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この考えかたは、それまでの日本の社会が外見、極端に男尊女卑の形態をとっていたために、当時の民主主義風潮にほとんど無反省に受け入れられ、特に女性の間では歓迎されたようです。
そしてどんな現代女性も、心のどこかでは考えている、女だって男に負けないわ。女だって男と同じようにやれるわ。……
こういう男女同権意識が心の奥にあるから、会社でお茶くみを命ぜられるとカチンとくる。大学出の女性になると、会社で男と同じ地位を与えないと柳眉をさかだてるわけです。
しかし我々男性からみると、こういう男女同権主義の女性には、どうしても腑《ふ》に落ちない点がある。というのは彼女たちは一方では「女は男に負けぬ」と言いながら、自分の都合のいい時は「女はかよわいもの」と言い逃げる。
たとえば男女同権なら、男女の友人や恋人たちが、レストランやコーヒー店によった時、ワリカンで支払うべきだ。あるいは女が男におごってよい筈だ。
しかし小生の経験から言って一度だってそんなありがたい目に会ったことはない。いっしょに食事をする。お茶を飲む。すると女性は「おごるのはアッタリマエ。男の義務よ」と立ちあがって、スタスタと表に出てしまう。
パーティーにいく。時間がおそくなる。こちらが誘ったのでもない女性が車に乗せろと言う。車に乗せろということは、家まで送れということだ。そしてもし我々男性がワリカン主義を唱え、家まで送らねば彼女たちはなんと言うでありましょうか。
「野蛮人。弱い女をいたわることを知らぬ礼儀知らず。もう知らないッと」
自分の都合のよい時はか弱い女性で、自分に別の都合がよければ男女同権。これじゃ、あんまりと言うもんじゃないかよ。もしあなたたちが逆の立場だったら、それでも承知できますか。できないでしょう。しかし日本の現状には実際、こういう不合理なことを平気で考える女性が案外、多いのです。
どっちかにきめてほしい。いったいあなたたちはどっちを望んでいるんだ、と男性は叫びたくなる。本当に心の底から叫びたくなる。「女性よ。男と同じにとり扱ってくれと言うのか」
よろしい。そうなら男と同じにとり扱おう。その代り会社では男と同様、生涯、そこに殉《じゆん》じてくれ。途中で結婚して家事のため育児のためといって退社したり、あるいは会社を欠勤せず夜勤もどんどんやってくれ。喫茶店やレストランで男ばっかりに払わせるな。払うのはアッタリ前という顔をするな。
それとも、か弱い女として扱ってくれというのか。よろしい。おごろう。おごりましょう。レストラン代は男が持つよ。その代りだ。君たちはか弱い[#「か弱い」に傍点]のだから、男女同権などと会社ではいうなよ。係長、課長にしないなどと不平をいうなよ。
この理屈は男性からいえば当然です。しかし女性からみれば屁《へ》理屈とみえるでしょう。屁理屈とみえるほど、今の日本女性は外国の女性に比べて甘えさせられているのです。
ぼくは今の日本は女性の待遇をよくしている相当の国だと思います。これは詭弁《きべん》でもなんでもない。ウソだと思ったら外国に行ってくるがよい。
なるほど外国に行けば婦人は一見、恭《うやうや》しく扱ってもらえるようにみえる。エレベーターにはいれば男性は帽子をとる。煙草をだせば男が火をつけてくれる。家庭の夫人となると発言権もつよく、それは亭主から大事に扱われる。
なるほど、なるほど。しかしエレベーターで帽子をとってもらい、オーバーを肩にかけてもらうぐらいのやさしい行為で、「あたしは尊敬されている」と思うなら、これはよほどオメデタイ話だ。駅員さんはお客に「ありがとうございます」と頭をさげるが、これは客を尊敬していることを意味しない。心の中ではこの馬鹿ッタレと思ったって、帽子をとることぐらいなんでもない。
外国で家庭夫人が大事にされるのは、一つは持参金の問題だと安岡章太郎氏が発言していましたが、これはある意味で真実だ。ヨーロッパでは今日でも細君の持参金ということが結婚の時、非常に問題となる。そして彼女たちは離婚する時は自分の持ってきた財産を持ち去れますから、亭主としてもビクビクせざるをえない。
しかし考えてみれば、こういう汚ない金銭関係で女房を大事にする外国人の夫というのは偽善的というべきです。
これに比べれば手鍋だけさげてきて、亭主より家庭の実権をデンとにぎれる日本女房のほうが、純粋愛にはぐくまれて幸福といえましょう。
たとえ、夫から時にはバカヤローと言われたとしても。