暫く深い息をしていたが、涙がぽたり/\と頬をつたって落ち出した。茂左衛門もその外の百姓達も死人のように息が詰っている。
「か、か、勝様」
代官が子供のようにしゃくり上げて
「わたくしが悪いのです。かえり見れば御代官を勤め乍ら何事も行届かず、この仕儀になりましたはわたくし重々の不重宝《ぶちようほう》です。このお詫にはわたくしの首を斬って江戸へお送り下さい」
やっといった。小吉は
「何にをいう」
怒鳴りつけて
「此度の事は村方の者が私慾のみにして地頭を軽んずるから生じた事だ。毛頭《もうとう》あなたの為めではない。な、山田さん、わたしが伜の麟太郎というは親がいってはまことに妙だが実によく出来、剣術遣いの間でも先ず鳶が鷹を生んだと滅法な評判だ。末は必ず立派になるとみんなに折紙をつけられた。麟太郎さえあればわたしがように出来損いの人間はどうなってもいゝことなのだ。それに如何な大川丈助もわたしが死んだと聞いたらば、よもやこの上の非道はせず一件も手軽に済ませてくれるだろう。わたしが死ぬ」
「そ、そ、それはなりませぬ。あなたを殺してはこの代官も生きては居られませぬ」
茂左衛門が小吉へ向って手を合せた。
「ど、どうぞお許し下さいませ。さ、宇市も源右衛門もお詫をしなされ」
茂左衛門のすぐ側にいるこの二人の百姓は、茂左衛門の指図で、実際にはこの二人が百姓を躍らせている事は、かねて小吉は睨んでいる。
「おい、お前ら泣いているが、ほんとに詫びる気か」
「は、はい、決して嘘いつわりは申しません。どうぞ御生害だけはお留まり下さいまし」
「よし、人間誰も死にたくはない。お前ら、ほんとに頼むのなら止めてもいゝが、その代りにはお前らが連署で、身命に替えても仰せつけの金子は調達するという証書を差出せ。どうだ、出来るか、出来まいッ」
「いゝえ、出来ます。早速差出します。一寸御免を」
と煽動者三人が座敷の隅へ寄って首を集めすぐに証書を書いて、小吉の前へ差出した。
「就きましては金子《きんす》は何時迄に差上げましたら宜しゅうございましょう」
と茂左衛門は、消え入るような声でいった。
「明日|四つ刻《ごぜんじゆうじ》迄だ」
「四つ刻まで? へ、へえ、畏まりました」
「御旗本の自殺を見るが嫌やなら確と間違うな」
「はい」
堀田が茂左衛門へ顔をくっつけるようにしゃしゃり出て
「こら、こうなると若しお前らが間違ったら、わたしら迄が切腹をしなくては納まらない事になるぞ。そうだろう、侍《さむらい》たるものが勝様の自殺をあっけらかんと側で見ているという事は出来ない。わたしも東間さんも切腹する。詰まりは五助も長太も下郎ながら追腹をするだろう。いゝか、地頭の使者の主従が枕を並べて五人も死ぬ。それでこの御願塚村が何事もなく済むと思うか」
「わ、わ、わかりましてございます」
茂左衛門がもう物を云う気力も無くなっているのか、代るようにして宇市が答えた。妙に鼻の尖った茂左衛門よりも年上の男であった。
「出精《しつせい》しろよ」
と堀田は念を入れてから
「勝様、お聞きの通りでございます。どうぞ御脇差をお鞘へお納め下さい」
とその前に両手をついて頭を下げた。
「そうか、間違いはないな——はっ/\は、わたしは村方の衆に、一命を助けていたゞいた。恩に着るよ」
改めて大きな眼でじいーっと茂左衛門を見詰めた。一、二度息をしたと思ったら、すっと立って、いきなり、床の間へ寄って
「やッ」
凄い気合で生けてある白い椿を、まるで計ったように真ん中から、真っ二つに斬って、脇差を閃めくように鞘へ納めて終った。
