玄関で人の声がした。
「御免下さいまし」
小吉は、ちらりとお信を見てから、のっそりと立って行った。
「何用だ」
「へえ」
と玄関の土間の隅に小さくなって立っているのは弁治と五助の二人である。いつもの風態ではなく、紺の腹掛け股引に新しい突っかけ草履、背中はわからないが襟に「玉本小新」と染めた半纏を着ている。小吉はにらんだ。
「何用だ」
「へえ」
「両国で小新という軽業の女太夫、大そうな評判だてえが、お前ら、それに喰いつきやがったか」
弁治は少し後ずさりをしながら揉み手をして、
「仲間の奴が興行は一、二カ月だろうが、大阪下りで人手が足りねえ、どうだ、働かねえかといいやすもんでござんして、五助にも話したら、どうせ見世物小屋は昼の間だけだから、夜は夜で蕎麦が売れる、こゝんところ、摩利支天の神主から暇の出た妹が、ちょいっとからだを悪くしてるから、医薬や何にかでどうにもふところが苦しい、働こうという訳で、二人が手間取りをはじめました」
「そ奴あ結構だ。が、おれがところへ何にをしに来たのだ」
「へえ、五助が申しやすんですよ。どうにもこの太夫というものあ別嬪だ。まだ十六でございますが、その美しいことったら江戸中の評判に間違いはねえ。勝様はとんだ女嫌えだが、一度お目にかけて置くがいゝと」
「ふん、馬鹿奴ら」
小吉は鼻先で苦笑した。
「そうなんですよ勝様」
と五助はもそ/\口の中で
「大振袖の初々しい姿でごぜえやしてね。元結《もといい》渡りの曲芸で綱の上でこうからだを横たえて肱枕をしますが、それがまるで天女でございますよ」
という。
「それに他の奴らと一緒に猿猴の遊びというのをやります。天井高く組んだ大竹から三人のものが手に手をとってぶら下がり四方へふらり/\と身を動かす。これが青柳の風になびく風情でございましてね。かてて加えてこ奴の口上をいう半八という男の道化がまた至極の妙で」
小吉がにや/\し出したので弁治が少し図にのって前へ出て行くと途端に
「馬鹿野郎」
こんどは大きな声で目の玉の飛び出る程に叱りつけられた。
二人ともぱっと後ずさりに飛退った。
「この勝がうぬらのたくらむ位の事の、わからねえ程|木偶《でく》と思っていやがるか。こら、うぬらあ小屋のおやじに頼まれて、おれをそこへ引っ張り出し、この小屋には勝が出入と、ところのごろつきが小銭《こぜに》強請《ゆすり》のまじねえ札にしよう算段、滅法な太い奴だ」
「と、と、飛んでもねえ」
と五助はもう往来へ飛出していた。
「何にが飛んでもねえものか。こら二人ともよっく聞けよ。おれが伜の麟太郎は、勿体なくも春之丞君御対手役に御城へ上っているのだぞ。この小吉を唯の小吉と思いやがるか」
「へ、へえ、へえ」
「うぬらを屋敷へ寄せてはならぬと、おれがお信には云われるが、麟太郎がいない事だから、まあまあ不浄の声も聞こえまいと、こゝんところ大目に見て」
と、小吉はちょい/\、奥のお信を気にしながら
「出入を許してやれあいゝ気になり、おれを|だし《ヽヽ》にうまい事をしようなんぞは、大それた量見だ。まご/\してれあ首あねえぞ」
「そ、そんな」
弁治も額に脂汗をにじませて、手の裏で忙がしくこすりながらやっぱり外へ出て終った。出たと思ったら、二人ともぱっと身をかえして、足で自分の頭のうしろを蹴上げるような勢いで逃げた。
ものの二町も来て、大きな旗本の下屋敷の前。
「あゝ、びっくりした」
と弁治が立停った。
「全くだ」
とやっぱり五助も脂汗をかいている。
「あゝしてすぐにこっちの腹を見抜いて終うんだから、やり切れねえよ。が、困ったねえ。軽業の親方に胸を叩いて引受けて来ッちまったんだ、これが駄目となれあ、こっちはお払箱だよ」
