男が幻滅するとき……
男が女に多かれ少なかれ幻滅する瞬間は、女性の「化けの皮が剥《は》げた」時である。男というのは幾つになっても、どんなに社会的地位が高くなっても小児的であるから、年齢の如何にかかわらず、女を美化し、女に夢をもっている。
ずっと前、なくなられた江戸川乱歩氏につれられて浅草のストリップを見物に行ったことがあった。舞台では、妖《よう》にして艶《えん》、可憐《かれん》にして清楚《せいそ》な踊り子たちが次から次へとトンだりハネたり、我々も木石《ぼくせき》にあらねば思わずウットリとしたのであるが、舞台終って乱歩氏に楽屋につれていかれると、次から次へと踊り子たちが鏡にむかって化粧をおとしていく。アア、アッと思うまに妖艶だったダンサーが色黒の山家育《やまがそだ》ちの小娘となり、
「あんた、ラーメンたのんだべや」
「あいよ。二人前、電話かけといただ」
田舎言葉まる出しで話しはじめ、私はそれもそれで好きではあったが、一方では、舞台見物中ウットリした気分が引きずりおろされた気持を味わわされたことは確かである。
こういう話をすれば、皆は私を馬鹿だという。女がどう化けるかを、あらかじめ心得ずにそれにダマされた私がバカだという。しかし男というものは多少とも、私と同じようにその点、バカなのであり、ダマされると知りつつ、ダマされるのであろう。
ある小説に、女優の恋人になった男の話があった。そのなかで、その女優が寝室で恋人の前で化粧をおとす場面があって、それがなかなか印象的であった。化粧をおとし、つけまつげをとり、ルージュを紙でぬぐい——つまり彼女が素顔を男にはじめてみせた時、その素顔はテレビや映画のスクリーンで笑ったり、上眼《うわめ》づかいをしている顔ではなく、毎日の仕事に疲労しきった、不健康なそしてエゴイスティックなあさましい顔だったというのである。
私はもちろん、女優の恋人になった経験などないから、こういう情景に出くわしたことはないが、それに似た経験を一度、味わったことがある。
その女優は、私がスクリーンでは好きな女優でありました。好きというより、憧れをもっていたと言うほうがよい。だからある雑誌社が彼女と対談してみないかと企画してきたとき、すぐさま引きうけたのである。
場所は銀座のレストランであった。こちらはもちろん、胸おどらせてとまではいかぬが、決して悪くない気持で定刻五分前にはそのレストランに駆けつけたのである。それが礼儀でもあるからだ。ところが約束の時間が二十分すぎ、三十分たっても彼女は現われぬ。雑誌社の人はしきりと方々へ電話し、しきりと彼女に代って詫《わ》びた。
四十分後にようやく付人《つきびと》と共に現われた彼女は、撮影が長引いたのでと弁解したのちにテーブルについた。それから途端《とたん》に、長い間の私の、彼女にたいする憧れを一挙に粉砕するようなことを二つやってのけたのである。
その第一は、まだ料理の運ばれていないうちに、話しながら片ひじをつき、卓子《テーブル》にもられたパン籠《かご》からパンをとってそれをちぎりながら食べはじめたことである。もちろん、こういう無作法は時と場合によっては可愛い。しかし初対面の相手の前でこのようなマナーを無視したやり方は、私のもっともカンに障《さわ》るところである。
第二は、しばらくして彼女は突然、自分の付人にむかって叫んだ。
「どうしたのよ。煙草とライターが入ってないじゃないの」
付人の女性は恥ずかしそうにうつむいて、自動車に取りにいった。
私は目下の者、弱い者にこのような物の言い方をする女は嫌いだから、以来、この女優にたいする好意を失ってしまった。今日でも彼女の映画など絶対に行かん。絶対に行かん。
くり返して言うのですが、「女は化けるものだ」というのは当然である。狸と狐と女とは化けてこそ価値がある。化ける能力もないカサカサした女は、これは男にとっては乾《かわ》いた女性。
「だからねえ、化けた以上は徹底的に化けてほしいな」
これが我々男の夢である。狸が小判にばけ、その小判にシッポが出ていたなら愛嬌がある。しかし、くだんの女優のように、美しい顔とは全く裏腹《うらはら》な本質をむき出しにされると、もういけません。男はそのような女を徹底的に蔑み疎《うとん》じる。化けるならトコトンまで化けよ。
「では男性を幻滅させぬためには、どう化ければいいのですか、周作先生」
「お答えしましょう。まず化けかたに高望みをしてはいけません。自分の力——容姿、教養その他——を知っておくことが必要ですな。そして自分が五ならば、最初は六か七ぐらいに化けなさい。決して十に化けてはいけません」
ウソつきの天才は事実を五、ウソを三いれる。五つの事実の裏づけがあるから彼の三のウソも効果があり、見破られないのだ。もし彼が事実を一、ウソを五にしてごらん。たちまちにして万事が露見する。女の化け方もまた同じ。はじめから自分を十に見せようとするから、バケの皮が剥げた時、それが男に大ショックを与えるのだ。化けかたも順と段階を追って少しずつ小きざみにしていくほうが、より効果的なのである。
理由は二つある。第一に、それがバレた時も男は幻滅するより、可愛いと思ってくれるからだ。自分の容貌もみきわめず、ベタベタつけまつげに昼間からアイシャドーの女は、男が陶酔と夢からさめた時、寒けと軽蔑しか感じさせないが、少しだけ化けた女が素顔をみせると、男はむしろ女のせつない努力のほうに心ひかれるから妙である。教養ありげに背伸びしてベートーベンやサルトルをふりまわす女は、男には次第にうとましくなるが、少しだけ読書をしている姿を時々みせると、彼はこれも悪くないと考えるから奇妙である。総じて化け方は小きざみに順を追って昇っていくがよろし。
「心」にあるもの
「第二に、外面だけでなく心でも化けよ、ですな。これも小きざみのほうがいいのです」
東京のキャバレー王、福富太郎氏に会った時、氏は自分の店で働くホステスの一人一人に、なにげなく、
「君は実に綺麗だ」
そう言ってやるそうである。すると必ず、そのホステスは素顔まで綺麗になるという。
これは一種の催眠術だが、当をえている。綺麗だと他人に言われれば、現在よりも素顔が美しくなる。この方法を使ってみるといい。もっとも自分を一足とびに大美人だと思っては失敗する。小きざみに前進していくのである。外面も十だけ化ければ、教養も十だけつけてみる。そうすれば必ず十だけ女は心身とも美しさにおいても前進するからふしぎだよ。
よく、顔だけ化けて、化粧をおとすと驚くべし、むき卵的な顔が出る女がいるが、あれは実はこの小きざみ方法と自己催眠の応用術を知らぬのだと私は思う。
女に男がいちばん、幻滅するのは、女房をもらって三年目という説がある。この三年目には女房は安心しきって、夫の前で「化ける」ことを忘れるからであろう。女の仕事の一つは娘時代でも人妻時代でも、年齢に応じて心身とも「化ける」ことであるのに、夫に幻滅させるのは化け方に怠慢《たいまん》な女房だと言われても仕方がない。そういう女房をもった亭主に、私は次の方法をすすめる。福富太郎氏にならって、心ではこのクソ婆《ばばあ》と思っても口だけは、
「君は綺麗だ」
と言ってやることだ。女は暗示にかかると、そのとおりになる。化けてもらいたいなら、化けさす心理にすることだ。効果はテキメンである。
(この箇所を読者よ、あなたの夫か恋人に読ませたまえ)