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父子鷹51

时间: 2020-09-27    进入日语论坛
核心提示:亀沢町 その夜平蔵の屋敷で、小吉の帰った祝があって、お信と共に勝のお祖母《ばゞ》様もこっちへやって来ていた。人の顔を見る
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 亀沢町
 
 その夜平蔵の屋敷で、小吉の帰った祝があって、お信と共に勝のお祖母《ばゞ》様もこっちへやって来ていた。人の顔を見ると、小吉は勝の家を潰しに来た男だと悪口をするが、今夜は平蔵の手前か、大層愛想がよかった。
「小吉、信濃では面白い事があったろう」
 と平蔵は酒盃を手に笑顔であった。
「喧嘩の手を覚えました」
「何、喧嘩?」
「二度捕物をやったのです。一度は仲間を指図し、一度は自分でやりました。刀をぬいている対手を捕える心得を会得しました」
「ふーむ。それから」
「それだけです」
「学問は」
「釣ばかりしていて一度も兄上の講釈はききません」
「陣屋の仕事は」
「何にもやりません。が代官所は役人達が、一人残らずこそ/\こそ/\百姓達を泣かせて金儲けをやっているということを知りました」
 平蔵はにやッとした。
「手代共が、陣屋勤めは金がもうかるといっていたのを聞きました。兄上もあんな厳しそうなお顔はしていても儲ける事は大層巧みだといっていました」
「これ」
 傍らから出しぬけにお祖母様が小吉を叱りつけた。
「いや」
 平蔵は、いっそうな笑顔で
「これは小吉のいう事が本当ですよ。この先き何百何十年、世の中がどんな風に変っても、小役人が役得を稼ぐ事は変らんでしょう。やっぱり小吉はいゝ勉強をして来ましたわ」
「と申しても兄上様を」
「いや構わん。あれは役人としていゝところも沢山あるが、それと同じ位に悪いところもある人間。その上、当人は自分だけでは世の中の事は何んでも心得ているような気でいるが、実は何んにも知らない。あれは唯の本箱ですよ」
「はあ?」
「万巻の書がぎっしり入っているだけで、それに血を通わせて使う事を知らない。勝手で偏見でしかも頑固でな」
 お祖母様はこれにどんな返答をしていゝのかわからないと見えて、それきり口をつぐんで終った。
「あれはあれ、小吉は小吉。小吉は小吉らしく家を盛り立てる事だ。いつ迄今迄のような|やんちゃ《ヽヽヽヽ》ばかりもして居まい。な、お祖母様、春早々には祝言をさせてはどうであろう」
 丁度、お信がその時はそこにいなかった。
「はい。結構でございます」
「家内が出来たとなると自然何にかと違って来よう」
「違って貰わなくては困りまする」
「御支配の頭を勤めるものも、男谷家とは多少縁辺だから、今度は御番入も何にかと好都合、この機に乗じて小吉に一つ働いて貰おう」
 と平蔵は、今度はそれ迄と違ったようにちらりと鋭い目を向けて
「小吉、わしはもうこの年だ。いつ迄生きてもおらん。お前の持って生れて来たものを、しかと見定めて死にたいぞ」
「はあ」
「お前きいたろうが兄は番場の家から見込をつけた新太郎をとう/\養子に貰い受ける事になった。総領を養子に奪った彦四郎の粘りは並々ではないが、あの新太郎に見込をつけたところはやっぱり彦四郎も唯の奴ではない」
「は」
「わしは新太郎の筆蹟を見て実はびっくりした。あれは大物になる。しかしながらお前にはな、何にも大物になれなどというのではないぞ。お前はお前なりに唯|しか《ヽヽ》と性根の坐った人間になればいゝのだ。新太郎はこの間の団野先生の月稽古で三十人、一人残らず突きで倒したそうだ」
「そうです、新太郎は若年ですがまことによく出来ます」
 番場の家というのは小吉の伯父男谷忠之丞で、本所番場町に大きな屋敷があった。忠之丞は親類の者一統が「聖人」と綽名した好人物で新太郎、忠次郎、二人の子の中の兄を従弟子《おい》の後つぎに呉れたのだ。新太郎はのち誠一郎、更らに精一郎。