「困ったなあ。あゝして法外な給金を出そうてえのも、おれ達のうしろに勝様がいるのを知っての事だものなあ」
「そうともよう。だが仕方がねえや。首になったらなった時のことだ」
と弁治は頻りに唇をなめて
「こんな事なら最初《はな》っから勝様に、実あ斯う/\とお頼み申せあよかったなあ」
「とんだ大|失敗《しくじり》だったえ」
しょんぼりと歩き出して、それからまた二町ばかり。津軽屋敷の表門前を左側へ寄って通っていたら
「待て」
遠くで声がした。振返ったら遥かに小吉である。
「おッ」
と二人は引っくり返る程に驚いて
「て、て、大変だ」
真っ蒼になった。
一ツ目通りの四つ辻まで逃げたが、五助は自然に足が立ちすくんだ。
「兄貴いけねえよ。お、お前、に、に、逃げたって追っつかねえよ。何処まで逃げて見たところで勝様に睨まれたんじゃあ所詮江戸にゃあいられねえ」
「そ、そうだ、その通りだ」
弁治も立って
「こ、この上は謝まるより外あ法はねえ。うまく小屋へ引っ張り出して、案山子《かがし》にしようなどと考げえたのが重々こっちの間違えだ。お、五助、坐れ」
「え?」
「土下座をするんだ。二人こゝへ土下座をしてな。斬られる覚悟をするんだ」
「えーっ!」
「腐ったって江戸っ子だ。いまわの際にばた/\しては見っともねえ」
「そ、そうかあ」
二人はそこへ並んで行儀よく坐って終った。
小吉がやって来た。
「おう、手前ら、そんなところで何にをしてやがるんだ」
弁治は、手を合せた。
「二人とも覚悟をいたしました」
「何んの覚悟だ」
「勝様に斬られるつもりです」
「そうか、おれは人を斬るが大の好きだから、斬れというのなら斬ってもいゝが、これから軽業の玉本小新という女の小屋へ行くところだ、お前ら、けえる迄、そうして待っていろ」
「へえ?」
「待っているが嫌やなら、うしろに附いて来い」
弁治、五助は坐ったまゝでぱっと二人抱き合った。ぽろっと涙をこぼしてやっと立ち上った時は、小吉はもう亀沢町の先きを歩いていた。
夢中で追いかけて、
「勝様、勝様」
「聞きゃあがれ、お信がなあ、行ってやれと云ったのだぞ」
やがて三人が東両国の見世物小屋「玉本小新」の大きな看板の出ている木戸口へ行った。
「どうだ、おれが此処へ立っていようか」
「と、とんでもござんせん」
といってから弁治が、精一ぱいの大きな声で
「おいらが可愛がっていたゞいている御旗本勝小吉様が御見物下さるよ」
と叫んだものだ。流石の小吉もこれには閉口した。
かねて話があったと見え舞台にいる芸人も楽屋にいる者も、あわててそこから飛出して来て太夫元の惣左衛門という、でっぷりした赤禿のおやじが土下座をする恰好で小吉を楽屋へ案内した。人気ものの小新をはじめ芸人が代る/\挨拶に出る。
「狐につままれている塩梅《あんべえ》だ」
と小吉は苦笑した。
用意がしてあって酒の膳を出したが、小吉は
「太夫元さん、弁治も五助も余り利口な方じゃあねえが、頼まれても首の無くなるような悪事も出来ない奴だから、どうか可愛がってやって下さいよ」
と、立ったまゝだった。太夫元は水引のかゝった金一封を、三宝へのせて持って来た。小吉は笑って
「おれも滅法な面というものだ」
見向きもせずに行って終った。太夫元と弁治が何にやらもめている。
小新が小吉について来た。小吉はふり向いて
「お前、別嬪だねえ」
といってから
「女は綺麗なれあ綺麗な程に身を過りやすいものだ。殊にこんな世界にいる事だから、よく/\慎しむがいゝねえ」
