる。ふん、みんな逃げたに、こうして一人が残ったは、おれに何にか云い分があっての事だろう、聞いてやる、申せ」
といってからまた一声張った。
「だが、気をつけて口をきけ。御旗本は伊達に刀はさしていないぞ」
茂左衛門は、口を利けない。慄えがだん/\烈しくなって、襟首を見ると、蝋のように真っ蒼だ。
小吉の肩がちょっと上った。鼻で笑っている。
「今日のところは許してやる。二度と百姓共を煽ったりしたら、今度こそ首はない。しっかりと性根を据えて動け」
そのまゝ小吉は踵をかえした。東間が何んだか気ぬけの顔つきで首を突き出すようにしてついて戻った。途《みち》で
「先生、あれはもう参りましたろうか」
「さあ。どんなものか。大川丈助がように唯の狐ではなさそうだが、いかなものでも御紋服には恐れ入る」
「まるで気を失ったようでしたな」
「おれもいさゝか気味悪くなった。脅すを止したが、あれの襟ッ首が、おれが大嫌いな鯖の肌に見えて、ぞッとした——おゝ東間、あれは鳶だろう」
空高く鳶が輪を描いて流れている。青い空に銀色に二本の筋のような雲の間をくゞって飛び交うように二羽いる。
こんな事があって二日ばかり経った。代官が
「茂左衛門がお寺の本堂で倒れて、戸板で自分の家へ送られそれっきりずっと寝込んでいるそうです」
と告げた。
「百姓が余り近々と御紋服を拝したからだろう」
小吉はおかしかった。
次の日また代官が
「茂左衛門は思った程悪くはなく、見舞の者が頻りに出入をしている」
と云う。
「先ずそんなところだろう」
と小吉は平気で
「ところで日和《ひより》もよし、今日は大阪へ出て来る。後を頼みます」
と、間もなく、五助一人を供につれて発足した。
一と晩泊って帰って来た。
「大阪はどちらへお泊りでした」
と代官がきいた。小吉は顎を撫でながら
「何あにね、西町奉行の堀伊賀守利堅は子供の時分からわたしの剣術の相弟子でね。江戸では極く懇意にしたものだから、こんな近く迄来て知らぬ顔をしてるもどうかと思ってちょいと逢いに行ったのさ」
「お、お、御町奉行様があなたの——」
「いやもう大層よろこんでね。どうしても泊って行け、話もあるというので、とう/\引留められて終った」
「は、は、然様でございますか」
代官山田新右衛門の顔色がちらっと変った。
「逗留中はちょい/\来て、剣術の手直《てなお》しをしてくれというが、実はこっちはそれどころではないといって、岡野の話をしてね」
「は、はあ、はあ」
「それに伊賀守は岡野の隠居江雪とは先代の小四郎様が碁敵で滅法懇意だ。この岡野の事で、金を借上げに来ているが、僅かな物がなか/\出来ず、困っている、といったら、伊賀守はそんな事はあるまいといっていたっけ」
「はあ」
「わたしもいよ/\困ったら伊賀守にでも泣込むつもりだ」
この話が、何処をどう廻ったものか、忽ちの中に村中にまるで野火のように凄い勢で広まった。
その日東間が妙な顔をして
「先生が堀伊賀守様と御懇意なら、その方からの鶴の一と声ですぐお話が纏まりましょう」
という。
「伊賀守は相弟子、おまけに用人の下山弥右衛門というのは、本所《ところ》のもんで、おれがいろ/\と世話をした云わば身内のようなものだが、おれは偉い奴に物を頼むが嫌いでねえ」
「ほう」
「町奉行の力を借りれば、この村から五百両千両、泣いたって吠えたって借上げるは世話はねえが、おれはおれの力で飽く迄借上げてけえる気よ」
「それも面白い」
と横にいた堀田甚三郎が手を打って、わたしのこれ迄の生涯にこんな面白い事はない。すっかり勝先生に惚れましたといった。