花は花弁が一つも散らず、半分はそのまゝ花器の枝に残り、半分が床へぽったりと落ちていた。
次の朝。|四つ《じゆうじ》前に茂左衛門があれから帰ってすっかり寝ついて終ったというので宇市と源右衛門の二人が、三宝へ金を五百五十両載せて、縮むようになって小吉の前へ差出した。源右衛門は、まだ四十前の肥った男だ。これが
「仰せつけの六百両の中残り五十両は、みな様江戸へお戻りの前に、必らず江戸の飛脚問屋|島屋《しまや》までお届け申して置きますでございます」
と口をきいた。
「よし」
「就ては勝様までお願いの儀がございます」
「何んだ」
「はい。御承知の通り、毎年、岡野様おくらし方として三百三十両差上げて居りまするが、来年は此度のお借上もあり、百姓共も難渋仕りますので何卒致して当村方の分は二百両にしていたゞき度いので御座います」
言葉が終るか終らぬに
「馬鹿奴」
と先ず叱りつけておいて
「暮し方は一文の減じもならぬ」
と少し膝をすゝめて、この上、重ねて何にか云ったら、唯事では済まぬというような顔つきで睨みつけて顎を天井へ突出してそっぽを向いた。
こんどは代って宇市がふところから、訴状を出して前へおいた。
「村方一同の者の訴状でございます」
「訴状? 何んの訴状だ」
「御家来の長太様が村方小前の者などを無理にも勧誘し、いかさまの賭博を開帳致しまして、一同合算金子十三両詐取いたされました。よりまして、この金を一同へ返させていたゞくか、当人身柄を村方へお引渡しいたゞきたいので御座います」
「ほう、十三両も欺し取ったか、長太はさて/\良からぬ奴だ」
「はい」
「もう大体、大阪へ上った用件は済んだが、もう少々仕残しがある。これを片づける迄はあ奴はやはりこちらでは入用でな。御用済次第、暇《ひま》を出し、あれの身柄を村方へ引渡し遣す。金をとるなと、或はまた斬るなと殺すなと、当方は一切かゝわらぬからその時勝手にするがいゝ」
「有難うございます」
丁度この時、当の縫箔屋の長太が襖一枚の隣りで東間陳助の着物のほころびを縫っていた。びっくりして、さあーっと顔色が変った。東間が脇に腹ん這いになっていた。
「おい、先生はお前を村方へ引渡すとよ。お前、可哀そうに石子責《いしこぜめ》にでもなるか。悪い事はするものではないな。これがいゝ手本だ。おれもこれからは身を慎しまなくてはならぬ」
といって、肩で笑った。
長太は慄えた。
「と、東間先生、あ、あれは本当でしょうか」
「先生は嘘はつかないから本当だろうよ」
「あたしを百姓へ引渡す?」
「そうだろうね。先生は、お前が百姓共から巻上げたあの金で伊丹へ女を買いに行った事も御承知だから」
「え?」
長太はとう/\泣き出して終った。その声が小吉の方へも聞こえた。やがて宇市、源右衛門が帰ると、こっちへ来て
「長太とも子供の時よりのおなじみだが、お別れだなあ」
といった。
「せ、先生」
長太は小吉の脚へむしゃあぶりついた。
「せ、先生、それは余りお情けねえじゃあございませんか」
「そうかねえ、おれは然様《そう》は思わねえがね。いま、東間と云っていたが聞こえたよ、悪い事をすれば必ず報いがあるとか。この村方も半刻《いちじかん》後ちには、善悪の報いがはっきりする。身分に応じて上下、羽織袴で出頭しろと云いつけたら、あ奴ら、ぎょっとしていたっけ。金は来た。もうこっちは強い一方よ」
「そうですか、何にをなさいますか」
長太の事などは問題にせず、東間がそれをきいたが小吉は答えなかった。
半刻後ちに、代官は上下、総代以下羽織袴で座敷へ揃った。不安がみんなの顔に溢れている。
