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父子鷹87

时间: 2020-09-27    进入日语论坛
核心提示:夏涼 松頭は柘榴口の方へ真っ正面に向き直った。「お侍だが、威張る奴が大嫌えでしてね。自然本所深川の剣術遣いや若い者はみん
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 夏涼
 
 松頭は柘榴口の方へ真っ正面に向き直った。
「お侍だが、威張る奴が大嫌えでしてね。自然本所深川の剣術遣いや若い者はみんな子分見てえなものになっている。今度だって、お坊ちゃまのお怪我を一日も早く癒してえと、みんな自分のからだをおっぽり出してかゝった。弟子の何んのという訳じゃあねえんですよ」
「へーえ、そうですか。で、癒りましたか」
「もう、大丈夫。十日もしたらお床上げが出来やしょう。何しろところが急所だから助かったのが不思議。それにしても、毎晩一緒にねて上げて、もし熱が昇ると、自分が井戸水を何十ぱいも引っかぶって、からだを凍る程に冷やして、それでお坊ちゃまを抱いて熱をとったんだから、あなた方、こうきいただけでも涙がこぼれやしょう」
 年寄は二人ともすでに貰い泣きでもしてるようだった。
 麟太郎が本当に床上げをしたのは暑い最中であった。床にある事七十日。痩せたが眼元が前よりぱっちりして元気であった。
「病人はな、看病が肝心だよ」
 小吉は、祝に来た人達へそういって本当にうれしそうであった。
 きょうもひどく暑い。小吉は、洗いざらしの単衣の着流しで、帯もしめず、褌をむき出しにして縁近くへごろりと横になっていた。
「あなた、お帯をおしめ下さいまし」
「ほう、また見つかったか。お前はとんと目が早えからねえ」
「仮初にもお侍がそのようなお姿は余りよろしくはございませんでしょう。麟太郎が見習って、後々、真似をされては困ります」
「岡野の隠居もよくこうやっていて、滅法涼しいというから真似たが全く以て涼しいよ。だが、いけねえかねえ」
「この間も申上げた通り、それが兄上様のおっしゃる目に見えるもろ/\の不浄の一つではございませんでしょうか」
「やっ、恐入った」
 小吉は立ってお信の出した帯をしめて、どかっと坐ったところへ、刀鍛冶の水心子秀世が、うこんの袋へ包んだ白鞘を下げてやって来た。
「おのしの来るなんざあ珍しいが、おれがところは酒がなくて気の毒だの」
「いや、それどころではありません。先生、今日は妙なお頼み事で参りました」
「ほう、頼み? 妙見の刀剣講でお前に無理をさせるから、おれに出来る事なら何んでもやるよ。それにしてもその刀をちょいと見てえな」
「是非にも御覧いたゞくつもりで参りました。あたしには、これから前も先きも、こんな刀は二度と打てますまいと思います」
「ほう」
 見ると立派なものだ。これ迄見た水心子にはないように深々として、ぐうーっと魂を引込まれて行く気がした。
 小吉は、うむ、うむと二度も三度も唸っていたが、やがて鮮やかな手つきで、鞘へ納めて、秀世の前へ鄭重に差出した。
「いや、結構を見せていたゞいた。有難い」
 秀世はじっと小吉の様子を見ていたが
「先生、お気に召されましたら差上げたいと存じます」
 といった。
 小吉は大きな眼をした。
「実はその刀をわたくしが家で眺めておりましたところ、いきなり入って来て、斬れるかと申した人があるのです。ぐっと致しましてね、見ましたところ、かねて御贔屓をいたゞく外桜田の尾張屋亀吉と申します諸家様御用達の親方でございましてね」
「ふむ」
「わたくしは、親方、水心子秀世は斬れない刀を打ちませんよと申したところ、おれは刀の利鈍はわからない、がお前がそういうなら本当だろう、本当に斬れるなら是非とも差上げたいお方がある。黙って、その方へ、差上げてくれと申すのです」
「ふーん」
「それはどなたですと云いますとね。お前の可愛がっていたゞいている入江町の勝小吉様だと——」
