ぼくの女子学生たちは、高校を終えて入学した連中だから十八、九歳から二十歳の娘が半数以上、クラスにいる。この十八、九歳、高校を出たころの娘たちは〈いわゆる純情型〉である。純情型とはどういうタイプかというと——新学期、教師の授業内容よりも、彼の背の高さ、服装、ネクタイの色、オデコが大きいか、小さいかなどばかり観察している連中である。
「ネ、彼、一寸、伴淳三郎に似てない」
隅っこの方で、そんなことを囁いているのはこの純情型であって、ぼくのような古手教師の耳にはそんな小声だって、チャンと聞えるのだ。かかる場合は、激怒したり真赤になってはいけないのであって、切りかえしが必要である。
「ぼくは伴淳三郎さんの友人で、彼のパンツをもらったことがあるが、君たちの中でほしい人がいますか」
一瞬教室はシーンとする。
「君はいりませんか」ぼくのことを伴さんに似ていると言った隅の女子学生によびかける。
「イリマセン」
蚊の泣くような声で彼女は答える。
「では授業をはじめます」
この純情型は必ず四、五人でグループをこしらえ、自分以外のグループとはあまり交際しない。グループの連中は必ず終生の友情を誓いあっているようだが、この熱烈な友情も学校を卒業すると、大半、消えてしまうのだから愉快である。
けれども、この頃は彼女たちは教室でも食堂でも決して離れあうことはない。滑稽なのは便所にまで友情をもちこむことであって、たとえば一人が用を足している間、グループの友だちは便所の鏡の前で髪をなおしながら、辛抱強く待ってやっている。男子学生はかかる臭い友情など結ばないであろう。
彼女たちの恋人はおおむね大学生であり、会社員や中年男であるということはほとんどない。
「恋人、いるかね」などとひやかすと、「イマセン」などと真赤になって横をむいているが、本当は話したくてウズウズしているらしく、何かの機会に打ちあけると、今度はつぶさに恋人のことを報告しにくるものである。最後には全く閉口するくらいだ。
「先生。彼ったら昨日、ジャンパー買ったんです。あたしが黒がイイって言うのに黄色いの買ったんです」
これならまだよいのだが授業がすんで教室を出ると、
「先生」
「うん」
「彼に会ってやって下さい。学校の門のところまで連れてきたんです」
こういうのはどういう心理かさっぱりわからない。門の所まで出ると肥ったニキビ面の学生がオドオドしながらたたされていて、ぼくを見ると照れ臭そうにペコリと礼をする。全くわからん。