テーブル・マナーをすべて心得ているお嬢さんが、キャンプなどで、わざと肉を手づかみで食べるのと、テーブル・マナーをまったく知らぬ青年が、レストランで肉を手づかみで食べるのとは大きな違いがあります。
くだけた場所では、くだけた食事のとり方をするのが、みんなと調和し、雰囲気にマッチしたやり方で、ハイキングの時、自分一人が正式な、しかつめらしい食事作法を守ったら、これは滑稽であり、笑止だとぼくは考える。
作法というものは、正式なものを熟知した上で、それを場所や時に応じて破ってもいいのであり、もし阿呆の一つおぼえのように、場所もかまわず正統方法をふりまわすのはバカだというのが、ぼくの持論です。
また、こういうこともあります。
ぼくの次の質問に答えてください。
あなたが、六時半に食事に招待されたとします。
外国人の家では、正式の時は招待状の中に、きちんと時刻を書いてよこしてくる。
もしその時、あなたが、時間に遅れてはならぬと思い、すこし早目に——六時二十分に、その家のベルを押したら、礼儀正しいでしょうか?
あるいは、キッパリ時間を守ろうと思ってその家の前をウロウロしたあげく、六時半きっかりに戸の前に立ったら、礼儀正しいでしょうか?
それとも六時四十分、つまり、十分おくれてベルを押すのはどうでしょうか?
この三つのうちで、みなさんなら、どれを選びますか?
ぼくなら、第三番目が、もっとも礼儀正しいと考えます。つまり、六時三十分に食事に来いと言われたら、六時四十分にたずねるべきだと思います。
なぜでしょう?
六時二十分にもしそこを訪問すれば、そこの夫人は、お客の接待準備か、あるいは着がえの最中かもしれません。
そんな時に、客がベルを押すというのは、相手にたいする思いやりがない、と言うべきです。
六時三十分にベルを押す。もちろん、これはまちがってはいないでしょう。
しかし、もっと考えれば、六時三十分では招待者に余裕を与えなさすぎます。
ひょっとすると、準備がまだ完了していないかもしれない。
夫人も着がえがすんでないかもしれぬ。
だから、少し間をはずして六時四十分、この時ベルを押せば、招待者も余裕をもって戸をあけられるのです。
作法の先生なら、約束時間に遅れぬことを阿呆の一つおぼえに言うでしょうが、このように時間を少し遅らせてこそ、イキなはからいだ、とぼくは思います。
しかし、その破り方にもコツがあって、六時三十分を七時半に行くようでは、もちろん話になりません。
恋人とのデートでも、同じです。
六時に彼と約束する。五時半にいけば、男性は、あなたが自分に夢中だとウヌぼれるでしょう。六時にいけば面白味もありません。
彼を五分か七分(十五分はダメ)待たせて、来るのか、来ないのか、軽い不安を与えるのも恋の作法です。
これはカケヒキにみえますが、このようなカケヒキをしないと、恋愛は、ほんとうは誠実ではないのです。
このことは、みなさんも異論がおありかもしれませんが、ひとつ、ぼくの本でも読んでください。
もちろん、さきほどの食事時間の問題やデートの時間の遅らせ方は、相手の心や立場を考えた上できまるのです。
それが、いわゆる礼儀作法に、形式ではない、ほんとうの生命を吹きこんでくれるのです。いかがでござるかな?