「え? 尾張屋亀吉というは名前はきいているが、逢った事も見た事もない。それが何んでおれに刀を呉れるのだ」
「そこなんですよ先生」
 と秀世は少し膝をひいて頭をかいて
「下心がある」
 と呟くようにいった。
「わたくしも不思議に存じておききしました。ところが、親方が申しますに、実は勝様という方の御気性はかね/″\きいている、下手に拵え事をしては却ってお叱りを受けるから、ざっくばらんに云っちまうが、お前さん、一つ、骨を折って見てはくれまいかという、あれだけの親方が膝を抱いての御相談でございます」
「ふん、おれに刀をくれるから、何にかして呉れというのか」
「そうなんです」
「はっ/\は。おい秀世、お前の刀はいつの間にそんなくだらねえ物に成り下ったえ。お前も飛んだ馬鹿な男だったな」
「ま、ま、先生、そう申されては身も蓋もなくなって終いますよ」
 秀世はなだめるような顔つきで
「先生は尾張屋亀吉というはどういう風な人間か、御存知はござんせんでございましょう」
「お前に刀を持たせて、おれに物を頼もうなどというような量見方だ。くだらねえ男に定っている」
「ところが、どうして/\」
 といいかけた時であった。きのうの朝から、また稽古をするために男谷の道場へ通って、今朝も行っていた麟太郎が
「父上、父上」
 往来で精一ぱいの声で叫んでいるのがきこえた。
 流石の小吉が飛上って
「何んだ/\」
「犬です、犬です」
「あの犬か」
「そうです」
 声と声だけが、嵐の中の渦のように響き合った。
 小吉は、夢中でたった今、秀世の持って来た白鞘を鷲づかみに、着流しのまゝ、風を起こして飛出して行った。
 夏の陽がぎら/\輝やいて、一面の緑の中に、麟太郎が自分の家の塀際に肩をしぼめて小さくなって、丁度その向い側の少し先きの方を、背中を丸くして、何にやら嗅いで歩いている大きな犬を指さしている。白黒まだらで、何処も此処も槍のように骨の突出た痩せ細った犬だ。
「あ奴だな」
「そ、そ、そ、そうです」
 麟太郎は、顔色が土のようで、がた/\がた/\慄えている。
「麟太郎、いゝか性根をすえて父がすることを見ていよ」
 小吉は悠々と犬へ近寄って行った。
 犬は気がつかない。十歩五歩三歩。もう一歩というところで、犬が自分を狙う人をちらりと見たようだ。途端にくるッとからだを廻して、まるで立ち上るような姿勢で、こっちへ真向きに青い牙を見せると宙を飛んで咬みついて来た。
 小吉の体がさっと開いた。はずみを喰った犬はそのまゝ板塀へぶっつかって、もんどり打った時は、小吉はすでに閃めくような抜討で、犬の首のつけ根をさっと斬っていた。たら/\とどす黒い血が休みもなく大地へしたゝり落ちる。小吉は、片手に高く刀をさし上げて半身の構えをしていた。ほんの瞬きをする間だが、手負の犬と小吉とが睨み合っている。
 突然、犬が逃げ出した。血だらけで入江町の角を右へ切れると、飛ぶように三ツ目通りの方へ走る。少し脚がもつれたりするが、まだ/\凄い勢いだった。小吉が刀を下げたまゝで追う。
 いつの間にか草履の片方がぬげていた。
 犬は多羅尾七郎三郎の隣りの空屋敷の中へ逃込んだ。草が茂って、捨て残された壊れた山灯籠へ草をもれた陽がちら/\当っている。
 小吉の刀へ時々さあーっと玉虫色の虹がひらめく。犬は右へ逃げ左へ逃げる。小吉は刀をふりかぶって追う。知らぬ間に鬢髪が乱れて、脚のところ/″\からすりむき疵の血がにじむ。
 空屋敷は多羅尾家をはじめ小旗本の塀に取囲まれて、犬は逃げるところがない。丁度山灯籠の前であった。小吉はとう/\草むらの横合から出て来た犬と六尺ばかりの間をおいて真っ正面に相対した。
「やッ」
 小吉は飛上るように踏込んで斬った。ごつッという手ごたえがあって、ぱッと血が一尺も噴上げた。
 犬は胴を真ん中から二つに斬られて、血だらけの肉塊が雑草の中に無造作に投り出されている。小吉はにやりとして、ふうーっと大きく息をついた。
