もうマンネリになったことだが「恐妻家」という言葉が一時流行したことがある。女房がこわいという亭主のおどけた姿が、こういう言葉になってあらわれたのだが、なぜ夫は妻をコワがるのだろう、コワがる必要なんかないじゃありませんかという発言がこの時、多くの主婦から起き、結局恐妻とか恐妻家というのは大袈裟《おおげさ》な夫の擬態《ぎたい》だろうということになった。
しかし、夫は本当に女房がコワいのである。
私自身、結婚する前、先輩や友人が恐妻家ぶるのを見て、あれは演技だと考えていた。少なくともコワい、コワいと言っていたほうがいろいろな点で便利だから、ああいう擬態をしてみせるのであろうと考えていた。
「本当にコワいもんなんですか。細君て」
だから私は結婚前、よく笑いながら先輩に言ったものだった。
「たいしたもんじゃないんでしょ。女房なんて」
すると先輩たちははなはだ真剣な顔で首をふるのだった。彼らがその理由としてあげたのはさまざまだったが、
「女房というのは怒ればワメくし、甘やかすとツケあがるからこわい」
「女房というのは過去にたいする記憶力が非常に強いから、昔の約束など持ちだして責めたててくる。だからコワい」
「女房というのは異常な直観力をもっていて、こちらの弱点をパッとみぬくし、かくしていることもすぐ敏感に感じるからコワい」
などというのが今でも私の記憶にハッキリ残っている。そして要するに彼らにとって女房とは、「ちょうど、正月に食いすぎた餅が腹にたまっている——あの重くるしい感じ」のする存在だと言うのであった。
私は当時、自分の後輩である慶応の女子学生と婚約していたのであるが、このまだ可憐で慎みぶかく、私がW・Cの話など好んですれば真赤になる娘がコワいとはどうしても考えられなかった。この温和《おとな》しい娘が先輩たちの言うように「怒ればワメき、甘やかすとツケあがる」図々しい女性に変るとは夢にも思えなかったし、また彼女が自分にとって「食いすぎた餅のように」重くるしい存在になるとも考えられなかったのである。
だから私は先輩たち、少し、どうかしているんではありませんかと笑ったが、先輩たちはさも憐れむような眼つきで、
「今に、わかるさ」
そう一言、言うだけだった。
さて私は結婚した。一月《ひとつき》たち二月《ふたつき》たち——しかし私は女房が一向にコワくならない。彼女は先輩の言うように異常な直観力でこちらの弱点を見ぬくこともないし、私のかくしていることを見やぶるということもない。私が一度だけコワいと思ったのは、彼女が少女時代から習っていた合気道で私を投げ飛ばした時だけであった。
「ぽくには一向、女房はコワくありませんが」
先輩たちにふたたびこう言うと、
「まだまだ。まだまだ」
「何がまだまだですか」
「四ヵ月や五ヵ月では女房というものはよくわかるはずがない。向うも、いわば休火山のようなもので、爆発するまでには至っていない」
そういうワカったようなワカらんような返事をするのだった。
あれから十年ちかくなる。そして十年たった今日、私は先輩たちが決して嘘を言っておどかしたのではないことをしみじみと知った。それはちょうど病院の中で先に手術をうけた古参患者が新米患者にむかってメスの痛さや手術中のくるしさを誇張して言うようなものでもなかった。
それではなぜ亭主族は女房をコワがるのであろうか。よく漫画にあるようにホウキをもって亭主をなぐりつける女房などこの世にはそう存在しないであろう。噛みついたりひっかいたりする狂暴な細君にも私は実際おめにかかったことはない。
そして読者のなかの奥さまも、決して御主人をそのように手荒に扱われたことはないであろう。(ことを私はあなたたちの御亭主のために祈る)
にもかかわらず、おおむねの亭主が女房をコワがっているとすれば、それはなぜか。どういう心理か。男である以上、腕力でも頭でもわれわれはそう女房には負けないと考えている。それなのにわれわれはやはり女房にたいしてあるコワさを感じる。
このコワさはどこからくるのか。結論から先に言うと、われわれが女房をコワがるのは彼女たちが強いからではない。まず彼女たちが亭主にとって良心の呵責だからである。良心そのものだからである。
この感情を一体どう説明したらいいであろうか。たとえば私が子供の時、なにか悪いことをした時、隣の家の柿の木の柿を失敬してたべた時、ケンカをした時、私は母親がコワかった。母親にその悪事が知られなかったとしても、母親の眼をみる時、コワかった。それは私にとって母親がある意味で良心というものの象徴的な姿だったからである。私はその後、大きくなり、別の悪さをし、母親をしばしば泣かせたが、泣いていた母親の姿を今でも思いだすことは辛い。そのくせ、私には母親ほどだましやすい存在はなかった。本を買うと言って遊びの金をまきあげることなど赤子の手をひねるよりやさしかった。つまり彼女は私を愛してくれていたからである。そしてまるで母親と息子との関係は「ダマされるもの」と「ダマすもの」とのような具合になった時期さえある。
この感情は多くの亭主が、多かれ少なかれ自分の妻にもつ感情である。男というものが妻にたいして夫としての気持のほかに息子的な気持をどこか持っていることは、たいていの細君なら認めるであろう。またたいていの細君は結婚後五、六年もたつと亭主にたいして母親的な感情をもち、それをもちながら、自分がそのような立場にあることにいつも不満を抱くものである。