小吉は突っ立ったまゝで
「地頭岡野孫一郎代理で申渡す」
「ははあーっ」
みんな平らになった。
「茂左衛門、宇市、源右衛門、村役|長百姓《ちようびやくしよう》を召上げる。今日以後|水呑《みずのみ》と心得よ」
「えーっ?」
「新村役其他委細は別紙に認め置いた。此度金策の者は残らず名字を許すぞ」
小吉はそういって、さっき堀田が認めた奉書を代官へ手渡して
「骨折過分につきその方へは居屋敷荒地一箇年九斗余、並びに岡野家紋服、上下一具を遣わす」
そういうと、もう、みんなへうしろを向けて、自分の居間へ戻りそうにした。
が、またふと思いついたように
「山田さん、紋服は|くろもち《ヽヽヽヽ》の儘だが、後で伊丹の白子屋で仕上げさせて差上げる。それからね、明日、此度上阪の一同五人で京都へ見物に行くから人足を云いつけ、夫々へ先触れをしておいて下さい」
それっきりで引込んで終った。
長太は畳へ伏せて泣いている。小吉はうしろからその尻を、ぽーんと蹴飛ばして
「馬鹿奴、泣く位なら|いかさま《ヽヽヽヽ》賽なんぞを使いやがるな。うぬのようなを江戸っ子の面よごしという」
といった。
歎願の百姓達へは京都の見物をしてまた御願塚へ戻り、こゝで長太を引渡す、その先きは煮て喰おうと焼いて喰おうとお前らの勝手だという。そう云われればそれで仕方がない。
この晩、宇市と源右衛門が、水呑百姓の風態で、また訴状を持って、代官の介添で小吉のところへやって来た。この年の暮に百五十両渡すという孫一郎の証書だから、勝様がお出でになった序手《ついで》故お返し下さいというのである。
「今、金を借上げて帰るというに、そんな金を返済出来る筈がないではないか。お前ら、水呑に落されたのを根に持って、また喧嘩を売って来たのか。売るならいつでも買ってやるが——」
「飛んでもございません」
と源右衛門が、苦い面で
「われ/\水呑などとは異なりそちら様も天下の御旗本でいられます。唯、証書面の通り御実行いたゞき度いだけでございます」
「そうか。よし、その証書を見せよ」
「はい」
代官は源右衛門から証書を受け取って小吉へ渡した。小吉は広げて、ためつすかしつし乍ら
「山田さん、わたしは元々鳥目の気味だが、こっちへ来てとんだご苦労をしたためか、近頃はいっそひどくなったようだ。どうもよく字が見えないよ」
「はあ、しかし証書は間違いはありません」
「そうかねえ。どれ/\」
小吉は、だん/\そこに出ている燭台の方へ近づいて行った。裸の蝋燭の焔へすかしている中に、その証書が、急にめら/\と燃え上った。
「あッ!」
みんな顔色を変えて立上る。小吉は、その火がめら/\と燃えるに任せ乍ら
「静かにしろ。こら宇市、源右衛門、お前らは今日まで悉くおれに敵対して来た不届な奴らだ、本来なら斬っ払うべきだが、助けて置いてあるのだぞ。どうやら、証書は煙になったようだ。煙はおれが確かに腹へ吸込んだ。文句があるか」
「はッ。恐れ入りました」
小吉は、それっきりでさっと居座敷へ入って終った。東間がにや/\していた。
「一と言で百五十両|ふんで《ヽヽヽ》終った。おれも昔はこんな奴ではなかったが、丈助以来、むごく悪智慧が働くようになったものだよ」
「はっ/\、先生も思い切った事をなさる」
「こういう事は剣術よりは余っ程気合の入れ方がむずかしい。東間、覚えて置け——が江戸へけえっても、この一件だけは、おれがところのお信や麟太郎へ告げちゃあならねえぞ」
「さあ、如何でしょう、わたしは口が軽いから」
「こ奴め」