君は、おじいさんつまり私の父が亡くなったとき、たしか五、六歳だったからあまりよく覚えていないかもしれないが、私はその死んだ父のことをこの頃何かにつけて思い起こすことがふえた。
父が死んだのは六十七で、私はすでに結婚して家を出ていて二人の子の父親だったが、まだ三十七歳という年齢だったせいか、死んだ父と自分を重ね合わせて考えるということもなく、そのときはごく普通の肉親の死への悲しみを覚えただけだったが、四十を過ぎたあたりから、自分と父の類似に気づかされる場面に遭遇し、妙に照れ臭く、そしていささかの自己嫌悪を覚えることが多くなった。
私は子供の頃から、どちらかといえば父に対して批判的で、一種反面教師的に見ていた形跡がある。
それというのも、あの人はその職業が彫金という工芸的な仕事だったということもあって、家の中に仕事場があり、そこで弟子というか助手というか何人かの人を使っていたせいで、サラリーマン家庭とは違って公私の区別のない家庭だった。
しかもあの人は、よくいえば芸術家的な性格で、仕事熱心といえばその通りだが、仕事が思い通りにいかないときは神経をピリピリさせ、家族は腫《は》れものにさわるように小さくなっていたから、普通の家庭の温かみといったものとはおよそ無縁だった。
そのくせ、フッと思い立つと写生旅行と称して五日も十日も家を出たまま帰ってこないということもあって、母は私達子供には何も言わなかったが、随分と辛《つら》い思いをしていたであろうことは、ひとりで仕立物などをしているときのその暗い顔が象徴していた。
それだけ仕事熱心でありながら商売下手だったのだろう、家計はあまり豊かとはいえず、母はやりくりにかなり苦労していた様子で、私なんか買いたい本があっても遠慮して言い出せなかったくらいだった。
あの人は酒が唯一の趣味道楽のような人でそんな苦しいやりくりを母に強《し》いながら、自分の遊興費を慎もうといった気遣いはまったくせず、毎晩夜遅く酔って帰ってきて大声を出しているあの人に、私は子供心に憎しみさえ抱いたものだった。
その父も六十過ぎて軽い脳溢血《のういつけつ》を患い、手先が不自由になってからというもの、めっきり気力が衰え、人が変わりでもしたようにおとなしくなり、五勺ときめられた晩酌だけを楽しみに、ひっそりと余生を生きて、そして死んだ。
私は(おやじのような大人にだけはなるまい)と、小さい頃から自分に言い聞かせ、大学受験のとき芸大に進んで欲しいというあの人の懇望を無視して商学部に入ったのは、何がなんでもサラリーマンになろうとそう思ったからだ。そんなふうにおやじの二の舞いだけは踏むまいとそう心にきめていたが、酒好きの血だけには逆らいきれなかった。でもせめてそれで家計を圧迫したり家族に迷惑だけはかけまいと、そのことだけはなんとか守ってきた。
しかし、四十半ばを過ぎ、だんだんあの人の死んだ年に近づき出してくると、あれほど気をつけてきたのに、何かの加減で、(なんだ、これじゃあおやじそっくりじゃないか)とそう気づいて苦笑させられるのだ。
たとえば、仕事の場面で若い人の仕事に対する集中のいい加減さが気になり出すと、軽く文句を言うだけでは収まらず、まるでボクシングでコーナーに追いつめられている相手を情け容赦なく打ちまくるように、とことんやっつけないと気が済まないというところなど、弟子に対するあの人のやり口とほとんど同じなのだ。
あの人のように喜怒哀楽を簡単に顔に出すまいと心掛けてきたつもりなのに、肚《はら》の中がすぐ顔に出てしまい、それで人生随分と損をしてきたのもきっとおやじ譲りなのだろう。
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君はまだ二十代半ばだから、父親である私に似ているなと思うようなことはまだそれほどないかも知れないが、知らず知らずのうちにそれが出てくるものであるならば、私は君にいまのうちに注意をしておきたい。それはせめてここだけは似ない方がいいという、私のダメな部分だ。
もっとも、自分のダメな部分というと、あれもこれも思い出されて、キリがないような気もしないではないが、一つだけに絞るとすれば、やはりこのことだろうか。
この年になって私がつくづく思うことの一つは、人生随分損をしてきたな、という反省だ。
それというのも、私という人間は人生の楽しみ方がまことに下手なのだ。
それはなにも道楽というものとほとんど無縁だということを侮いているのではなく、物事を楽しむ心にすこぶる欠けているのを損だなと思うのだ。
たとえば絵でも焼き物でもなんでもいいのだが、美術工芸愛好という趣味があるけれど、私はそういうものを見ると、つい批判的分析的に見てしまい、「綺麗《きれい》だ」とか「いいな」と、目を楽しませるということがどうしても出来ない。私は、これも父譲りなのかもしれないが、そっちの方にはかなり目が利《き》くつもりなだけに、つい小賢《こざか》しくも出来をあげつらう目つきになってしまって素直に楽しめない自分を、いやな性格だとつくづく思う。
旅に出てもそうだ。美しい風景に出会ったらそれに感嘆するのが普通だろうに、「いつかテレビで見たときの方が余程よかった」とか、「この程度なら写真で見れば済むことで、わざわざ足を運ぶまでのこともないのに」といった具合に、反射的にひねくれた感想が頭に浮かんでしまうのだから困ったものだ。
酒を飲んで、羨《うらや》ましいくらいに見事に酔っぱらっている人を見ると、同じ金を使ってこうも違うものかと、なおさらシラけて酔いが醒めるのもそうなら、好きな相撲を見に行って、本気で昂奮して力士に声をかけ、贔屓《ひいき》が勝てば手を打ち鳴らして狂喜する周囲の人達を見ると、相撲好きなら人後に落ちないという自負が、にわかに怪しくなる。
人間の喜びの中で最も大きなものは、恋の成就ではないかと、私はそう思う。
だが、その点でも私は情けない。恋が成就したその途端に、ワタ飴がしぼむように、その相手の魅力がみるみるうちに色褪《いろあ》せ輝きを失っていくように感じられ、(恋は成就の手前までが華《はな》なのだ)と、相手には間違っても聞かせられないようなことを、ひとりひそかに思ってしまうという人間なのだ。
家族に対しても、本心をいえば私はとことん冷たい人間のような気がしてならない。
家族旅行に出かけたとき、似たような一団を見るたびに、てらいも気取りもなく家族の気持のつながりをむき出しにして楽しんでいる様子に、(あれが家族というもので、他人の目ばかり気にして人前を取り繕《つくろ》うことにだけ気を遣っている自分のような人間は、本質的に家族に対する愛に欠けているのではないか)と、自分という人間がつくづく嫌になってくるのだ。
結局、人生をエンジョイするということ、あるいはエンジョイできるということは、人目を気にせず、自分に没入できるということなのかもしれない。
そう考えると、私という人間は、おそらく何かにつけて自信がないから、他人の目にそれを気取られまいと、つい身を鎧《よろ》い、その余り本来楽しんでいいはずのものを前にしながら竦《すく》んでしまって、つい格好をつけてしまうのだろうか。
私が見るところ、君はもっと率直で快活だからそんなこともあるまいとは思うが、私のこの物事に素直になれない性格ばかりは君に譲りたくないなと、切にそう思うのだ。