ソウルの金浦《キムポ》空港は、首都の国際空港としてはどことなくきらびやかさを欠いている。
乗り継ぎの時間まで二時間あった。一緒に降りた日本人観光客のなかには、時間つぶしのためリムジンで市内観光に出かける者も多かった。
舞子は指定された通り、二階に上がり、VIP用のラウンジを探した。表示はすぐ見つかった。入口で航空券を見せると、係員はにっこり頷いてくれた。
ホテルのロビーに似たつくりだが、壁際には、机やパソコン、電話の揃《そろ》った事務用のコーナーもあり、白人男性がひとり、受話器に向かい英語でしゃべっていた。
窓際の椅子《いす》が全部空いている。外の景色を見たい気がして、そこに坐る。しかし、目の前は飛行場ではなく、ただの空港駐車場なので期待は裏切られた。
あとからはいってきた家族連れがソファーに坐り、ジュース・ボックスを開け、好きな缶を取り出して飲み出す。中年の父親はビール缶だった。
舞子も立って行き、人参の絵柄のついた缶ジュースを選んだ。ハングル表示だから何ひとつ読めない。飲んでみると、案の定、人参ジュースだが、薬草の味が舌に残る。いかにも韓国風だと思った。
駐車場には、ひっきりなしに車が出入りしている。一般乗客用ではなく、空港出入りの業者のための駐車場らしく、バンや商用車が多い。車が一台出口を塞《ふさ》いでいる。建物から出て来た男は、自分の車の前にあるその乗用車を手で押して通路を空け、何事もなかったように出て行った。サイドブレーキが引かれていないのだ。そこへまた別の小型トラックがはいり込み、さらに入口を、あとから来た乗用車が平気で塞ぐ。
今度はその前に停めていた乗用車に運転手が戻って来て、前後の車を丁寧に押しのけて間隙《かんげき》を作り、そそくさと出て行く。
日本を出るのは初めてなのに、日帰り旅行をするかのように平常心でいられるのが不思議だった。
病院があるのはブラジルだと辺留無戸から知らされたときは、さすがに驚いたが、それも次の瞬間には、納得していた。サンパウロからさらに四時間東に飛んでサルヴァドールに着く。病院はそこから車で一時間半の海辺にあるらしかった。
「旅費も滞在費も、すべて用意してあげます。あなたは、大船に乗った気持でそこに行き、無事に赤ん坊を生めばいいのです。周囲の人には一年間の留学だと言っておいたらどうでしょう」
石庭を前にして、辺留無戸は笑いかけた。実際、途方もない大船、跳んだりはねたりしてもびくともしない、空母のような大船に乗っているような気分になった。
パスポートもひとりで取りに行ったし、東京のブラジル大使館に電話をして、必要書類を揃えて、郵送でビザ申請もした。
「妊娠したら一度日本に戻って、また出国してもいいのです」
辺留無戸は、スケジュール表と片道の航空券を舞子の前に置いた。
飛行機はソウルで乗り継ぎになっていた。
「ソウルで、もうひとり、あなたと同じ目的でブラジルに行く女性が乗ります」
数枚重ねの航空券をもの珍し気に眺めている舞子に、辺留無戸は言い添える。
「そうすると、その病院には、いろんな国からの人が集まってくるのですね」
「そうです。世界で唯一、その病院だけが技術をもっているのです。いいところです。白い砂の海岸が何キロも続き、ヤシの林が海辺を縁どりしています。ほらちょうど、日本の海岸に松林があるでしょう。松の代わりにヤシがあって、その緑の中に病院が建てられています」
「行ったことがあるのですか」
舞子は訊いた。
「四年前でしたか、そのときはまだ建設中でした」
辺留無戸は太鼓判を捺《お》すように、ゆっくり頷いた。
会社には辞職願いを出した。理由を訊かれて、一年間アメリカにホームスティをしに行くのだと答えた。本当は南米だが、アメリカには変わりはない。びっくりした社長は、戻ってきたらまた働くように言ってくれた。あの五十万婆さんも同じことを口にしたが、舞子は内心で、あなたがまだそこに居続けているかぎり再入社なぞする気にならないと、舌を出した。
