拙者は頭の古い人間であります。頭の古い人間だからこういう歯のうくような姑と嫁との友情ごっこが最近の我が国に流行しはじめたのをみて、まこと嘆かわしいと思う。なぜ「友情ごっこ」が必要か。古来から日本に伝わる「嫁いじめ」の美風を姑たちはなぜ、再び行わないのか。
あんた。最近の若い嫁は漬物一つつけられん。亭主に蒲団あげさせて平気である。頭に何やら洗濯ばさみみたいな金具をつけて、畏くも勿体なくも一家を支え給う御主人を玄関に送りだす。食事中、平気でおナラをする。まことに嘆かわしい限りである。その原因は一体どこにあるのか。拙者はそれをこう考える。それは教育係が嫁にいないためである。眼の上のタンコブというか、頭のあがらん存在が彼女たちにいなくなったためである。(それは亭主が女房を叩かなくなったためでもありますが)
その教育係、コワイ存在というのは昔は姑が受けもったのである。有名な「秋ナスは嫁に食わすな」このきびしい教育が姑によって行われればこそあんた、嫁はその後も粗食に甘んじてコマ鼠のように亭主に仕えたもんだ。風呂だってあんた、膝までしかないのに入らされたればこそ、その後も倹約に倹約、亭主のサラリーを今の若い女房のようにパッパッと使わなかったんだ。(論理ガ飛躍シテルワノ声シキリナリ)
要するにだ。嫁が今日、その可憐さ、その清楚、その従順性、その温和さを失った最大の原因は何といっても日本古来の伝統である「姑のイジワル、嫁イジメ」の美風が失われたせいではありますまいかな。拙者は日本の女性はふたたび大和ナデシコの美徳をとり戻すため、
敷島の大和心と人とわばア
嵐ににおう山ざくらかなア
ちがっておりますかな。ちがっておってもいい、姑の意地悪をもう一度、復活してほしいと思う日本人の一人であります。