「しかし、そんな事はまあどうでもいゝ。唯、来年は亀沢町へ移るから、お前この油堀のお前の生れた家で祝言をして、本当の世の中への出発をするのだ」
 男谷の家はそれ以来俄かに忙しくなった。亀沢町の替屋敷へ移るといっても、これは新築同様に手入をしなくてはならないし、一方、小吉の祝言にも日が無いので、毎日々々、絶える間のない程に人の出入がある。
 小吉にしてもうれしくない事はないが、何によりも一番気に入ったのは、亀沢町へ移ると団野先生の道場が同じ町内ですぐ目と鼻の近いところ。暇さえあれば道場で竹刀を持っていられる事だ。
 一日、団野先生へ信濃での捕物の話をした。
「あちらには組伏せて睾丸を引く術があります」
「牢小者などのやる下賤の技」
 と先生はぷつりといっただけだった。
 帰りに、新たに引移る空屋敷へ寄って見た。むかしその為めにこゝの町の名になったという大きな亀の形をした深い池の名残がまだあって、贈賄が利いていると見えて屋敷は広く五百坪余りもある。
 松の内がすぎると直ぐ祝言があった。ずいぶん即急だが、平蔵には早く小吉を落ちつかせたいという腹と、もう一つは勝のお祖母様も、何分にも年だから、万一の事がない中に、とそんな気持もあって、先ず祝言は滞りなくすんだ。
「さあ、ぼつ/\御番入の御機嫌伺いに日勤せよ」
 祝言の七日目に彦四郎は眼を吊上げるような顔付でそういった。頭の大久保上野介はいゝ塩梅に本所のお竹蔵裏に住んでいたし御支配大溝主水正は日本橋の堀留に屋敷があった。
「双方へ伺うのだぞ。こら小吉、よっくきけ。先頃小普請のまゝ死んだ山脇留次郎という男はな、学問もよく出来、鎖鎌、棒術も達人であった。それが番入の志願をして、先きの御支配小日向山城守様に三年の間、一日も欠かさず日勤御機嫌を伺った。が三年目にお言葉があって逢対《あいたい》に出たらその日に山城守様が俄かに御役替になって西丸へ出仕、他人のことどころの騒ぎではなくなった。山脇三年の日勤は徒労に終った。しかし、あの男は諦めない。次の御支配小田備前守様へ日勤してこれも三年、丁度その日に備前様が御納戸方へ御役替になって逢対もない。六年無駄骨を折った。が、それに懲りず、また三年の間、次の御支配山口近江守様へ日勤した。こゝに三年。併せて九年の歳月を費したが近々に御番入を仰せつけられると近江守様から内々に御沙汰があって歓喜して帰宅したが、その歓喜の余り、その夜卒中で四十二歳で死亡した。これだけでは実に悲しい話だ。が、近江守様がお憐れみを持たれて、一子釜太郎は実は十四歳を二十歳也として甲州市川大門村代官所の手付にお取立になった。いゝか、家内を持った上はお前もやがて子が出来る。自分のためだけの日勤だと思うては事が違うぞ。自分で出来なくとも、子の代に——いいか。手順はわしがちゃんとつけて置いた。明日からやれ」
「は」
「いつも申す通り父上はお前には他人に対する時とはまるで人間が違ったように甘すぎる。それに今の世の中の荒波というものにはお気を留められようともなさらぬ人だ」
「そんなことはありません兄上」
「いや、わしのいうことに間違いはない。父上のおっしゃることに従ってはならん」
 次の日はひどい土砂降りだった。夏と違って冬の雨は身にしみる。小吉はお信に送られて玄関を出た。まだ夜が明けて間がなかった。
 振返って冷めたい敷板に三つ指をついてじッと送っているお信の姿を見ると、何にかしら痛々しく感じられて眼がしらが急に熱くなって来た。お信も同じような思いであったかも知れない。
 が、雨の中に、何処までも/\つゞいたお竹蔵の塀を見ると
「御番入か」
 そんな自嘲らしいものが、ふと唇をもれた。大久保の屋敷の者達には、早くも父や兄からうまく賄賂が廻っていると見え、小吉は七、八人もいる御機嫌伺いの先きを越して上の方へ坐らせられた。
 しかし見下ろしもせず、すうーっとこっちの頭をかするようにして大久保が前を通って行く事は、先きの石川と同じこと。