社員たちは、いきつけの居酒屋で送別会を開いてくれた。ビルの地下にあるその店は魚料理が専門だが、宴会のときなどコースで頼むと味が落ち、単品でとったほうが値段もさして変わらないのにうまかった。もちろんそのときも単品で頼み、舞子はしばらくの食べおさめだと思い、初めから毛ガニと格闘した。社長と五十万婆さんも少し遅れてかけつけた。てんでに短い挨拶《あいさつ》をしてくれたが、いつの間にか、自分がシンデレラガールか、一念発起の勉強家にされていることに気がついた。カナダの一富豪にメイドの仕事はないかと手紙を書いたところOKの返事が来た。ホームスティをしながら、近くの大学で英語の勉強をするのだ。おめでとう。偉くなっても、このちっぽけな会社で働く自分たちを忘れないでくれ。そんな具合だ。
最後に立たされた舞子は、新大陸に行くとか人生の勉強のやり直しとか大袈裟《おおげさ》なものではなく、少しばかりの休暇です、と答えた。これがまた、なるほどと社長たちを納得させた。恋人に急死された痛手を癒《い》やしに外国に行くのだと、思い直されてしまったようだった。
訂正する気もおこらなかった。
明生は一緒なのだ。生きている。彼がついているから不安も感じない。
ハネムーンと同じなのだ。遠いブラジルにハネムーンに行き、そこで妊娠する。
実家のほうには、辺留無戸に言われた通り短期留学だと手紙で知らせた。行く先はどこか、期間はどのくらいか、費用はどうなっているのか、一度帰ってきたらどうかと母親から返事が来たので、電話をかけ、急に決まった話なので帰る余裕はない、費用の心配もいらない、向こうに着いたら手紙を出すと答えた。
娘がホームスティで外国に行く話など、田舎でも珍しくもなくなっている。ブラジルというと昔は移民船がよく出ていたけど、今は留学なんだね、と母親は妙なところで感心していた。
ブラジルについては、舞子自身も大して知らない。サッカーが強い国、赤道に近いところにアマゾン川が流れている。あとはリオのカーニバルの様子を、週刊誌のグラビアで見たくらいだ。
広すぎて、日本の観光案内書もほんの一部だけを載せているに過ぎません、行ってあなたの目で見るのが一番、と辺留無戸は陽気に口元をゆるめた。それでも舞子は地図のはいったガイドブックを一冊買ってきて、辺留無戸に見せた。せめて、病院がどのあたりに位置するかくらいは、知っておきたかった。
この辺です、と彼はサルヴァドールの北の海岸を指さした。地図の上には地名も書き込まれていない。アマゾン川の長さだけがやたらと目立つ。舞子はそれ以上|詮索《せんさく》するのをやめた。
「途中何があっても心配はいりません。飛行機の中はちゃんと乗務員が面倒みてくれるし、現地につけば、エスコート要員がいます」
辺留無戸は言った。要員という言葉が僧侶《そうりよ》の口から漏れたのを、舞子は奇妙なとりあわせだなと思った。
このラウンジ内にも、要員がそれとなく配置されているのだろうか。舞子はそっと室内を見回す。受付にいたのは制服の職員で、衝立《ついたて》の陰になって見えない。ソファーには先刻の家族連れと、中年のビジネスマンらしい四人組、ディスプレイと電話のついたコーナーに坐っているのは白髪の紳士、コーヒーコーナーのストゥールには中年男性と若い女性のカップルが腰かけている。
ひとりでいる白髪の紳士は七十歳くらいだろう。コーヒーサーヴァーの前ですれ違ったとき、男性香水の匂《にお》いがした。白人はこんな年齢になっても香水をつけるのだろうかと思った。
どこにも要員らしい者はいない。要員が配置されるのは飛行機に乗ってからだろうか。搭乗券を取り出してみる。プレスティージ・クラスと書いてある。エコノミー・クラスでないのは確かだ。旅費も滞在費も出していない丸抱えの旅行なのに、申し訳ない気がする。費用はいったいどこから出ているのだろうか。