五助が眼を丸くした。小吉が女へ言葉をかけるのを見たのが、これがはじめてだ。
「はい」
小新はそういって、素直にうなずいた。
「お前らね、おれが本所《ところ》の顔役ででもあるように、あゝして銭を出したりしているが、おれは御旗本だ、|ごろつき《ヽヽヽヽ》じゃあねえんだよ、おれが家内のお信というのは、よく出来た女だから、よくしき詰った相談があったら来るがいゝ。いゝかえ、重ね/″\女は身を慎しむが第一だよ」
「有難うござります」
小新の顎が匂うように白かった。
少し行った往来へ弁治がまた追って来た。小吉は、また怖い目をして
「大馬鹿奴、銭を持って追って来やがったな。ほしけれあ手前らに呉れてやる。ぐず/\云うと斬ッ払うぞ」
「へーえ?」
弁治はさっきの水引包を持って縮み上って膝ががく/\した。
「じゃあ、これはもう出しません」
「当たり前だ」
「お屋敷まで送って参ります」
「いらないよ。お前らなんぞに送られては、近所隣りへ|ふう《ヽヽ》が悪くて仕方がない」
が、弁治は後から追いついた五助と二人何処までも何処までも送って来る。
「勝様、お隣り屋敷の岡野の殿様の御様子、おききでございますか」
弁治は利口だ。がらりと調子を変えた。
「お前、何にかきいたか」
「へえ、いやもう大変でございましてね。亀戸の不動院、あすこの院家が柳島の梅屋敷にありやすがね。化物の出るようなひどく荒れた小さな家ですが、そこへ巣喰っている|いかさま《ヽヽヽヽ》の行者がいる」
「殿村南平という奴だろう」
「へえ、然様《さよう》で」
小吉はちょいと立停った。
「わかった。そこで岡野の殿様が、女行者を対手に日夜酒をくらっているのだな」
「さよです。勝様のお隣り屋敷でもあり、千五百石の御大身にしては、誠にどうも御乱行で、かねて勝様ともお親しい事は承知してますもんですから、他人事《ひとごと》とは思われません。何にしろその女行者って奴の周りには悪い奴が大勢いる。今にひどい目にお逢いなさると思って、ちょいとお耳に入れやしたが」
「お前が怖え渡辺兵庫もいる筈だ」
「渡辺?」
「左手首のねえ男よ」
「いゝえ、あ奴は見かけませんよ」
「あの行者は殿村の嬶か」
「いや、本当の妹だという事です」
「よし/\。投《ほ》ったらかして置け。元々岡野が、刀の差しけえもねえ貧乏たあ知らないから、金にする気でかゝっているのだ。馬鹿を見るのは、岡野ではなくあ奴らだ」
「へえ」
途中で二人に別れ入江町へ帰って、一寸びっくりした。岡野の奥様《おまえさま》が来ていた。
挨拶をしてふと見ると、瞼に涙が一ぱいにたまっている。お信もうつ向き加減にしている。
「勝様、御願いがあって、お帰りを待たせていたゞいておりました」
奥様は、消え入るような小さな声だった。
「御願いなどと恐れ入ります。先般主計介様のお話で、殿様に御隠居をおさせ申し、自分は、天領の御代官を勤めたいなど、仰せでしたが、何にかその事で」
「はい、それも然《さ》る事では御座りますが、実は殿様から、斯様な書状《ふみ》を持参の者が屋敷へ参りまして」
「ほう。で、その使者は」
「一先ず戻り、|七つ刻《ごゞよじ》頃に改めて参上と申しておりました」
「風態は?」
「御浪人のように見受けました。この書状《ふみ》を御覧下さいまし」
孫一郎からの書状を見たら、この書状持参のものに、金子五十両を渡して呉れと書いてあった。
「お遣しなされますか」
「そのような金子など——」
「はっ/\。殿様も飛んだお方だ」
「どうしたら宜しゅうござりましょう」
小吉は腕を組む恰好をしてお信と顔を見合せた。