君が朝新聞を読んでいるところを見たことがないが、どこで読んでいるのか、一度聞いてみたいと思っていた。
おそらくは、我が家の昔からの習慣で、新聞はまずお父さんが見てから、という長幼の序列を君はいまでも重んじていて、私より先に新聞を開いてはいけないと思い込んでいるそのせいなのだろうが、新入社員とはいえいまや君は一人前のビジネスマンなんだから、何も遠慮はいらない。君の方が私より十五分先に家を出るのだし、明日の朝から私に構わず先に新聞を読むようにしなさい。
それと、君は朝コーヒー一杯だけで飛び出していくが、あれもあまり感心できない。いくら前の晩が遅くなったとしても朝はきまった時間に起き、髭剃《ひげそ》り洗面を手を抜かずきちっと済ませ、食事もちゃんと摂り、トイレにもゆっくり坐り、その上でゆったりと出かけていくことを、いまから不変の習慣として身につけておくことだ。
若いうちは無理をしようが、コーヒー一杯で飛び出そうがたいして苦にならないが、先へ行くと、朝キチンと踏むべき手順を踏むのとそうでないのとの差がどんなに大きいかがよく分るようになる。そしてその違いが仕事の上にどんな影響を与えるかということも。
そこで、朝の新聞に話を戻すが、まず言っておきたいことは、たとえ斜め読みでもいいから新聞を眺めておくことを朝の日課にするようにして欲しい。
君も知っての通り、君が生まれる前からうちでは、朝七時から八時過ぎまでテレビのチャンネルをNHKのニュースに合わせている。別段NHKとはなんの関係もないが、こうしておくことで世の中の動きのおおよそのことが分るからで、それを耳で聞きながら一方で新聞を眺め、手と口は朝食に使うというのが、私の三十年来のやり方で、結婚当初はそれを「お行儀が悪い」といって母さんは随分と嫌ったものだが、いまはもう黙認したのか何も言わなくなった。
もちろん行儀が悪いのは先刻承知だが、朝出かけるまでの一時間を有効に使うためにはこうするしかなく、サラリーマンにとっての一種の必要悪だと思い居直ってきた。なぜそうしなければならないかというと、混んだ電車の中では新聞をゆっくり広げて読むことは不可能だし、会社ヘ着いてから仕事前に新聞を広げるのは、私のような古い人間にはなんとも不謹慎でいやなのだ。かといって朝新聞を読んでおかないと、会議や何かで皆が知っていることを自分だけ知らないというみっともない状態に身を置きかねず、それでは何かにつけて自信が持てない。とすれば、少々母さんに嫌がられようと、新聞片手の朝食という不行儀を強行するしかない。
しかし、短時間の間に、一般紙と経済紙の二紙を一面から最終面まで目を通すのには、それなりのコツが要る。もちろんこれは私流で、他人《ひ と》様《さま》がどういう読み方をしているかは知らないし、私の読み方の偏りが正しいかどうかの自信もないが、三十年に及ぶ経験が生み出した新聞速読術であることは間違いない。
私の場合はまず一般紙の方から先に見る。「見る」というのは、読むとはとてもいえない粗っぽい眺め方だからで、まず右上から順に見出しを眺め、次に気になる記事のリード(前書き)だけを読み、もっと知りたければ続けて本文を読むこともあるが、なるべくそれを少なくして、下の広告に目を移す。うちで取っている一般紙の一面下は書籍の広告で、普通は八点ほどの本の広告が並んでいるが、ここへ出てくる本は、ベストセラー物ではないが、中身のちゃんとしたものが多く、書名が頭に入る程度に丁寧に見る。次はどの朝刊の最下段にもあるコラムだが、これは短いということもあるがだいたい全部読む。朝日でいえば「天声人語」、日経なら「春秋」という欄だが、新聞をロクに読まない人でもこれだけは読むという人が多いし、とくに年輩の人達に愛読者が多いから、会議あたりで話題にのぼることもあるはずだ。私なんかでも若い人が読んでいると知ると、その青年をちょっと見直す気になる。君もこれだけは毎日読んでおいた方がいい。
二面三面は海外のニュースを含めて一面に続くトピックだが、これも見出しだけはきっちり頭へ入れておき、自分の仕事に関係のあるニュースだけを拾い読みする。ただし、この二面から五面くらいまでの下段の広告欄は、だいたい大手出版社から発行されている雑誌と書籍の広告の指定席のようなものだが、私はこれをしっかりと読む。なぜなら、毎週毎月洪水のように出される雑誌に片っ端から目を通す時間もないし、それだけの意欲もない。しかし世の中の動きを知るのに雑誌くらい便利な指標もなく、とくに一般向けの週刊誌、月刊誌はその意味で見逃せないのだが、いちいち買って読むわけにいかないとすれば、広告でおおよその見当をつけるしかない。だいたい新聞というものは、確かめてしっかりと裏を取った上でないと書かないが、いまの週刊誌や月刊誌はにおいがしただけで書くし、臆測に基づく記事も平気で載せる。だからいかがわしい部分もなくはないが、新聞では判らない裏の気配をわれわれ素人に察するだけの材料を与えてくれるという利点もある。
女性雑誌はおよそ手に取ることがないから、せめて広告でどんなポイントで編集されているかを知っておいた方がいい。とくに君の会社の製品には女性対象商品が結構多いようだから、マーケティングの生きた情報としてじっくり眺めておくべきだろう。それと、松田聖子が別れるの別れないのといった芸能スキャンダルでも、それが世間の多くの人の関心事である限り、まったく素知らぬ顔をきめ込んでいるわけにはいかない。なぜならビジネスマンというものは、業種の如何《いかん》にかかわらず、大衆の気持の動きに常に敏感であることからすべてがスタートする職業だからで、大衆を見下した姿勢から何一つ生まれない。
その意味で、見ようによっては広告くらい生きた社会勉強もない。たとえばドーンと大きな一ページ広告がある。それがデザイン的にどうか、キャッチフレーズがいいか悪いか、はたまたこんな無意味な広告に大金を投じる気が知れないといった批評的見方をするのもいいが、広告主である企業が、なぜいまこういう大広告を行なっているのか、という企業の意図ないしは裏事情を眼光紙背に徹して探り読むことも大切だ。業績が良過ぎて節税対策として広告宣伝費をふやしたその結果なのか、それとも、ジリ貧の業績を一気に逆転しようと、一発勝負に出ようという狙いによる大宣伝なのか、その辺のところをその会社の株価と引き較べて読むのも、ビジネスマンとしては格好なケーススタディーだろう。
つい見逃しがちなのは求人広告だ。なにしろすでに職のある身にとってこんな無用なものもないからだ。しかしここに目を光らせておく意味は少なくない。一つには同業他社の求人広告から何を読み取るかというポイントだ。競争相手の企業の動きは大まかには掴めるが、見えない死角の方が多いもので、求人広告は、その死角の一部にライトが当るようなもので、その企業の意図を含めて何がどう進行しているのかという社外秘的部分をよく窺わせてくれる。裏を返せば、それだけに求人広告を出すときは神経を払わなければならないということでもあるが。
近頃やや減り気味ではあるものの、不動産広告も読み方次第では経済の流れの微妙な変化が窺《うかが》えて興味深い。とくに東京の地価はいまや世界じゅうの注目するところだし、どこにどの程度のマンションがどのくらいで売り出されたかというのは、株価の動き同様にビジネスマンとしては注意を払っておかなければならないのに、そうした報道はない。広告だからといって莫迦《ばか》には出来ない格好の例といえよう。