それを尋ねると、辺留無戸は平然として、心配いりません、教団は信者を援助するくらいの資金は充分にあるのです、と答えた。本来なら、信者が教団になにがしかのお金を納入するのが通例だろうが、舞子はびた一文支払ったこともない。第一、信者になったという取り決めさえもしていないのだ。ただ辺留無戸の僧庵《そうあん》に出入りして知り合いになったに過ぎない。
合衆国には、牧場を所有し、スーパーマーケットのチェーン店を経営する裕福な教団があるとも聞く。辺留無戸が所属しているのもそういった類《たぐい》なのかもしれない。利益は、慈善事業のように、信仰の道にはいりかけた者に対して、惜し気もなく使われるのだろう。
明生も一緒だから、これはハネムーンだと思っていい。
不安にかられないのも、いつも傍に明生がついていてくれるからだ。
明生はこれまで香港とシンガポールには行ったことがある。知り合って以降はどこにも行っていない。国外に出るよりも、舞子とここにじっとしているほうが良いと、明生は笑った。でも次に出かけるとしたら舞子が行きたい所にする。それまでじっくり考えておくようにと、明生はつけ加えた。
行きたいところはたくさんあった。しかしそのなかにブラジルははいっていなかった。
「驚いたでしょう?」
舞子は明生に問いかける。
「いやたぶんこうなると思っていた」
明生は驚かない。「舞子が選ぶとしたらありきたりのところではない。きっといいところ」
真顔のまま、ボサノバ風に口笛を短く鳴らした。
セカンドバッグの中から、南米の観光案内を取り出す。書店の旅行コーナーに、何種類もの南米編があったのには驚いた。北米やヨーロッパなら当然だが、ブラジル・アルゼンチンまでもがちゃんとシリーズの中に加えられている。しかし、ブラジルのみという案内書はない。なるべくブラジルに頁を多くさき、カラー写真の多いものを選んだ。
ちりばめられた写真を眺めただけでも、ひと筋縄ではいかない広さであるのが分かる。地図では小さな国だと錯覚してしまうが、写真には、海岸あり、高層ビルあり、アマゾンありで、登場する人物も、白人から褐色の肌、黒人、東洋人とさまざまだ。いったい何がブラジルかと問われれば、世界にあるものすべてが揃っている国、それがブラジル、と旅行書は前書きで宣言していた。
本の中に一枚、海辺の写真があった。砂浜と海と空だけの単純な写真だが、左の隅に二人の人物が写っている。ひとりは子供で、しゃがんで砂遊びをしている。もうひとりはその母親だろう。子供の傍《そば》で後ろにそり返り、右手を地面につけ、左手を空に向けている。ダンスの一ポーズのようだ。身体《からだ》の線が美しい。二人とも褐色の肌で、母親の白い水着と子供の白いバケツだけが、光を反射している。
写真の説明には、バイーア地方の海岸とだけ記してある。
舞子はその一枚を眺めて想像をたくましくする。海には島影ひとつ見えない。なるほどそこは大西洋だ。白い波頭の高さを見ても、かなり強い海風が吹いている。かといって空は群青《ぐんじよう》色で、ほんの一片だけ薄い雲が浮かんだ快晴だ。黄色味がかった砂浜には、足跡がひとつとしてない。とすれば、この浜は海水浴場ではなく、ありきたりの海岸で、浜は何キロにもわたって続き、近くにこの母子の住む小さな村があるのだろう。
こんな海辺に行ってみたいと思った。明け方、あるいは陽の沈む夕方でもいい。明生と並んで、こんな渚《なぎさ》を歩くのだ。靴も脱ぎ、身につけているものも全部脱ぐ。手をつないで砂を踏みしめる。手を放して、明生の前を走っていく。また手を取りあって、波の中に進んでいく。
白亜の病院は、海岸のヤシ林に囲まれて建っているという。
仕事からも、街の喧騒《けんそう》からも離れて、何ヵ月もそんなところで暮せるなんて、夢のようだ。辺留無戸と不動明王に感謝しなければいけない。
