この間の日曜の晩飯のとき君は、「組合の執行委員を押しつけられちゃった」と言ってちょっと迷惑そうな顔をしていたが、そのことについて今日は書く。
君は今年二十五になるわけだが、君のように若くて、およそ左翼と縁のないノンポリを執行委員に選ぶとは、いかに成り手がないかということの証明みたいなもので、近頃の組合運動の低調ぶりが窺《うかが》えるということもある。
しかし、君は迷惑そうな顔をしていたけれど、僕に言わせれば、いい機会だから怠けず真剣にその仕事に取り組むべきだな。
ところがそう言う僕は、若い頃からずうっとそうだが、組合というものにどうしても馴染《なじ》めず、組合の職場会なんかにもほとんど出なかったし、もちろん執行委員会なんてものには一度もなったことがなかった。
だからといって右翼的な物の考え方だったのかといえば、むしろその逆だった。なにしろ私なんかは、戦後の左翼全盛期に高校大学生活を送った世代で、マルクスの一つもかじっていないと肩身が狭くて、皆から莫迦《ばか》にされるような時代だった。
占領軍も日本の軍国主義、天皇制を根こそぎ一掃して民主主義を確立しようと、社会主義者の後ろ楯になって組合結成を促進したり、デモや争議の後押しをするという、いまからはとても考えられないような姿勢だったから、学生のほとんどは左翼かぶれだった。
私もその例外でなく、出来立ての全学連のデモに参加して警官隊に追いかけられたりしたものだが、就職してからというもの、労働組合のリーダー達の、妙に思い上がった態度や、教条的な物言いに耐えきれず、組合活動から次第に遠のいていき、すっかりノンポリ的労組無関心派に後退してしまった。
しかし、高度成長が進み生活水準が上がってくるにつれて、その労組も次第に力を失い、団体交渉もおざなりというよりはナアナアになって、真剣な労使対立などにはめったにお目にかからなくなった。
そうこうするうちに、あの強大な組織だった総評が解体し、新たに結成された革新色の稀薄な「連合」を中心に、労働新時代の幕開けが取沙汰《とりざた》されるご時世になった。
金持ち国日本がそうなるのは分らないではないが、その戦後思想のバックボーンのようなマルクス・レーニン主義までが総本山のソ連でまで否定されかねない状況が発生し、そのペレストロイカの津波でドミノゲームのように東欧諸国が民主化という名の資本主義化への道へなだれを打って転向していったのだから、軍国少年からマルクスボーイに変身してきた私のような人間には、感無量というしかない。
こうなってくると、日本の労働運動なるものが、これからいったいどうなっていくのかまるで見当がつかず、あれほど労組に冷淡だったくせに、やたらといまそのことが気になってならない。
しかし、そのことはこの手紙の主題ではない。君に言っておきたいのはそれとはまったく次元の異なる事柄だからだ。
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私が君くらいの頃の組合運動というのは、まさに切実な生活給獲得の闘いが中心だった。それはたしかに上部団体の掲げるスローガンは政治的な主張に満ちていたが、下部の単組はその前にどれだけ会社から金を引っ張り出すかと、たかだか五百円という金額を獲得するためにストをちらつかせながら、激しい攻防をやったものだ。
当時の労働組合では“生活白書”という組合員の生活実態のアンケートを取りまとめて、会社側にアピールするのが一つの流行だった。
給料前の十日間に限って禁煙するというヘビースモーカーの切実な訴えもあれば、質屋に出し入れする収支実態を一年にわたって記録した数字のリポートも提出されたし、“肉なしデー”が一ヵ月に何日あるかという一ヵ月間の献立内容を克明に披露するというのもあった。おかしいのは、給料前になるとトイレットペーパーを買うゆとりもなくなることから、亭主は会社で用足しすることを強制されるという嘘のようなエピソードまで書かれていた。
それらを取りまとめた“生活白書”を読んでいると、組合嫌いの私なんかでも、(これはヒドイ)と眉をひそめることが多く、「それは個人の生活態度の問題ではないか」と、冷たくつっぱねる会社側に憤りを覚えたことがあった。
しかし、後になって、会社側の立場に立たされるようになると、その頃の団体交渉でのやりとりが甦《よみがえ》ってきて、組合員という若い社員達の本音の要求にもっと耳を貸さなければならないなと、独善に陥ってはいけないという自戒の気持が湧いてきて、(あれはいい勉強だった)と、改めてああいう経験をしてきたことの意味をかみしめたものだ。
そう思うのはおそらく私だけではあるまい。いまの経営者達のほとんどがそういう体験を若いうちにしていて、組合のリーダー経験のある人も少なくないはずだから、組合と聞いただけで毛嫌いしたりというふうにはならないに違いなく、それがいまの日本の労使間を健全なものにしているといえなくないかもしれない。
それに対して、世襲で親の跡を継いで社長になったような人は、頭では分っているつもりでも、社員の考えていることの奥の奥となるともう一つピンとこないのではないか、という気がしてならない。現にそういう同族会社で労使対立が起きると、こじれなくてもいいはずのことが行きつくところまで行ってしまうという泥沼にはまり込むケースがよくある。
そういうのを見ていると、自分があれほど組合に不熱心だったのを棚に上げて、自分から進んででも組合の仕事をしておいたほうがいいとつくづくそう思うのだ。
人の痛みを知らない人間に人がついてくるはずがない、とはよく聞く言葉だが、こういう豊かな時代になってくると、なおのこと人の痛みが見え難くなってくる。その意味で組合の仕事をやっていると、おそらくこれまでは見えなかった人の痛みが見えてくるに違いない。
組合の仕事をやることによるもう一つのプラスは、会社の中を横断的に知ることが出来る点だ。君のところは三千人程の従業員数と聞いているが、そのくらいの規模になると、自分の属するセクションと、それに直接関係のある部門以外のことは、一つ会社にいながら、よその会社以上に分らないものだ。ところが組合という各職場の総合体の執行部に身を置くと、その見えないはずの会社の各部門の実態がすべて総覧出来るようになる。
つまり全軍を見通せる本営の総大将のように、会社全体の、それも下部の端までが見えてくるのだから、もし将来、会社の幹部を目指そうと志す人間なら願ってもない経験ということが出来る。
もう一つのプラスは、会社のトップと膝を交えて話が出来るという点だ。社長の話など、年に一度新年の挨拶《あいさつ》でおざなりな訓話を聞かされるくらいだろうし、役員達とも話す機会などまずないというのが一般社員の常だが、組合の執行部の一員ともなれば、遠慮会釈なしにかなりつっ込んだ話合いが可能になる。
こういうと、いかにも自分を売り込む絶好のチャンスのように受け取られるかもしれないが、そんなケチなことを言いたいのではない。会社のトップの考えていることが自分の身で確かめられるからであり、その将来が少なくともいままで以上に展望可能になるからだ。
ただし、一つだけ気をつけなければならないのは、いい気にならないということだが、とにかく真剣に取り組むだけの価値はたしかにある仕事だと思う。