この〈インテリ女性ぶり型〉の女子学生にたいして、もう少し面倒なのが〈ムード的虚無型〉女子学生たちである。
彼女たちは学校にも出てくるが、主として同人雑誌をやったり、劇団の研究生たらんと志しているものが多い。学校がすむ。学校のちかくの暗いムード音楽やシャンソンをきかせる喫茶店に出かけると、必ずと言っていいほどこのタイプの女子学生がグループをなして、あるいは一人ぽっちで音楽に耳を傾けている。
「先生、人生って結局、虚無ね。つまんないわ」
「そうかね」
「虚無じゃなかったら、何を生き甲斐にしたらいいんでしょうか」
こう言われると教師とはいえ、万事に自信のないぼくはどう答えていいのかわからない。
「先生、あたしってとても複雑な女なんです。複雑で複雑で、自分でもわからなくなるくらい複雑なんです」
アニキたるもの、こういう場合は体にジンマシンの発生しそうな心地になるのをじっと我慢しなければならない。
彼女たちは文学づいていて、その複雑な自分を小説に表現すべく、同人雑誌などをやっているが、その小説はどれを読んでも共通した欠点がある。まず、虚無的な娘(自分のことであろう)が、ある男と恋愛するが、その男の平凡さに耐えられぬというスジが多い。第二の欠点は文章である。ぼくも懸命に読んでやろうとするのだが、何を言っているのか理解に苦しむ場合がある。
「冴子の過剰な自意識は明夫の執拗な愛に耐えられなかった。明夫のはげしい愛撫をうけながらも冴子の虚無はますます鋭角になっていくのであった。そして明夫とわかれると彼女の心は冷え性になった」
(過剰な自意識)とか(虚無)という言葉はA子さんの小説にもB子さんの作品にも必ず出てくるので、こちらはもうピンとこなくなってしまった。彼女たちはそれぞれ自分がだれよりも自意識過剰に苦しんでいると思っているらしいのだ。
「先生、感想きかしてください」
こんな時うっかりした批評でもすれば、乙女の自尊心を傷つけるから、もっぱら表現のちがいを指摘するようになる。
「この『明夫とわかれると彼女の心は冷え性になった』という書きかたはオカシイね」
「なぜですか」
「なぜって……どういう意味なんだ」
「心がツメたくて無感動になった、という意味です」
「それにしても冷え性[#「冷え性」に傍点]とはおかしいよ」
〈ムード的虚無型〉の女子学生が少し危険だと思うのは、彼女たちが自分と同年輩の青年たちを馬鹿にする傾向があるからだ。純情型の十八、九歳の女子学生たちは先にも書いたように、ニキビ面でも同じ世代の青年をボーイ・フレンドにもつが、〈ムード的虚無型〉の女子学生は二十二、三の青年や学生は「子供っぽくて」「頼りない」と告白するのである。
「やはり中年の男性の方がしっとりとして、落ちつきがあって魅力的です」
いつだったか、ある婦人雑誌にたのまれた彼女たちの四、五人と編集部の人を会わせたら、連中、こんなことを率直に言ったものである。
ぼくはそんな時、中年男はいかにも落ちつきがあるように見えるが、あれは生活に疲れ果てて、若い者のような行動力を失っているためであり、決して自信があるからではないのだと言いきかせることにしている。けれどもこの忠告も彼女たちにはなかなか実感を伴わないらしい。時々、妻子ある中年男と恋愛をして苦しむ女子学生が稀にはいるが、彼女は大体この〈ムード的虚無型〉のタイプに属するようである。そういう女子学生が卒業して二年ぐらいたった後、正月など思いがけなく年賀状をくれて「先生、いろいろなこともありましたが、結局、田舎で見合結婚をして、案外、幸福に暮らしています」などと書いてあるのを読むと、さすがにホッとする。