蛾眉《がび》山の眉山寺《びざんじ》で、雪の日に見た不動明王像を思い出す。明生を亡くして悲嘆の底にいた目に、不動明王の形相は無言の救いになった。はじめ、あの真紅な口と背中の炎は、起きた不幸を怒っているように見えたが、しばらく眺めていると、嘆き悲しんでいるこちらの心を叱《しか》りつけているように思えた。悲しいだろうが、まだこの世の終わりなんかではない、顔を上げて生きよ、と不動明王は全身で語りかけていた。
如来様の慈悲|溢《あふ》れる顔と身体も、この世の中を生き抜くためには、時としてあのような険しさをまとわなければならなくなるのだ。理にあわない不幸や邪悪を叱責《しつせき》し、共に怒ってやり、一方で、うちひしがれてしまっている衆生にも、喝を入れ、鼓舞してやる。
不動明王が明生と自分を救ってくれ、その仲介役が辺留無戸だった、と舞子は思う。
出発三十分前になっていた。舞子はバッグを持って化粧室にたつ。鏡の中で化粧直しをしているとき、もうひとり女性がはいってきてキャビネットの中に身を入れた。はっとするほど美しく、エアホステスかと錯覚したほどだ。
韓国人女性はおしなべて美しかった。引き締まった身体つきで、肌も白い。しかも顔の美しさが、日本人とは異なっている。日本人女性が丸みをもった美しさだとすれば、韓国人女性は鋭角的な美しさをもっている。
ラウンジを出て、出国検査を受けたあと、二十一番ゲートの近くで待機した。韓国人旅行客に混じって日本人の旅行客も何人か目につく。やはり、顔の丸みと、ふっくらした身体つきで、その見分けは案外やさしい。なかには、英語でもない外国語をしゃべる日本人もいるが、おそらく日系のブラジル人だろう。ラフな服装で、通常の日本人とは見分けられる。
ゲートの前でアナウンスが始まる。まず韓国語、そして英語、三つめは別の女性に交代する。多分ポルトガル語だろう。なめらかで、踊っているような言葉だ。最後に日本語に切り替わって舞子はほっとする。それがなければ、何ひとつ理解できないところだった。アナウンスの内容は、五分後に搭乗を開始する、混雑防止のため、車|椅子《いす》利用の乗客と七十歳以上の高齢者、赤ん坊をつれた客を優先、ついで座席番号三十番までの乗客が先になるというものだ。
搭乗口を眺めていると、車椅子に乗っているのは若い男性で、片足がそっくりギプスにはいっている。他の怪我《けが》はないようだから、サッカーか何かをしていての骨折だろう。赤ん坊連れの母親が三人もいるのには驚かされる。二人は東洋人、ひとりは黒人だ。サンパウロまで三十時間、途中のロスアンジェルスで降りるとしても赤ん坊にとっては大変な長旅だ。
しかし赤ん坊は三人とも泣いてはいない。二人は母親に抱かれて眠っており、もうひとりも、韓国人らしい母親の胸におさまり、上機嫌で周囲を見回している。
自分もやがて、赤ん坊を抱く身になるのだと思ったが、実感が湧《わ》かない。赤ん坊は明生との愛の結晶だから、どんなにかいとおしいだろう。それは想像がつく。しかし、抱いて母乳を与えるのは、まだまだ遠い先のことのような気がしてくる。
明生と自分が結ばれてできる赤ん坊。考えただけでも、胸が熱くなる。その子のためには、何でもしてやれそうだ。どんな苦労でも引き受けられる。巣の中に残した雛鳥《ひなどり》のため、何回も何回も餌《えさ》をとっては戻る、ひたむきな母鳥。自分もあんな風になるだろう。
赤ん坊が歩くようになれば、手を引いて公園まで連れていく。海の見える高台に上がり、沖を行く船を見せてやろう。もう少し大きくなったら、プールに一緒に行ってもいい。明生と知り合った場所で、泳ぎを教えてやろう。
もう一度アナウンスがあり、番号の若い乗客が席を立って並び始めた。舞子も立ち上がる。
通路のガラス窓越しにジャンボジェットが見えた。機体の入口にいたホステスは、舞子の座席券に眼をやり、二階ですと日本語で言った。
