私が酒を飲み始めてそろそろ四十年になる。
人間ドックに入るたびに、「やめろとは言いませんが少し控えられた方がいいですよ、せめて週に一度は休肝日を作って酒を抜くようにしないと……」と脅かされるのだが、意に介す気はまったくない。私は私なりに“自覚的”に飲んできたつもりだし、むしろ肝臓を心配する余りそれによって逆に身心のバランスを崩すことの方が心配だった。
とはいうものの、だらしなく飲み続けている世の中の酒飲み達を見ていると情けなくなることが少なくない。「人のふりみてわがふり直せ」というが、ああはなりたくない、と思う気持が、知らず知らずのうちに“自覚的な飲み方”なるものを私に強いるようになったのかも知れない。
今回はその私における“自覚的な飲み方”について書いてみようと思う。
君もそうだが私もサラリーマンだ。
同じ酒を飲むにしても、サラリーマンにはサラリーマンらしい良き飲み方があって、自営業や芸術家といった人達のそれと同じであっていいはずがない。
職人や芸術家のような自己完結的な仕事に携わる人々にとっての酒は、一日の疲れと緊張をとことんときほぐす麻薬的効果だけでいいが、サラリーマンはその酒にときほぐされるのに身を任せっぱなしにするわけにはいかない。なぜなら、サラリーマンの酒は、同じ会社の連中と酌《く》みかわすにしろ、それは場所を会社から飲み屋に移しただけのことであり、テーマのある会議がフリートークに切り替わったに過ぎず、アルコールで血管が押し広げられたからといって、会社の秩序の延長上にあることを忘れてはならないからだ。
自由人は酔いにまかせてどう振舞おうと、その結果を自分で負う覚悟さえあれば構わないが、サラリーマンは、下は下なりに上は上なりに果さなければならない心配りを酔いのせいでなおざりにしようものなら、そのツケは翌日直ちに回ってくるものと覚悟しなければならない。
だからこそ、サラリーマンの飲み方には自《おの》ずからなる“自覚”が求められるわけで、第一に心掛けなければならないのは、酔わないということだ。いや、酔わない飲み方を身につけなければいけないのだ。といって、水割りに見せかけてウーロン茶を飲めといっているのではない。むしろ敵に後ろを見せることなく堂々と先輩と同じものを飲んだ上でのことでなければならない。
私の見るところ、君も酒の嫌いな方ではないらしい。だからこそ言っておきたいのだが、酒が好きで弱くないタイプは、どうしても飲みっぷりが良過ぎるという傾きがある。とくに最初の一、二杯はピッチが速くなるものだが、家や気のおけない友人と飲むとき以外は、意識的にブレーキを踏み加減にすることだ。一気に飲んでいいのは最初の一杯のビールだけだと、固く心に銘じておくといい。
それにガツガツと急ピッチで飲むのは見ていて卑しい。食事のし方にしても同じことが言えるが、物をたべているところを見ればその人の育ちについておおよその見当がつくもので、酒の飲みっぷりにも品性がそのまま現われるから怖い。
卑しいといえば、つまみや料理についても同じことがいえる。夕方飲み始めるのだから空腹なのは当り前で、酒もさることながら何か腹にたまるものをと思うのは人情だが、だからといって「好きなものを注文していいよ」という先輩の声を鵜呑《うの》みにし、他の人が何を頼むかを気にもしないであれこれ注文したりしない方がいい。なるべく皆が注文し終ったところを見計らい、他の人よりもはっきりと控えめに頼むことだ。
料理屋や旅館のように、おしきせで料理が目の前に並ぶ場合も、箸を動かすスピードは諸先輩より遅めであるのがよく、とくに始めのうちはおっとり構えることを心掛ける方が無難というものだ。
一座の末輩としてもう一つ心得ておかなければならないのは、酌の作法だ。近頃また日本酒が復活の傾向にあるから、お燗《かん》にしろ冷酒にしろ酌を必要とする場面がふえただけになおさらだ。とはいうものの、いくら末輩とはいえ、一応会社を退《ひ》けてからのことでもあり、しょっちゅう席を立って酌をして回ったりする過剰サービスは余分な侮《あなど》りを受けるだけで、かえって慎んだ方がいい。両隣とすぐ前の人の盃の空き具合には注意を怠らなければそれで十分だ。
さて、この酌のタイミングというのがまたなかなかに微妙なもので、一口含んで盃を置くと間髪を入れず待ってましたとばかりに注がれるのはせせっこましくてあまり気分のいいものではない。それに酒というのはその人なりのピッチというものがあって、それをよく見届けた上でないといけない。だから、先方のピッチを心得、盃が空になったらすぐには注がず、最低一呼吸置いてから銚子を取り上げるくらいが頃合いと思えばまず間違いない。さらに自分の盃を自分で満たすのは、他の人に二回注いでなお誰もこちらに酌をしてくれなかったら、その辺でさりげなく手酌するようにして、間違っても他の人に注いだその後すぐ自分の盃も満たすというようなことはしない方がいい。
ウイスキーの水割りの場合も似たようなことがいえる。
近頃はボトルキープとやらで、首に名札をぶら下げた瓶とアイスペールと水をどんとテーブルの上に置いて、適当に自分で作って飲めという無精な店がふえたから、末輩はそれに追われて結構忙しい思いをさせられかねない。だが、これに熱中し過ぎるのも問題だ。酒席にあって末輩が先輩に気を配るのは当然だが、ホステスやバーテンでないことだけはたしかだし、そこに君が同席しているのは、昼間は聞けない先輩上司の話に耳を傾けるためであり、さらに昼間は遠慮があって口に出来ない自分の意見を開陳できる機会でもあるのだから、それをなおざりにして水割りづくりだけに没頭していると、単に「便利な奴」という余り有難くない先入主を与えるだけで、逆効果にさえなりかねない。
だから、皆のグラスの空き加減に注意を払うのもいいが、それが七分目ほどに減るとすぐさま作りにかかるというのは好ましくない。それに、気難しい水割り党には“作り足し”を嫌う人もいるから、グラスが綺麗《きれい》に空いてから作りにかかるのがのぞましい。
その場合肝腎なのは個々の“濃さ”の好みで、末輩としては先輩一人一人の好みをまず心得ておくことだろう。
水割りもカクテルの一種に違いなく、カクテルにおけるレシピのベースの基準はすべて30�であり、それを二倍の水で割るのが水割りのスタンダードだが、ジガーでいちいち計るわけにもいかない場合の目分量が、例の洋酒の有名なCMに出てくる「ワンフィンガー」というヤツだ。ただあれは、あくまで八オンスタンブラーに注いだときの指一本でなければならず、大ぶりのグラスだったら、同じ指でも女の細い指でないと「シングル半」くらいになりかねない。
だから、空のグラスにまず酒、次に氷、水の順に入れれば好みの濃さを誤ることなく、それが正統的な作り方だということを知っておくといい。ちなみにそのワンフィンガーという30�の目安は、コニャック用の例のチューリップ型のグラスを横に倒して置き、そこに注ぎ入れて口から溢《あふ》れるかどうかの量が30�だということも知っておいてよかろう。
私がこんなことを覚えたのは、君くらいの頃、気難しい老バーテンのいるカウンターバーで、そういった酒の知識はもちろん、酒飲みのディグニティ(品位、気高さ)まで教わったせいだが、これも他人にひけらかしたら最後、鼻持ちならないスノッブに堕するということも併せて心得ておいて欲しい。