 それが玄関を出て少し行ったのを見定めると、みんな先きを争って外へ出た。依然としてひどい雨だった。門の外からこの人達は八方へ散った。
 小吉が堀留の大溝家の廊下へ坐った時は雨の上に雷鳴まで加わっていた。大溝は駕へのり、黒たゝきの槍を立て、出て行ったが、小吉はどんな人物か顔も見られなかった。たゞ頭の上で咳払いをした時に、案外若い人のような気持がした。
 こんな事が毎日々々、判で捺したように続いて行く。二月に入ってひどく寒い。男谷の方の庭に紅や白の梅がぼつ/\咲き出したが、お祖母様が、ゆうべは小吉の戻りが少し遅かったといってひどい不機嫌で、夜っぴてぶつ/\いいつゞけた。自分の居間へ下って
「おれも武士だ。団野先生のところへ参上するのは、御番入の日勤以上に大切なのだよ」
 低い声でそういうのを、お信は畳へ手をついて
「すみませぬ。あのお祖母様故、旦那様にもいつも/\お辛い思いをおさせ申します。それもこれも、あたくしの至らぬこと。どうぞお許し下されませ」
「何のお前が悪いものか。お祖母様はどういうものかおれが大のお嫌いなのだ。な、お信、毎朝おれのお膳につくお醤油な。あれはおれの分だけには水が割ってあるのだ」
「えーっ?」
「お前の知らぬ間にお祖母様がお入れなさるのだ。が、おれは辛抱している。いつかはあのお気持がおゆるやかになられる事もあるだろうと」
「そ、そ、それは、あたくしは夢にも存じませぬことでござりました。まあ、お祖母様は、そのような事まで」
「いゝんだ、いゝんだ。おれ達はこれから本当の人間になるのだ。貧乏でも、御番入が出来なくても、どんなに辛くともお信、おれ達が本当の人間というものになったのを喜ぶ日を待とう」
「はい。はい。わ、わかりました」
 江戸もいつの間にか夏になった。
 亀沢町に古屋敷の新建《あらだて》のような手入れ普請がはじまって、こういう事の好きな平蔵がよくそっちへ出かけて行って一日を暮らす。
 いつも夜になって、定って団野先生の道場へ寄って、こゝで小吉のやって来るのを待合せて、小吉の稽古が終ってから二人連立って油堀へ帰って来るのがこの頃はこの上無しの楽しみのようであった。
 団野道場から一町ばかり離れた一ツ目通りに柳屋という小料理屋があって、食物もうまし、酒もいゝというのでその頃、界隈では評判であった。
 それに若い綺麗な酌女が二人いてこれが愛嬌ものだったから、平蔵はこゝがひどく気に入って、普請場から道場へ寄る前に毎夜定ってこゝへ寄る。元来大酒だが、それが近頃はいっそ強くて、団野先生と逢っていても、酒をのんだ様子などはどうしても覗く事も出来なかった。
「先生のところで稽古に手がこみ、おれが戻りが遅くなるとお祖母様が、きつく叱言《こごと》をおっしゃる故、あゝしておやじが一緒に帰り、おれをかばって下さるのだ」
 ある時、お信へこういった。お信はぽろ/\と泣いた。
「ほんに拝んでも拝んでも拝み切れない有難いお心にござります」
 本当に本屋敷の方へ向いて手を合せた。
「たゞ、おれと逢う時刻をうまくするために、柳屋へお寄りなされるのでな。お年の割にお酒が多く、おからだにおさわりでもなければと、それのみが心配よ」
「はい。たゞお祖母様がもう少しわかっていたゞければこのような心配も無いのでござりますが」
「まあそういうな。おれにしてもお前にしてもたった一人のお祖母様。お逆い申しては罰が当る」
「はい」
 お信は涙を拭った。
 ゆうべ珍しく少し酔態を見せた平蔵の腕を抱いて竪川に沿って一ツ目橋の方へ歩いていたら、途中で虫売の荷を担いだ男を見た。松虫鈴虫が鳴き合って蛍がいっそう綺麗であった。
「本当に夏だな。小吉、あの蛍をみんな買ってやれ」
「いやあ、お止しなされ、持帰ってもすぐに死んで終いますから」
 そういう小吉へ虫売が突然
「もし」
 と声をかけて来た。
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