——君を見ていて、一つ気になることがある。ひとことでいえば、それは君の女性への対し方だ。
といっていま君がどんな女の子とつき合っているのかといったことについてはまったく知らないし、まだ二十四だし、結婚のことを真剣に考える段階にはまだ間があるに違いないから、どんな嫁さん候補を連れてくるかな、という期待も私にはない。が、母さんはどうやら違うようで、早く君がどういう娘と結婚するだろうかと、そのことへの期待と不安を近頃しばしば口にするようになった。
私はそのたびに生返事をするばかりなのだが、本心は(そんなことどうだっていいじゃないか)と思う。
なぜなら、うちのようなサラリーマン家庭は、子供に継がせる家業があるわけでもなく、君はすでに私とはなんの関係もない会社に勤めていることだし、結婚すれば家を出て、姓が同じなだけという別家族を形成するのだから、商家が跡継ぎに嫁を迎えるのとは天と地ほども違うと考えるべきなのだ。ところがどういうわけか女親は、理屈では十分分っているくせに、息子の結婚イコールわが家に嫁が来ると考えるらしい。きっと息子を他の女の手に渡しきることが生理的に納得出来ない、そのせいなのだろう。
ところが私は、君を一人の男としか考えない。たしかに自分の血を分けた子供には違いないが、それはせいぜい高校生くらいまでで、親離れをした仔ライオンを単なる一匹の雄としてしか見なくなる父ライオン同様に、私にとっての君は、すでに近くて遠い単なる血縁の男に変わってしまっているのだ。
その君が結婚をするといえば、親としてそれなりの手助けを惜しむつもりはないが、それがたとえ私の気に染まないタイプの娘だろうと、(この性格じゃうまくいかないのではないか)という危惧《きぐ》を覚えようと、だからといって反対するつもりはない。君の人生は君がきめるしかないのだし、かりにその選択が誤りであったとしても、君が自分で解決するしかないことなのだから。
冷たいようだが、私は君の結婚に対していまからそんな覚悟をきめていて、ただ(うまくやって欲しい)と祈るばかりなのだ。
こう書くと、冒頭に述べた君の女性への対し方が気がかりだということと矛盾するかのようだが、女親の息子への煩悩と同様で、それは男親の中でもゼロでないことの現われかも知れない。
結婚も含めてのことだが、男の人生にとって、女くらい複雑な影を投げかけるものもないと思えばこそ、改めてこんな手紙を書く気になったのだが、その点で私は失敗者の方に属するのかも知れない。
といって、母さんを含めて私がこれまでに関わってきた女性のクジ運が悪かったと愚痴を言うつもりはない。すべては私の性格に起因し、私の側にもっぱら原因があったからだ。
——私は、あきらかに恋愛型に属する男だった。その傾向はすでに思春期からあって、中学生の頃異性に早くもひそかな思いを寄せひとり悶々《もんもん》とするという日々を体験し、それから結婚に至るまでの間、報われることのない一方的な恋心を何人かの女性に抱いてきた。
男性の思春期というものは、そうした恋愛願望より、むしろ異性の肉体に飽くことのない興味をより強く抱くもののようだが、私は性よりも精神的な昂揚《こうよう》を異性に求めることの方が強かった。だから初めて恋の末に肉体的交わりを持ったのは結婚相手の母さんだが、それは単に恋に恋するという私の偏りのせいで、品行のよさを裏づける証拠だと強弁するつもりはまったくない。むしろ精神的な愛に憧れるその一方で、どろどろとした性的関心を暗く胸の底に閉じこめていて、その後ろめたさを持て余していたのだから。
結婚してからも、私の恋に恋する偏りが死滅したわけではなかった。あれは結婚後十年ばかりしてからだったと思うが、私は結婚後の初恋ともいえる、してはならない恋に堕《お》ちた。母さんとの間に君達が生まれ、貧しくはあったが絵に描いたような家庭幸福図の中にあって私は、それを至福と思うその一方で、傍らにいる女性に感動を失いつつある自分に耐えられなくなり始めていたのだろう、あの恋に恋する切ない昂揚がたまらなく懐しくなり出したのだ。
丁度その頃、年齢が十三も離れた新入社員の娘と、よくあるパターンで近づき、私は願い通りに恋を得た。だがそれは、切ない上にも切な過ぎた。結婚につながる可能性のない男と女が堕ちる地獄をいやというほど味わわされ、女はもどかしさと恨みで人が変わったように、ただ私を責めるだけの存在でしかなくなった。
いっそ私が浮気心で接近し、向こうもそのつもりでつき合っていたのなら、軽く始まり軽く終ることが出来たのだろうが、私の恋愛至上的性格がそうさせなかったのが悲劇の元だった。結局は母さんも巻き込まれ、私達三人はズタズタになり、君達にもおそらく迷惑をかけたに違いない。
この十年に及ぶ泥沼化した地獄が終って、私は腑抜《ふぬ》けのようになったが、それでもときに恋に恋する気持が疼《うず》き、うごめくことがある。が、もはや現実として前後を忘れるに至らないのは、私の中から病癖が消えたからではなく、気力体力共に衰えるのと一緒に、病が頭をもたげる勢いを失った、そのせいに違いない。
読めばきっと軽蔑を買うに違いない、こんな告白を君に向けて書く気になったのは、そうした私のような男の子供でありながら、女性に対してどうやら君は私とはまったく反対のように思えるからだ。
君はなぜか子供の頃から女性に人気があったようで、中学、高校、大学と、随分とさまざまな女の子が家に遊びに来ていた。しかし私の見るところ、先方が君に対して好意以上のものを持っているらしいのは分るのだが、君の方はといえばトンとそ知らぬ顔をしているのが、私には不思議でならなかった。
君が人並みに異性に関心を持ち、そういう経験も人並みにあるらしいことは想像がつく。大学時代の君にそうした間柄のガールフレンドがいたこともなんとなくだが分っていた。が、君はそうした相手とゴタゴタする気配を一度も見せずに、ケロッと明るくやっている。
私はそんな君を同じ男として羨《うらや》ましいと思う一方で、(これでいいのかという)不安を覚えるのだ。その気持の中には、ついついのめり込んでしまう恋愛型の私には理解できないという、自分自身に重ね合わせての見当のつかなさもないではないが、女性に深いこだわりを起させない君のようなタイプにいささかの危惧《きぐ》を感じるからに他ならない。
恋に恋する私のような人間が偏っているのはたしかなことだが、君のようなタイプも一種の偏りだと私は思う。
私の周辺にも、君とはちょっと違うが、同じように女にのめり込むことがなく、といって身綺麗《みぎれい》かといえばそうではなく結構一過性の情事はやっているというのがいるが、そういう男に共通することは、どこか身勝手で情に薄いという点だ。君がそうだといっているわけではないが、そうなり易い可能性があることもまた否めない。
最近、明石家さんまというタレントが子連れの大竹しのぶと結婚したという噂を耳にしたが、芸能界のことには疎《うと》く詳しいことは知らないものの、さんまというヘラヘラした印象の男を見直したい気持にさせられた。男が打算を越えておとこ気を示すような話を近頃とんと聞かないだけに、他人《ひ と》事《ごと》ながらいいな、とひととき爽やかな気分を味わわせて貰った。
といって君にさんまの真似をして欲しいとはいわないが、せめて身も世もあらぬという打算の入り込む余地のない恋を、君にも一度はして欲しいと思う、私のような重症にならないことを祈りつつ。