あなたたちの中には自分の容貌があまり美しくないと悲観して、メソメソと心の中で劣等観念を持っている方はいませんか。
ぼくの経験談を一つしましょう。
ぼくの従妹に、顔だちだけはどうみてもあまりハエないのが一人いました。
従兄の口からこう言うのも可哀想でしたが、男性として客観的にみても、他の娘よりは容貌の点でC級です。
この従妹は自分でも劣等観念があるらしくみんな集まった時などもなにかウジウジしている。
積極的ではない。ぼくが彼女を引きたてようとしても、何となく尻ごみしてしまうのであります。
ほかの従姉妹たちがそれぞれボーイ・フレンドや恋人の話をぼくにきかせてくれるのに彼女だけは黙っている。
「恋人できたかい」
そう気軽にきいても、
「あたしなんか……とっても。第一、こんな顔じゃ」
自分で自分を軽蔑したような返事をするのです。
自分で自分を軽蔑する者は時として他人からも軽蔑されます。いつか、男の従兄弟たちも、
「A子の奴、あの顔じゃあね」
そんな陰口をきくようになりました。
そのせいか彼女は益※[#二の字点、unicode303b]、消極的になり他の才能の点でも自分が劣ったように考えはじめたのです。
これはいけない、とぼくは考えました。そこでぼくは彼女を美しくするために及ばずながら力を貸そうと考えたのです。
勿論、男のぼくには化粧の方法や洋服のえらび方はわかりません。また人間の美しさは顔にあるのではなく、心にあるのだという理屈をならべたって効果のないことは初めからわかっていました。
そこで注意してみていると、彼女は友だちの選び方から間違っているのです。女の子の中には自分より容貌、才能の見ばえのしない娘をわざわざ友人にして——つまり、自分を引きたたせてみせる道具としての友人をつくる傾向があります。
憐れにも彼女は心さびしさのあまり、そんな友人たちの引き立て役になり、更に自信を失っているようでした。
ぼくはそこで彼女に、
「自動車運転を練習する気はないか」
と言いました。もしその気があるなら、その費用ぐらい出してやるつもりでした。
初めは例によって尻ごみをしていた彼女もあまりぼくが奨めるのでシブシブ教習所に通いはじめたようです。
一ヵ月の間、最初は気乗りのしなかった運転が段々面白くなったらしく、遂に免許をとってしまいました。
免許証をみせに来た時の彼女の嬉しそうな顔。
「ほれみろ。A子だって車を動かせるんじゃないか」
幸い、ぼくの兄の家に車があったのでA子はそれをかりて乗りまわすようになった。自分にもできるという自信が、彼女にはやっとついたのです。
「じゃ、次にダンスを習えよ」
一つの技術をおぼえると、次の技術をおぼえたいという欲望が起るらしい。ダンスもいつの間にかすっかり上手になって、パーティーなどにも、そのうまさのため、みなから感心されるようになりました。
人から目だったこと、注目されたことが彼女にはよほど嬉しかったらしい。今まで消極的だった彼女が、洋服やアクセサリイにも注意を細かくはらうようになったのはそれからでした。
幾分、猫背だったのも心の劣等観念が作用していたのですから、自分にも車の運転やダンスができるという自信が、A子をシャンとさせました。
彼女は女子大に行っていましたが、それから英語の成績などもずっと良くなったようです。
さあ、そうなると今まで彼女を引きたて役にして連れて歩いていた友人たちも昔のようにはいかなくなった。A子自身とパーティーにいってもダンスではやはり負けてしまうでしょう。
引きたて役にされないことのためにあの劣等観念はすっかり剥《は》がれたようでした。
今、彼女は婚約さえしています。
ぼくはいつも思うのですが、容貌に自信がなくクヨクヨする女性はそのクヨクヨのためにかえって自分を醜く、不器用にみせているのです。
そんな人には一つの技術をマスターすることをすすめます。
つまりこれは自分に自信をつける手段です。今までうなだれていた首をシャンと伸ばし、胸をはって人の中に出られる最初のステップです。やってごらんなさい。必ずこれは効果がありますよ。
そして次のことを心にいつもおぼえておくことです。
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(1) 友だちほしさに、同性の、引き立て役になって、自分を更に弱気にさせないこと。
(2) なにか別のことに自信をもつこと。
(3) 男は容貌ばかりに気をとられるほど馬鹿ではないと思うこと。