 あれ以来、七十余日、どれだけこの犬を探したか知れない。暇さえあればこの空屋敷を中に、三ツ目通りから竪川一帯の川岸《かし》ッぷち、南割下水の津軽屋敷の裏門の辺りにいつもそんな犬がうろうろしているときいて、一日中、張っていた事もあった。その時は途中で雨に降られて閉口した。
 松五郎などは、十二番の組の者達へいいつけて、見つけたら一|歩《ぶ》やるなどといって騒いだし、仕立屋の弁治も縫箔屋も、仕事をおっぽり出して夢中で探したが、今日までとう/\見つからなかった。
 それが当の麟太郎に見つかって、しかも入江町の、すぐ家の前にいたのなんぞは不思議といえば不思議なことだった。
 小吉は、げえーっ、ぺっと唾をはきかけて、空屋敷を出ようとしたところで、ぱったりと平人足を一人つれた松五郎頭に出っくわした。
「えッ、勝様、抜き身のお刀をお下げなすって、如何なされやした」
「おゝ、松頭か。とう/\やったよ。あの犬を」
「そうですか。お斬りなすった?」
「あすこに死骸がある。が、見る程の事もあるまい。犬でも生きているものを斬るというは、道場で木剣をふり廻して五人や三人の人間を対手にするよりは余っ程骨が折れるな」
「お刀は新身《あらみ》でごぜえやすね」
「そうだ——ほい、失敗《しま》った、こ奴あおれが刀ではなかった。が、犬を真っ二つに斬って、鵜の毛の刃こぼれもねえは流石は水心子秀世だな」
「いゝお試しでよろしゅうごぜえやした」
「馬鹿奴」
 と小吉はしみ/″\と刀を陽にかざして見て
「名刀を一|口《ふり》、無駄にしたわ」
 とつぶやいた。
 新身で犬を斬ったのでは、もう侍の使い物にはならない。といって秀世にこのまゝ返す事も出来ない。
「おれあ、嫌やになって終った。あの野良犬奴、どこ迄おれが屋敷に祟りやがる」
「嫌やにおなんなすったってどうしてでござんすか」
 松頭はつれを先きに帰して、自分だけが小吉について歩いていた。
「侍は獣なんぞで試斬はしないものだ。刀が汚れる。これは人の刀だよ。申訳ない事をして終った」
「先生に試していたゞくなんざあ願ってもない事だ。獣だって何んだって」
「そうは行かない。お負けに対手は水心子秀世というおとなしいが少々変った奴だ」
「あゝ、水心子ですか。あの人なら、わたしも知っている。先生、何んとでもなりやしょうよ」
「実は頼み事で、引出物に持って来た。犬を斬って、刀を無駄にした詫びには、おれああの男のいうことをきいてやらなくてはならねえかなあ」
「ねえ先生」
 と松頭は
「あれは酒っ喰《くら》いだが曲った話を持込んで来るような男じゃあござんせん。きいてやっておやんなさいましよ。難題なんでござんすか」
「いやまだ話の内はきいていない。が、おれは妙見の刀剣講であの男に無理を云っている。こうこうと頼まれれば、きいてやらなくてはならぬ義理もあるから、きかぬ中に文句をつけて断ったのだ」
「それあ先生らしくねえ。卑怯だ」
「はっ/\。とう/\、おれが卑怯にされて終ったかえ」
 家へ帰ったら騒いでいる。町角のこっちから見ると秀世が門のところへ出たり引っ込んだりしている。
 松頭が先きになって駈けて行った。
「麟太郎様が、あのまゝ往来へ倒れましてね」
 と秀世のいうのがきこえた。小吉はあわてた。家へ飛込むと、お信がちゃんと床へねせてあって、麟太郎はもう顔もふだん通りになっていた。
 小吉を見ると、すぐに起き上った。
「父上、おゆるし下さい」
 小吉は口をきっとしてじっと見ている。
「醜い姿をお目にかけました」
「犬位の事でぶっ倒れるとは、醜い事だとわかったか」
「はい。男谷先生もこれをお知りなされたらきっとお叱りなさるでしょう」
「あのまゝ死んだら——」
「勝麟太郎というものは、一度咬まれた犬の姿を見て、頓死を遂げたということになりましょう」
 麟太郎は、小吉の顔を瞬きもせずに見てこういった。
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