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ぐうたら愛情学24

时间: 2020-10-10    进入日语论坛
核心提示:3 女の「教養」とは 「知識バカ」 むかし、と言っても七、八年前のことであるが、ある有名な映画女優さんと彼女の自家用車に
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3 女の「教養」とは
 
 「知識バカ」
 むかし、と言っても七、八年前のことであるが、ある有名な映画女優さんと彼女の自家用車に乗っていました。
 ちょうど渋谷に向うその自動車が青山にさしかかった時、彼女は突然、うっとりとした声をだし、
「車をとめて。……ごらんになって、この霧。まるで巴里《パリ》の夜みたい」
 そう言ったのであります。すると、ぼくはなぜか、背中にジンマシンが起きたような気がして、できうれば車から飛びおり、一人でスタスタ歩いて帰りたい衝動にかられました。
 この女優さんは大変、教養ありげな人で、その夜、食事を一緒にした時も、突然、フォークとナイフとをおいて、
「わたくし、この間、自衛隊の学生たちと対談しましたの、そしたら驚いたことに、あの人たちったら、ドゴール政権のこと、何も考えてませんのよ」
 まともな表情でそう切りだされ、ぼく自身、ドゴール政権のことなど知ったことではありませんから、自分まで叱られているような気がして、食事も咽喉《のど》に通らなくなった記憶があります。この時は、なにか自分の背中にジンマシンが起きたような気がしたのです。
 彼女と別れたあと、ぼくは精神衛生上、はなはだ害のあったこの二事件を忘れるため、駅前のおデン屋にとびこみ、
「おっちゃん、ショウチュウくれや」
 そう言ってショウチュウをのみ、平生はあまり、そういうことはやらんのでありますが、茶碗を箸《はし》でチャン、チャン叩いて、
  イヤだ、イヤだよ。ハイカラさんはイヤだ。
  あー、ヨイ、ヨイッと
 と下品な声を思い切りだして唄を歌ったのを今でも憶えています。
 だが考えてみると、青山の霧の風景をみてうっとりし、まア、巴里の夜みたいと叫ぶことは決して悪いことではないし、日本のことよりもドゴール政権について思いをはせるということは大変、高尚なことでありましょう。
 にもかかわらず、このように立派な台詞《せりふ》をきいて、背中にジンマシンが起きるほど照れ臭さ、恥ずかしさを感じたのは、あながち、ぼくが悪いだけではなく、そこには男性が女にたいして共通してもつある一般的感覚が働いたのではないでしょうか。
 一般に男性は、女性が「うっとり」している状態にあるのを見るのがイヤです。男性もまだ十九、二十歳の頃は自分もあることに「うっとり」できますが、二十五、六をすぎると、本当の陶酔ではなく、こうした薄っぺらな、センチな陶酔ぶりを他人に見せることも、他人から見せられることにもオジケをふるうようになるのです。
 「教養の育つ条件」
 もう既に書いたかもしれませんが、ぼくの友人の奥さんがある日、こういう不平を言っていました。
「主人は……結婚五年もたつと、あたしを甘やかせてくれませんわ。たまには甘えてみたいわ。婚約時代のことなど、話しだすと、主人は急に変な顔をして、ブウッとオナラなんかするんですの」
「へえ。オナラをねえ」
「そうですの。それも、わざと音の大きなのを。ロマンチックな気分も何もなくなってしまいますわ」
 ぼくは狡《ずる》い男でありますから、その奥さんには気の毒ですなあ、御主人に忠告しておきましょうなどとウマいことを言っておいたが、本心では、フン、亭主がオナラをする気持はわかるよ。もっとオナラをしてやれ、やれと考えていたのです。
 万一、あなたたちがこの奥さんと同じ不平を御主人にたいしてお持ちならば、こう考えていただきたい。男であるご主人は彼の女房がいい年をしているのにもかかわらず、「うっとり」して婚約時代のように溜息《ためいき》ついたり、散歩の時、暗闇などで急に寄りかかってきたりされると、キャッと叫んで逃げだしたいような恥ずかしさと苦痛感を味わうのです。それは男のどうにもならん感覚であって、この感覚から彼は女房のうっとり顔[#「うっとり顔」に傍点]に水をかけるべく、わざわざオナラをしてみせるのです。
 この間、クリスマスの前夜にある女子大の寮にスピーチをさせられに出かけました。百人ちかい女子学生たちにかこまれて食事をしたのはいいが、食後、この女の子たちが食堂の灯を消してロウソクに火をつけ、うっとり顔で素敵、ロマンチック、きよし、この夜などと言いだすと、ぼくはもうたまらない。苦痛で、恥ずかしくて、照れ臭くて、この女子学生たちは二十歳にもなっているくせに、なんという自意識のない連中であろうか、などと口の中でブツブツつぶやき、ひとりで冷汗をかいたのを憶えています。
 男だって、もちろん陶酔する。しかしうすっぺらな陶酔を求める傾向は、男より女のほうが強いんではないでしょうか。
 また、男にとって苦手なのは、女が教養ありげなところを見せる点です。「自衛隊の人たちはドゴール政権のこと、何も考えてないんですって」こういう言葉を女性からもろ[#「もろ」に傍点]に口に出されると、いったいどういう表情をしてよいのかわからなくなってきます。大袈裟《おおげさ》に言うと、自分までが穴があれば入りたいような感じになるのです。
 だからといって、ぼくが女性の教養を馬鹿にしていると思っていただいては困ります。ぼくは女性の教養ある人は幾人か知っているし、それを尊敬するのに人後に落ちるものではない。ぼくは、さきほどの女優さんのことを「教養ありげな」と書いたはずです。
 男の中にも、教養ありげな連中はワンサカいる。こういう連中は、なにかというとすぐムツかしい人の名まえや横文字を会話や言葉のなかに入れてきます。あなたらも、こういう男に恋をささやかれたことがおありでしょうが……。
「ぼくの君にたいする愛情はね、実存的というか、サルトル的というか、サルトル的実存の愛だとそう思ってくれていいんですよ」
 もし、そんな男がいたら、あなたたちは、お手洗いはどこ? と急に聞いてやるといい。えてしてこういう男は、靴下がたいへん臭いものであります。
 だが男の場合、こういう靴下の臭いようなやつは、仲間からいつか馬鹿にされ、からかわれるものですが、女の場合、「教養ありげな」女性は一種の尊敬まで仲間から持たれるので始末が甚《はなは》だわるい。
 率直に言って、ぼくは今日まで女子学生の中で本当に教養ある女性だと思った者に、一度もお目にかかったことはありません。大学を出て、いわゆる文化的(?)な勤め口に勤めている女性の中に、教養ある女性を見たことはありません。テレビや映画女優のなかに、教養ある女性を一度も発見したこともありません。彼女たちはドビュッシーだのアンチ・ロマンだの、わけのわからんことを口に出すことを誇りにしていますが、その誇りにしていること自体が、無教養な証拠だとぼくには思えてならないのです。
 むかし我々の祖母さんのころには、ほんとうに教養のある女性がいました。その人たちは、こんな阿呆くさいことは口には言わなかったが、たとえばお茶を何げなく飲む時、その手の動きだけで、ああこの人は奥ゆかしい、と思えるような人がいたもんです。この間、女子大の寮に行って彼女たちの食事の仕方をじっと見ていたら、フォークのつかみ方さえ知らない。フォークの置き方さえ知らない。それで口では教養、知性とか言うので、ぼくは助けて、母ちゃん、思わずそう叫びたくなったんであります。
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