「へん、汚ねえ奴に惚れられたものだ」
三人でどっと笑って終った。
三日目である。
百姓が一人、代官のところへ飛んで来て、振返り振返り指さし乍ら頻りに何か報告をしている。
それが、丁度小吉の居座敷から見える。くすっと笑った。
冬枯れの村道を十人余りの供廻りで、吊台《つりだい》の荷を担ぎ、立派な侍が先立ちでこっちへやって来る。その村道《むらみち》に沿ったあちこちの家から、百姓女子供迄があわてて飛出して、わかりもせずに唯お辞儀をしてこれを見ている。
一行は真っ直ぐ代官陣屋の黒い門を入って来た。
「大阪西町奉行堀伊賀守より、当屋敷御逗留の勝小吉先生まで御使者でござる」
と玄関で切口上で呼んだ。
取次が出て代官が出て、小吉の居座敷へ伝えに来た。
「伊賀守が田舎で口に合う品もないだろうから送るとそういっていたから、有難く頂戴して置けばいゝのだ。何あに、おれが出る迄もない。東間、お前、出て頂戴して呉れ」
「承知いたしました」
代官は、それでは御奉行様に御無礼でありましょうというような顔をして、眼をぱち/\している。
東間が出て行って、使者の侍に応対した。対手はひどく鄭重に粗末な品乍ら勝先生にお召上り下さるようというような口上を述べて、吊台をそのまゝ置いて引返して行った。
大阪を離れる事僅かに二里半だが、数え切れない程の箱肴だの盤台|盛《も》りだの、村はじまって以来、見た事もない立派な料理が山のようであった。
代官は元より、門の外から百姓達が、怖る/\そうーっとこれを覗いている。
百姓達は首を縮めた。
「あの勝様というお方は御奉行様と御懇意だ。み、み、みんな、茂左衛門旦那の指図で、竹槍などを担ぎ出して、飛んだ事をして終ったなあ」
「お目に留った者はまご/\していると、その中に首を斬られるようなことになるかも知れない」
「だから、わしらは、大丈夫か/\といったんだ。困った事になった。茂左衛門旦那はわずらってるし、おれらまあどうすればいゝんだ」
そっちに一とかたまり、こっちに一とかたまり、こんなひそ/\話をしているのを、東間や堀田が外へ出る度にちら/\耳にするようになった。
小吉は、代官に居座敷へ来て貰って
「伊賀守は二千五百石、しかも御奉行だ。大仰に出来ている。しかしこんなにむごく肴を貰っても、われ/\だけではいくら冬でも腐らせるだけの事よ。山田さん、この肴はね、みんなあなたに任せるから、あの茂左衛門というのが患っているというし、少々そっちにも見舞にやり、あなたの御親類や村役の者、余ったらそれ相応のところへわけてやっていたゞき度いね」
「誠に見事な御肴には驚き入りました。お言葉で村方の者がどのように喜びましょう。有難い事です」
村中の者がこの肴を、御奉行様の御肴だといって、神棚へ供えてから、頂いて食べたという話を、五助と縫箔屋があっちこっちで聞いて来て報告した。顔を見合せて
「もうこっちのものだ」
と東間が堀田へ囁いた。
「これではいかなしぶとい百姓でも金を拵えなくてはなるまいな」
「先生はもうちゃんと見通しはついていられるんだが、面白がってからかっていられるようなところも大きにあるねえ」
「そうでもなかろうが」
と東間は一寸考えて
「いろ/\手はあるといったね。あゝいう言葉をおれははじめて先生からきいた。考えて見るとお前さんの云う通り先生は狡猾な奴らを対手に遊んでいるのかな」
「百姓らも満更の馬鹿ではない。下手をやって一揆にしては、御旗本の知行所だけに自分らの首が危ない。精々竹槍を担ぎ廻る位のところだから、わたしらもまことに面白い」
