いまニューヨークは真夜中の二時だ。
人に誘われて晩飯に出かけたのだが、ワインを二杯もやったら、猛然と眠気に襲われたのが時差ボケのせいだというのは分っていたのだが、といってどうにも我慢が出来ず、早めにホテルに引揚げてきて、まさにバタンキューで寝込んでしまった。ところがこれがまた時差ボケの特徴で、三時間もするとパッと目が覚めてどうにも眠れない。
そこでテレビをつけてみたが、これという番組もなく、チャンネルをしきりと切り替えているうちに、妙な局に出っくわした。それはケーブルテレビなのだが、深夜という時間帯のせいか、いわゆるデートクラブのCMが次から次に流され、その間に申しわけのようにポルノ映画の場面が挿入されるという番組だった。私もトシとはいえ男だ。まして一人っきりのホテルの部屋だから、遠慮なしにテレビの前に椅子を引き寄せてその画面を凝視し続けた。
君も知っての通り、アメリカは日本と違ってポルノ規制がゆるやかだから、さすがに性交場面の局部のアップは見せないものの、女性の部分は露《あらわ》に見せてくれる。
一時間程も眺めていただろうか。ニューヨークにデートクラブがいくらあるかは知らないが、一時間も続くはずはなく、同じクラブの同じCMが何度も登場してくるのにさすがに倦きて、テレビを消し、仕方なくウイスキーを舐《な》めているうちに君に手紙を書く気になった。
考えてみれば、君とこの種の話をしたことはこれまでに一度もない。当り前といえば当り前なことかも知れない。男同士とはいえ実の親子が平気で性のテーマについて鼻つき合わせて話し合ったりするのが健全であろうはずがないからだ。そういう考えの持主だから性教育の必要も認めなかったし、居間のテレビにベッドシーンが出てきたりすると、私は当然の役目として直ちにチャンネルを切り替えた。それが家庭の秩序というものだと思っていたからだ。しかも、私達の他に女が二人いる家庭で、そういうのを一緒に見ていられる神経はとてもまともとは思えない。
だが、君ももはや一人前の大人だし、遠からず結婚ということになる年だ。だったらこのあたりで、一度はこの種のことについて私の考えを伝えておいてもいいのではないか、とそんな気になったのだ。
といって、真正面から性の問題を論じようとは思わない。そんなことを始めたら何十枚書いてもとても言い尽せるものではないからだ。そこでここでは、いま私が見ていたようなポルノグラフィーに限って、思いつくままに書くことにしよう。
日本ではいま、例の宮崎某《なにがし》の幼女殺害事件に端を発して、ポルノ雑誌の自動販売機が問題になっている。それというのも未成年者が自由に買えることによって、宮崎と似たような性犯罪に走る可能性があると、それを惧《おそ》れるせいらしい。とくに女の人にそうした意見の持主が多いようだが、莫迦《ばか》げた話だと思う。
男というものが、何かに刺激を受けてそういう欲情を抱いたら、何がなんでもそれを充足させなければ気が済まない生き物だと思い込んでいるところがおかしい。野生動物の世界にだって性秩序はちゃんとあるし、ましてや高度の秩序社会を形成しているホモサピエンスが性衝動の赴くままに行為に走るはずがない。
もう一つは、私にしても君にしてもだいたい似たようなものだと思うが、性に目覚める時期には誰しもその種のものを目にする機会を持つのが普通で、私などは父親の書棚から画集を取り出し、あの有名なボッティチェリの『春』を眺めては性的昂奮を覚えたものだった。
つまり、なにも淫靡《いんび》なポルノグラフィーでなくとも、男の性衝動は刺激を受けるもので、いくらポルノ雑誌の自動販売規制を強めたところで、それが性犯罪に結びつくというのなら、なんの抑制効果もあろうとは思えない。
しかも日本のポルノ雑誌は肝腎な部分をスミで塗り潰《つぶ》してあるのに対して、アメリカあたりではホテルの売店だろうと空港のニューススタンドだろうと、女性の局所をあからさまに写した写真を満載した雑誌が並んでいる。建前上は日本の税関はそれの持ち込みを許していないが、実際にはかなりな量が入っているはずで、その証拠に高校生あたりでアチラ版のその種の雑誌を見たことがないというのは、ごく少ないはずだ。
では、だからといって中学生や高校生の大半が目を血走らせてそのことばかりを考えているかといえば、そんなことがあるはずがない。そういうものを眺めたいという欲求はたしかに強いだろうし、眺めれば昂奮し、ときに自慰に走ることもあるだろうが、それはその場限りのことに過ぎないと、自分の昔を思い起してそう思うのだが、君はどうだった?
* * *
性が思春期に人にはいえぬ重荷であるのはたしかだし、皆似たような経験をしてきたことは想像に難くないが、成人になってからのこととなると、果して他人はどうなのだろうかまるで見当がつかなくなる。
たとえば今度一緒にこっちへやってきた長年にわたるつきあいの同僚だが、この男はおよそ女性にまつわる噂と無縁な人間で、謹厳実直とまではいわないが、道楽といえば夜の一杯くらいで、それも女の侍《はべ》るバークラブの類《たぐ》いに通うということもない。
その男がニューヨークヘ着いたその日、「ちょっと出かけてくるから」と言うので、「どこへ」としつこく聞くと、「ブロードウェイあたりへ」と答える。こっちはてっきりミュージカルの切符でも買うのかと思って、一緒について行ったら、彼のお目当てはあの辺りに軒を並べるポルノショップで、そこでためつすがめつ、そのものずばりの雑誌とビデオを数点買い込み、揚句の果てに近くのちっぽけでうらぶれたポルノ映画館にまでつき合わされる羽目になった。
「……いやあ知らなかったな、君にこんな趣味があるとは」と、私がからかい半分に言うと、彼はちょっと照れ臭そうにしながら、「もしなんだったら、ビデオを貸そうか、名作といわれてるのを含めて三十本はあるから」と言うではないか。
「すると、夜はその鑑賞ってわけか」
「そうね、毎晩てわけじゃないが、いいのが手に入ると皆の寝静まったのを見すまして自分の部屋にとじこもって見るのが楽しみでね」
人は見かけによらないというが、その告白を聞きながらいかにも物堅そうなその男の顔を改めて見直したものだが、そう言われてみると、頭はすっかり薄くなってはいるもののそのずんぐりとした頑健そうな体躯《たいく》がひどく精力的に見えてきて、なんだか圧倒される思いだった。
私達の年齢になると、「もうその方はすっかり駄目で」などと、いかにも枯れきったようなことを言うのが多いだけに、この男のような人間を見ると、どこかほっとさせられるのだ。
それというのも、自分と同年輩の連中がすっかり現役から引退しているというのに、自分は依然として若い頃とたいして変わらない異性への関心を持ち続けていることが、ひどく後ろめたく、ひそかにそのことを負い目にしていたからだ。
平たくいえば、自分は人並みはずれて好色ではないのかという不安を持ち続けていたのだが、上には上がいたのだ。
君がどうかは分らないが、男が好色であることはけっして不健全でもなんでもないと開き直った方がいいと、私は確信を持ってそう思う、ただ、それが淫靡《いんび》な趣味と化したり、抑制を欠いた行動に結びつかない限りは。