二階席は中央に通路があり、青味がかったシートが左右に二席ずつ配置されている。そこにもホステスがいて、舞子を左前方窓際の席に坐《すわ》らせた。手荷物を棚に入れるか、これも日本語で訊《き》かれ、断った。
座席が半分ほど埋まったとき、右側に女性が坐った。ラウンジの化粧室で見かけた韓国美人だ。眼が合ったとき微笑しただけで、すぐにパンフレットに手を伸ばして読み始める。舞子もそれにならった。英語、韓国語の他に日本語の案内があった。隣の女性が読んでいるのは韓国語版だ。
長旅の間、お互いに何も話しかけられないほどつまらないものはない。英語にも大して自信はない。韓国語は文盲に等しい。漢字なら少しは通じるかもしれないと思い、バッグの中に入れた手帳を思い浮かべた。
「どちらに行くのですか」
隣の女性が訊いてきたのはそのときだ。語頭の濁音が少し清音がかって聞こえた他は、立派な日本語だった。ブラジルまでです、と舞子はほっとして答える。
「わたしもです。嬉《うれ》しいです。名前はイ・カンスンと言います」
舞子は嬉しくなって自己紹介をする。
「イ・カンスンというのは、どんな字を書くのですか」
音で覚えておくよりも、字でのほうが頭にはいりやすい。舞子はさっそく手帳を取り出した。
「このボールペン、かわいいですね」
ペリカンの顔を形どったボールペンをしばらく眺めて、白い頁に〈李寛順〉と書く。なるほど、漢字なら絶対忘れない。
李寛順はまだボールペンをしげしげと見つめ、ノックを押して芯《しん》を出し入れしている。明生がデパートの文房具店で見つけてくれた物で、形と色が気に入り、もう二年ぐらい使っている。
「ここが目で、この爪《つめ》のところがくちばしですね。本当に良くできている」
寛順は感心しながらボールペンを返した。「マイコというのはどう書きますか」
今度は舞子が同じ頁に自分の名を書く番だ。下の方にローマ字読みもつけ加えた。
「舞子というのは、芸者さんのことも言うのでしょう」
寛順が訊く。日本に関する知識も相当なものだと、舞子は舌を巻く。
「ええ、同じです。わたしは、踊りや唄《うた》など少しもできませんけど」
「姓と合わせて、いい名前。北の国に春が来て、蝶々が舞っているような」
お世辞でもない口調で、寛順は言う。「それとは反対に、わたしのほうは強い名前なのです」
「そんなふうには感じませんけど」
手帳に書かれた漢字に眼をおとす。優しそうな名前ではないか。
「この名前だと、韓国人は十人中十人、ある人物を思い出します」
寛順は言いさす。整った顔が、当惑したように舞子に向けられた。
「どんな人ですか」
「韓国のジャンヌ・ダルクです」
思い切ったように言う。「日本からの独立を唱えて運動を起こし、投獄されて死んだ女性です。亡くなったのが十六歳ですから、十代で死んだジャンヌ・ダルクと似ています。火あぶりにはなりませんでしたが、日本軍から、拷問《ごうもん》を受けて死にました」
寛順が言いにくそうにしていたのも、そのせいだったのだと舞子は思う。
「すみません」
「いいです。舞子さんが謝る必要はありません。ずっと昔の出来事です」
昔と言っても、江戸時代や明治時代の話ではない。相手の立場になって考えてみれば、やっぱりすみませんと頭を下げるしかない。
ホステスが食前酒を配り始める。プラスチック製ではあるが、ちゃんとワイングラスの形をした容器が置かれ、アルコールが注がれた。シャンパンに近い味がして、すぐにでも酔いそうな強さだ。
隣の寛順はもうグラスを空けていて、配られたメニューに見入っている。
英語とハングル、日本語で書かれているので舞子にも分かる。前菜とメインディッシュはそれぞれ三種類の中から選択できるようになっていた。料理人などいるはずがないのに、どうやって注文の品の数合わせをするか舞子は心配になる。
