この間の手紙の続きを書く。
まだ在学中だった二十一で結婚した私が「早婚」について書くと、どうしても自分のことになってしまって、客観性を欠く傾きが出てきそうでそれが心配だ。
だから今夜は出来るだけ第三者の視点でこのテーマを考えてみることにする。
たとえば、前の手紙に書いた私の結婚後の女性関係のことだが、周囲を見回せば、誰だってそんなことの一つや二つはあるもので、それはたしかによくないことには違いないが、それほど深刻には悩まないのが普通だ。
それを私がいつまでも重い過去の罪科として心の底で侮いているのは、もちろん私の性格にもよるのだろうが、やはり自分が早婚だったためだと、どうしてもそのせいにしたがるところが私にはある。
私はその頃、ひそかにこんな定義づけをしたものだった。
——男には“結婚後の初恋”というものが必ずあるが、“早婚者”ほどそれを重症にしてしまい易い。
私のこの断定の根拠はこうだ。
男の人生を年齢でいくつかの節目に分けていった場合、異性との関わりには五つの段階があるように私は思う。その五つの最初は、思春前期の“性のめざめ”的な異性への関心であり、次は“恋に恋する”観念的な恋愛への憧れに進み、その次は性欲それ自体を持ち扱いかねる季節であり、さらにその次は結婚相手の選択とその実行期である。私がいう“結婚後の初恋”は、その結婚によって一人の異性を限定対象とすることに倦怠《けんたい》を覚えるようになった時期に訪れる、いまひとたびのみずみずしい愛と性との出会いを渇仰《かつごう》する願望で、それから先は性が閉じるまでその繰り返しが続く——という考え方だ。
その五つの節目をかりに、十二歳、十六歳、二十歳、二十七歳、三十五歳とした場合、早婚者は二十七歳で行なうべきことを七年早めてやってしまうわけだから、そこには当然ながら無理が生じる。
“七年目の浮気”という言葉があるが、結婚後七年目あたりで男が結婚に倦怠を覚えるのは洋の東西、今も昔も変わることのないパターンで、その定理に従えば、二十歳で結婚した男は、多くの男達が結婚に踏みきる時期に早くも倦怠期を迎える計算になる。
あらゆる生物がそうであるように、性が生態的な約束事から逸脱することが出来ないとすれば、この早過ぎる結婚と倦怠がもたらすものがどんなものか、容易に想像できよう。
たとえば二十七歳で結婚した男が“七年目の浮気”の季節に到達したときはすでに三十代半ばで、若い独身女性からすれば中年に属する年代だから、そういうことになる可能性は低まるし、当人にも分別なるものが出来てくる。ところがそれが二十七歳だったらどうなるか。適齢期の女性からすれば対象年齢の真只中だから、結婚していようといまいと関心を持たれ易いのは、おそらく三十代半ばの男性の比ではあるまい。
しかも、男の方はいち早く訪れた倦怠期の中で、“結婚後の初恋”への憧れがふくれ上がっているのだから、これはまさに一触即発といっていい。
近頃は私達が若かった時代以上にオフィスラブが盛んなようで、うちの会社でも随分とそういう噂を耳にするが、その三十代半ばの妻子持ちと若い独身女性との関係は、たいていそう長くは保てずに終っていくようだ。しかし男の方が早婚者の場合は、相手が自殺騒ぎを起すとか、離婚につながるといったふうに事はそう簡単には収まらないケースがどうやら多いらしい。
そういう話を聞くたびに、私は自然の理に逆らうことの怖さを思うのだ。
つまり、この早婚者の“結婚後の初恋”とは、言い替えれば人生を二度やることにつながりかねないともいえそうだからだ。
世の中にはそれを羨《うらや》ましがる人も多く、現に大分前だが、いまはもう亡くなった木々高太郎というペンネームで推理小説も書いていた生理学者林髞《たかし》さんの唱えた“結婚二回説”というのが評判になったことがあった。だが私に言わせれば、まだ若い妻と小さな子を捨てるというそんな残酷なことを平気でやれる人間は信用できないし、第一離婚を誠実に(?)実行しおおせるというのは大変な難事業であって、なろうことならそんなややこしいことはしないで済ませた方が、人生いいにきまっている。
自然の理に逆らうということでいえば、早婚者は適齢期結婚と較べれば、当然のことながらいち早く人の親になる。
これは普通早婚の利点だとされている。が、必ずしもそうとばかりは言いきれない。一つには子供に金がかかり始めるとき、つまり塾の進学のという時期だが、同じ年の子供の父親と較べて七歳の年齢の開きがあれば、その年収にはほぼ二割以上の差が出るだろうから、教育費の比率が家計に与える負担の重さはかなり違ってくる。
しかもこのハンデによる開きはおそらく子供が大学に上がるまで続くだろうから、子を持つ親の苦労の度合いは、早婚者と適齢期結婚では相当違ってくるはずだ。
さらに、年々そういう傾向は強くなる一方のようだが、幼稚園の頃から中学まで、夏休み、ゴールデンウィーク、年末年始といった長い休みに子供を連れてどこかへ出かけないと肩身が狭いという、時間、金の両面から父親が負う役割負担がこれまた大変だ。
しかもサラリーマンとしては下積みながら、二十代後半から三十代前半という時期は、新入社員時代と違って、課長や部長から最も当てにされる時期だから、休日も夜も何かとかり出されることがふえ、しかもそこで示す能力が将来を分ける試金石にもなるから、なおざりにするわけにはいかない。
早婚者はその肝腎な時期に、丁度子供連れ旅行における父親としての役割も最も求められることになるわけだ。しかもそれはかなりな出費を伴なうだけに、それによる荷重は並大抵ではない。
私自身そうだったが、しかしいまとなれば君達と一緒に海や山で遊んだ日々をかけがえのないものと思い起す。だが母さんから「……どこかへ連れてってやらなきゃ可哀相よ」と言われるたびに、思わず眉をひそめたのもまたたしかだった。そしてその希望を容《い》れてやれないことが度重なるようなことがあると、「あなたも変わったわね、私達より外の方が楽しいのよね。本当ならまだ独身で通る年ですもの。あなたはきっと後侮してるのよ、あんなに早く結婚なんかしなきゃよかったって」という、あきらかな嫌味を言われることがだんだん多くなった。
そうなんだ、早婚についての後侮の一つは、この言葉に象徴される母さんの私に向ける棘《とげ》を含んだ皮肉を聞かされるやりきれなさでもあった。
そう言いたくなる気持も分らないではない、母さんや君達を裏切っていたこともあったことだし。しかしその母さんの不満を常に背中に感じていなければならなかったのも、私が早婚によって負ったハンデなのだろう。
* * *
——今夜も結局愚痴っぽくなってしまった。しかし、人生などというものは、誰しも何かしらハンデを背負っているもので、それを恨みに思い、うまくいかないことをそのせいにし出すというのは、敗北を予測してレースにエントリーする前から、勝てそうにない理由を並べ立てる競技者のようなもので、潔いとはいえない。
「早婚」というのもそれと同じで、そのゆえにと考えることからして、すでに弱者の自己弁護なのかも知れない。
——君は友人のY君をそう言って激励してやるべきではないだろうか。