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男とは何か34

时间: 2020-09-27    进入日语论坛
核心提示:第三十四信「一年の計」について この正月の初出勤のときの、君の会社の社長の年頭挨拶《あいさつ》はどうだった。 私のところ
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 第三十四信「一年の計」について
 
 この正月の初出勤のときの、君の会社の社長の年頭挨拶《あいさつ》はどうだった。
 私のところは四百人ほどの所帯だからホールに全員集めて社長が話をするのだが、君のところのような大会社となるとそうはいかないから、いま流行《は や》りの社内テレビ放送だったんだろうが、アレは緊張を伴わないだけに話す方も聞く方もノリがもう一つじゃないのかな。
 それはどうでもいいことなのだが、この社長の年頭挨拶というのは、その上手下手に拘《かか》わらず、聞きようによってはなかなか面白いもので、ボンヤリ聞き流すのは社員として損だと思うのだが、現実にはちゃんと耳を傾けるのは一割といない。
 君のところは大会社のエリート社長らしくおそらくソツなく社員を飽きさせない要領のいい話し方をするのだろうが、私のところはオーナー社長だから、社員がどう思おうがお構いなしで言いたいことを言いたいだけしゃべるから本音が聞けて面白い。もっとも大方の社員とすれば迷惑この上ないだろうが。
 だいたい社長の年頭挨拶にはハンで捺《お》したような型があって、一に国際経済を含めてのマクロの環境論、二に自分達の属する業界の去年から新年へかけての動向と見通し、三にわが社の今年の重点目標、そしてとってつけたように皆の健康を祈って終るのが常だ。
 このうち、一番目のマクロ論は、どうせ正月休みにテレビや新聞を眺めて、政治家や経済評論家、財界首脳といった人達の「年頭所感」の中からメモをとってつなぎ合わせたものだろうからどうでもいいし、二番目の業界の動向も新入社員でない限りすでに常識に属する事柄だからおそらく目新しい中身はないだろうが、三番目のわが社の重点目標には耳を澄ませるべきだ。
 といって、まともに聞いたのでは、先刻承知のおざなりな中身のはずで、“行間を読む”という言葉があるがその裏を聞き取って欲しいのだ。
 だいたい社長という立場は、会社の実状がかりにどう悪かろうと社員にそれを明らかにするようなことはしないもので、その逆に社業が好調で見通しが明るいときは、慢心を戒めようとかえって厳しいことをいうものだ。その辺をよくのみ込んで耳を傾ければ、社長の口調から、自分達平社員の与《あずか》り知らない役員会の席で、どのような問題意識で論議がかわされているのかを察しようとすればそれもけっして難しいことではない。
 たとえば会社として新たに挑戦する新規事業があったとする。それに対して会社がどの程度の期待を寄せているかを占うのには、社長の年頭挨拶の中でそれがどの程度強調されるかで推し量ることが出来るし、社長がなぜか軽く触れただけでそれ以上言及しない場合には、それがどんなに大型プロジェクトであっても、その計画にすでに翳《かげ》りが生じ出しているのを察することが出来るものだ。
 もう一つ社長の年頭挨拶の聞き方のコツとして重要なのは、ああいう立場の人は得てして「会社の将来に備えて」という言葉を多用するが、その前置きはあまり信用しない方がいいということだ。
 それはたしかに会社を預かる社長として、会社の将来の一層の発展のための布石《ふせき》を考えないはずはない。だが、実際に先々に備えるというのは生易《なまやさ》しいことではなく、建前上は「五年先、十年先を見越して」と言うが、本音として見通せるのはせいぜい三年先までで、それから先の視界は茫《ぼう》と霞《かす》んで、それに向けて具体的な手を打つことなどほとんど不可能というのが現実なのだ。
 まして技術革新のスピードが速く、市場ニーズが猫の目のように変わるこの頃では、長期的な見通しの下に多額な投資に踏みきるというのはかなり勇気を必要とするから尚更だ。
 しかも、社長といえども個人としてはサラリーマンに過ぎず、その上任期は二年で、それを三期続けて無事に役目を終ることが出来るのを目標としている立場だ。その六年にしても、なりたての一期目は前任者の敷いたレールの上を忠実に走るだけの勉強期間で、二期目に入って徐々に自分のカラーを打ち出し、本格的に社長として社内に威令を行なえるのは、実は退任前のほんの短い期間というのがよくあるパターンだ。これでは会社の先々を考えて適切な手を打っておくことなど、実際には出来ない相談というのが、世の「社長」の現実というものなのだ。
 さらにいまの大企業というのはたいていが合議制で、社長になったからといって独裁的なことをやったら、たちまち下の支持を失ってはじき出されるから、実質的にはまとめ役の域を出ず、もし「社長の決断を」と、役員社員がその顔色を見ることがあったとしたら、それは会社にとって一種の危機的状況に違いない。
 ——そんなふうに考えて、改めて今年の正月に聞いた社長の年頭挨拶をもう一度反芻《はんすう》してみるといい、きっと思い当ることの一つや二つはあるはずだから。
                             *    *    *
 さてそこで、君がもし自分自身の今年について年頭挨拶をするとしたらどうなる?
「今年は去年の続きさ」と言ってしまえばそれまでだし、事実は結局のところ事もなくそうなって今年もまた終るかも知れないが、若い君にはそんなすれっからしのような気持にはまだなって欲しくない。
 たしかにサラリーマンというものは、集団の中の一人として大きな流れの中でどう個人として能力発揮が出来るかという、いってみれば枷《かせ》の中の努力しか許されない存在だが、そう思い屈してしまうというのはすなわちレースを捨てたことになるのであって、いまの君がそうであっていいはずはない。
 もし私が君だったら、おそらくこんなことを考えるのではないかと思う。
 まず第一は、サラリーマンになって二年、ようやく良くも悪くも自分の癖、偏りというものがよく見えてきた時期だろうから、その部分に目標の的を絞る。
 おそらく君自身気づいていることだと思うが、君は一人のビジネスマンとしてかなり積極的な部類に属するものの、その一方で物事の後始末が不十分なところがあるんじゃないだろうか。具体的に言えば、計画書の立案には熱心でかなり意欲的に取り組むがその一方で、事が進み出してからのリポートや伝票整理、請求書類の処理といった仕事はついついなおざりにしているのではないかという点だ。
 なんでそんなことまで分るのか、と君は思うかも知れないが、子供の頃からずっと君を見てくればそのくらいのことはおおむね察しがつくものだ。ついでにもう一つ二つ君の弱点を挙げれば、君は必ずしも人との約束時間を正確に守る方ではない。今日の仕事を明日に延ばすというあまり褒められない癖の持主でもあるんじゃないのかな。
 もしそうだとしたら、せめてこの三点の好ましからざる性癖を、意図的に矯正することを今年の目標にしてみたらどうだろう。その結果半分でもそれが直ったら、これは君の人生の先々にとって大変な収穫になるはずだ。
 そういう私にしても、子供の頃からの悪癖なら君に負けないくらいいろいろとあった。たとえば小学生の頃は朝母親に起こして貰わなければ起きられないタチだったが、戦争中海軍の工場に勤労動員に行かされたとき、何かにつけて「五分前」を定刻として守るクセをつけさせられ、そのおかげで朝起きるのも定刻五分前にはパッと目が覚めるようになり、私はそのことをいまだに感謝しているくらいだ。
 そんなふうに私の場合は他力本願だったが、それを自主的に目標を立てて克服できればそれに越したことはないわけで、君がこの新しい年の始めにそんな気持になってくれたらと思ってこんなことを書いてみた。
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