子羊の肉かプルコギか迷った末に、後者にした。寛順へのすまなさをこめたつもりだ。
「何だか太りそう」
舞子は正直な感想を口にする。
「本当に」
寛順も頷《うなず》く。「通路をジョギングするわけにもいかないでしょう」
「かといって、食べる量を少なくするのも難しい。出されたものは全部食べる癖がついていますから」
すらりとした身体つきの寛順に比べて、舞子のほうは丸みを帯びた体格で、二キロや三キロはすぐ増えてしまう。
「夕食は全部食べて、次の食事からは思い切り残しましょう」
何を根拠にしたのか、寛順が説得力のある提案をした。
前菜のテリーヌ、生野菜のサラダ、マッシュルームのスープ、そしてプルコギが、広々としたトレイに所狭しと置かれた。
飲み物は、ホステスがワゴンに十数種のボトルを載せて運んできて、自由に選ばせる。寛順がシャンパン、舞子は赤ワインをとった。
料理もなかなかの味で、ワインにもコクがあった。
「これだとすぐ酔っぱらいそうです」
「シャンパンもおいしいですよ」
寛順はグラスを手にして、中の泡立ちを見つめる。「ほら、小さな泡が少しずつ下から上がってくるでしょう。これが最後まで続くのが、良いシャンパンです」
明生と同じようなシャンパン通かもしれない。寛順はグラスをゆっくりと口にもっていく。
チーズは小さなカマンベールで、丸いプチパンがついていた。
「プルコギの味はどうですか」
寛順が訊いた。
「おいしいです。でも本物のプルコギは食べたことがないので、比較できません」
正直に答える。韓国料理店は年に一回行くか行かないかで、それも焼肉とワカメのスープ、稀《まれ》にクッパを頼むくらいだった。
「本当のプルコギって、日本には少なくて、普通のカルビ焼きが多いのでしょう」
寛順が言った。「舞子さんも、いつか韓国に来て下さい」
「行きます」
ワインがはいったせいか、口が軽くなっている。実際に寛順がいるのなら、行けそうな気がする。
「釜山《プサン》から高速バスで三時間のところです、わたしの田舎は」
寛順が言うのを聞きながら舞子は朝鮮半島の地図を思い浮かべる。斧《おの》の形をした国土の中のソウルと釜山の位置だけはおおよそ判る。しかし、他の地方は白地図と同じだ。
「釜山からどちらの方ですか、寛順さんの故郷は」
「西の方です。全羅南道《チヨンラナムド》の順天《スンチヨン》の近くです。それはそれは田舎で、田んぼと低い山ばかり。でもいいところ」
寛順は田舎の風景を思い出すように視線を浮かす。こんなきれいな人が田舎暮らしをしていたことがあるなんて、舞子は不思議な気がする。
「楽安《ナガン》という村で、小さな観光地です」
「温泉村ですか」
田んぼの中の観光地と言えば、舞子にはそんなものしか思いつかない。
「いいえ。古い村です」
「村?」
「三百年くらい前の村がそのまま残っています。藁葺《わらぶ》きで土壁の家に村人が住み、村の周囲は昔のままの城壁で囲まれています」
日本にも江戸時代の宿場町がそっくり保存されている地域はあるが、農村が残っているという話は聞いたことがない。
「村人は観光で生活しているのですか」
「食堂をしたりしている人もいますが、大部分は農業です。田んぼは城壁の外にあるので、城門から出て働きます。村の中は車もはいれません。村人の駐車場は城門の外にあります」
「冷暖房は?」
「暖房はオンドルですから心配いりません。冷房は扇風機ぐらいです。でも夏もそんなに暑く感じません。土壁が厚くて、庇《ひさし》が長いですから」
寛順の日本語は話せば話すほどなめらかになってくる。「城壁の中には宮殿もあるのです。宮殿といっても、村を治める王様が住んでいた所で、平屋で瓦《かわら》屋根、質素な造りです」
おとぎ話に出てくるような村のたたずまいだ。そんな村が襲撃や焼き打ちにも遭わずに、何百年ももちこたえられたとは信じ難い。