「江戸で狐ばくちの用心棒をやり、先生のようなお方に睨まれるよりはなあ」
「はっ/\は。そ奴は云わぬ事、云わぬ事」
堀田が手をふった。
その堀田甚三郎唯一人が供を仰せつけられたのは、それから三日後ちであった。小吉が出しぬけに能勢《のせ》の妙見大菩薩への参詣を云い出したのである。
江戸でよく世話を焼いた大横川の妙見の御本体で豊能《とよの》の郡東郷村の南、妙見山上に鎮座している。御願塚からは池田村へ出て登りだが五里ちょっとの道程《みちのり》だ。
代官は
「勝さんは妙見を御信仰ですか」
という。
「そうだ。就ては山田さん。神仏というはどういうものか見せて上げたい事がある。今度いろいろわたしに敵対をした悪徒共だけ一人撰りにして行きたい。茂左衛門は病気なれば詮方もないが——。あなたも迷惑だろうが一緒をして下さい」
代官は少し迷惑そうな顔をした。
「わたしはね、今日は岡野孫一郎の家来では行かない。もう知ってる事だろう。御旗本勝小吉で行くのだ」
「は」
「御紋服だよ。無礼をされては、そっちはどうでも、わたしは腹を切らなくてはならないからね。そのつもりで」
「はあ」
代官はいよ/\顔をしかめた。しかし供をしないという訳には行かない。その上小吉がまた妙な事を云い出した。
空は青々と晴れている。それに一同雨具の用意をせよという。
代官は笑い出して
「勝さん、此節は日和がよろしいので五、六日は先ず雨は降らんでしょう。雨具は不要です」
といった。
「いや必らず大雨がある。わたしが祈ると必らず雨が降る。みんなへ雨具は是非持たせなさい」
「真逆そのような——」
「もしも降らなかったら、わたしはその日の中に早々に江戸へ引揚げるよ」
代官ばかりではない。堀田も狐につまゝれたような気持で、間もなく代官陣屋を出発した。村方の百姓が七人。それに荷物持が一人、雨具を引担いだ供が一人ついた。
小吉は途中でまたちょっと足が引吊って、ふら/\と前倒《のめ》りそうになった。堀田が心配して寄るのへ
「やっぱり脚気がよくなさそうだが、何あに妙見へ祈るとすぐに癒る。それ迄は少し億劫《おつくう》だから駕にしよう」
小吉は池田村から駕にした。
「おい、堀田、おれが刀の池田鬼神丸国重は、先祖から代々この地で鍛えている。ちょいと寄って見たいが、からだがこんな醜態《ざま》だから寄れないは口惜しいよ」
「そうですね、何れにもせよ御無理をなさらぬがよろしいでしょう」
池田で少憩、これから妙見山の登りが次第に急になる。麓の茶屋で駕を出て、頂上まで廿五丁ある。いゝ塩梅に暖かで、御紋服の袷一枚で、肌の襦袢がびっしょりと汗になった。
登るに従っていゝ眺めだ。大阪、尼ヶ崎、摂津の浦々が絵のようだ。堀田が心配顔にそっと寄って来て
「先生、雨の模様はありませんね」
と低い声でさゝやく。
「黙って見ていよ。おれが祈りがどれ程のものか今に肝をつぶすだろう」
「そうですかあ」
首をふった。代官をはじめみんな、内心では、このお天気に雨など降って堪るものか——笑っているのだが、何しろ小吉は御紋服を着ている。妙な様子でもしたら手討にされても文句は云えない。遠巻きにしてやがて妙見の本堂へ着いた。天明七年に能勢頼直というのが本願したという僅か十一坪余の建物だが、何処となくどっしりとしている。
小吉はいきなり水行堂へ入ると
「おい、堀田、謹しんで御紋服を捧持せよ」
といったと思うと、あっという間に素っ裸になって、寸刻の猶予もなく忽ちざあ/\と水垢離をとり出した。江戸でいつも馴れている。
村方の者はあっけに取られて固唾を呑んだ。