「その館の前に大きな樫《かし》の木があって、ブランコが掛けられていました。高さは屋根の三倍くらいはあるでしょうか。太い枝に毎年新しい縄を巻きつけて垂らすのです。村の青年の仕事ですが、男の子はそのブランコには乗れません」
「ブランコは女の子の遊びなのですね」
「そうです。でもやっぱり傍で見ていて乗りたくなるのでしょうね。誰もいないとき、こっそり乗っている男の子もいました。女の子の前で乗ると、女だといってはやしたてられるので、あくまでもこっそりです」
「男の子は見ているだけ、というのがいい風習ですね」
日本のゴム跳び遊びのようなものだろう。あれに男の子が加わると様にならない。
「そうやって見ているだけで大きくなった男の子が青年になると、木に登り、老人たちの編んでくれた縄でブランコを掛け替えるのです」
「その役に選ばれるのは名誉なんでしょう?」
舞子は興味を覚えて訊く。
「一年にひとりですからね。あんな高い木に登って、太い枝の上を這《は》って行くので、それは勇気がいると思います。女性でその現場を見た者は誰もいません。七月の満月の夜に掛け替えが行われるのですが、女は見てはいけないことになっています。誰かひとりでも女性が隠れ見すると、登っている男性が落ちるのだそうです」
「翌朝、ブランコの乗り初めの儀式かなにかあるのですか」
日本のしきたりだったら当然そうだ。
「ありません。日の出とともに、誰でも乗っていいのです。女の子はきれいなチマ・チョゴリを着て、ブランコの下に集まります。ヨチヨチ歩きの子供など、おじいちゃん、おばあちゃんも正装をして、一家全員に連れられて来ます。ブランコに乗っているところを一緒に写真に撮ったりもします。初めてブランコに乗る子なんか、恐くて泣きべそをかいているのですが、周りのみんなは笑って写真に写るのです」
何という美しい風習だろう。一本の木に吊《つ》り下げられたブランコが、子供たちや大人たちに年毎の思い出をつくってくれるのだ。しかもお金を出して着飾る必要もなく、豪華な料理をつくってどんちゃん騒ぎの宴を張るのでもない。それでいて、村人の心をひとつにし、老若男女の気持をなごませてくれる。
「朝日が田んぼの上にあがるのを、ブランコから眺めるのは、本当にきれいです。いつまでも見ていたいのですけど、待っている友達がいるので、替わってやりますが。
中学生や高校生になると、夕方乗りに来ます。今度は、山の端に沈む夕陽をブランコの上から眺めます。空が赤く染まり、田んぼも稲が青々としていて、それはいい気分です」
「素敵ですね」
舞子は自分までそのブランコに乗ったような気分にさせられる。長いブランコだから、大きく揺らしていけば、屋根ぐらいの高さには上がるだろう。そこから村の四方を眺められるなんて胸が躍る。
村の女の子や娘たちが、入れ替わり立ち替わりブランコに乗るのを、村の老人たちは木陰の縁台に坐《すわ》って、キセルでタバコをふかしながら見つめるのだろう。あそこの娘も大きくなったなと、目を細めながら。
少年や青年たちだって、遠くから、成長した少女のチマ・チョゴリ姿を眩《まぶ》しそうに観察しているのかもしれない。
「寛順さんがブランコに乗ると、男の子たちが寄ってきていたでしょう。本当にきれいだから、村の少年や青年が放っておくはずがありません」
「そんな」
寛順は、舞子が予期しなかったほどに頬《ほお》を赤らめた。
「そんなブランコって、ロマンチックだわ。日本だと、低いブランコが学校の運動場の片隅にあるくらい。恋人たちの語らいの場所にはなりません」
舞子は胃の中にはいったアルコールを薄める気分で、プチパンとチーズを口にする。まだあと何食か続くはずなのに、身体《からだ》がはちきれそうだ。ブラジルに着く時までに二キロどころか五キロ肉がついているかもしれない。隣を見ると、寛順はパンもチーズもほんのひとかけらしか手をつけていなかった。