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ぐうたら愛情学26

时间: 2020-10-10    进入日语论坛
核心提示:5 真の「内助」とは 「安堵」の生む「怠惰」 女性の悪口を書いたために、読者から手紙やお葉書をいただいた。 おおむねは礼
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 5 真の「内助」とは
 
 「安堵」の生む「怠惰」
 女性の悪口を書いたために、読者から手紙やお葉書をいただいた。
 おおむねは礼儀正しいお言葉で、ぼくをたしなめてくださったり、共感を示してくださったのであったが、その中に一枚、一読キャッと震《ふる》え上がるような葉書があった。文面、左のごとし——、
「激怒、激怒、激怒でキーキーポッポ。このような男がストッキングで首をしめられなかったのがふしぎなくらい(その際、眼鏡がずり落ちんことを望む)。こんな男には原稿料を払ってはいけません。こんな男がいるから女は強くなれないのである」
 普通もらうこのような手紙のうち、こちらを罵倒《ばとう》している手紙は無署名なのが多いのですが、このお嬢さんは、はっきり自分の名まえ、会社名まで書いてある。要するに、ケンカを正々堂々と申し込んできたのである。その勇気は立派だ。
 ぼくは震えながらも、しばらく考え、自分の考えをもっと電話で彼女に説明したほうがいいと思って受話器を握った。同僚らしい男性から名まえをよばれた彼女は電話口にでると、
「もし、もし、どなたです」
 ぼくが自分の名を言うと、
「キャアーッ」異様な声で叫び、あとは「スミません。ゴメンなさい。ゴメーンなさい」の一点ばり。あの勇ましい文面はどこへやら、もう狼狽《ろうばい》して電話を一刻も早く切りたげである。ぼくも、もう吹き出してしまい、先ほどの恐怖やおののきも、やっと鎮《しず》まったくらいであった。
 こういう陽性なドライなお嬢さんは、近ごろだんだんふえてきた。私は大好きである。
 しかし、私がこのお嬢さんをふくめて皆さんにお願いしたいことがある。それは、ただ女性を男性の眼で批判したという、それだけの理由で「ストッキングで首をしめられてしまえ」と激怒されないでほしいのです。でないと、男と女は永遠に話ができなくなる。我々も皆さん女性に注文が言えなくなる。
 今日《きよう》は若い主婦たちのことについて書きます。ひょっとすると誤解がぼくのほうにあるかもしれない。もしそうだったら、親切に教えてください。
 はじめから結論を言うと、ぼくは日本の若い主婦たちは近ごろ、むかしの主婦にくらべて怠《なま》けているのではないかと思うのです。
 怠けてない、そんな馬鹿なことはない、と言われるでしょうが、まア、聞いてください。
 ぼくが子どものころは、日本の主婦というのはほんとうに忙しかった。朝から夜おそくまでコマネズミのように働いていた。つまり、レジャーなどというものは、彼女たちにはほとんどなかった。
 理由はいろいろあるでしょうが、なんといっても電気洗濯機や電気掃除機、ガス風呂などのある現在とそうでない昔とは、主婦の労働力はずいぶん違う。
 もちろん、若い主婦というものがこういうものを使って余暇をつくるということは大賛成です。電気洗濯機があるほうが、そういうもののない時代より、若い主婦にとってありがたいことは、言うまでもない。
 しかし、ぼくは最近、若い主婦たちをみていると、せっかく得たレジャーをムダに使っていられる方が意外に多いのに、いささかビックリしました。怠けていると思いました。
 どういうふうに怠けているか。たとえば、こういう例をあげるのはどうかと思いますが、ぼくはこれら若い主婦たちと何らかの機会で話をしてみると、精神の張りが感じられないのです。極端に言うと、気持が何か安心しきっていて、その安心の上によりかかっているような気がするのです。
 だから何を話題にしても、実にツマらない。こちらの会話にたいして、ちゃんと受け答えひとつできず、ニヤニヤ笑っているか、ろくでもない返答しかなさらない。話すことといえば、だれか知人のウワサか、悪口か、あるいは子どものことばかり。
 ついでにここで書いておきますが、若い主婦がいちばん我々を興ざめさせるのは、彼女たちが自分の子どもの話ばかりする時です。
「今年は幼稚園の試験もムツカしくなりましてね」
「ウチの坊やったら、おもしろいんですよ」
 はじめは我々も彼女にうなずいておりますが、やがて、なんと無神経な人だろうと思うようになる。彼女の子どもは、なるほど、彼女にとっては眼の中に入れても痛くないほど可愛いでしょうし、そのすること、なすこと、すべて興味があるでしょうが、他人にとっては、やはり、他家の子どもにすぎません。その子どもがバアと言おうが、キャアとわめこうが、こちらにとってはそれほどおもしろい話題ではない。
 そのおもしろくない話題を一時間も話しつづける神経はチェーホフ流に言えば「可愛い女」かもしれませんが、やはり精神がたるんでいる、と言うより言いようがない。
 むかしの主婦もそうでした。しかし彼女たちの場合には、さきほども書いたように一日じゅう労働に追いまくられて、興味の対象が自分の家か子どもにしかなかったからです。
 夫婦のあり方
 3の講でぼくは「教養ありげ[#「ありげ」に傍点]」な女は大嫌いだと書きましたが、それはほんとうに教養のある女性が嫌いだという意味ではありません。むかしの主婦にくらべて、生活も合理的になった若い主婦が「もはや、あたしは永久就職に合格した」という安心感から、心をたるませ、何ごとにもほんとうの興味も学ぶ気持ももたなくなり、眼はトロンとし、人のウワサと悪口と子どもの話しかできない時——、ぼくはその人の夫が浮気しても、夫のほうに同情します。
 男はそれでも何とか言われながら、まだ勉強しますよ。社会の生存競争が、眼をトロンとさせた男を蹴落してしまうからです。それは若い主婦たちも認めるでしょう。永久就職という温室にヌクヌクとして、
「ウチの坊やはおもしろいんですよ」
「近ごろ、家計のやりくり大変だわ」
 この程度の話題か、
「奥さま、お聞きになった? 今川さんのところの御主人、課長になったんですって」
 こんな話しかできなくなれば、どんな女も魅力がなくなりますよ。我々はこんな女性にはハイ、サヨウナラと言ってもしかたないでしょう。
 ぼくが留学していた時、住んでいたフランス人の家庭では、その若い主婦が育児、家事の暇を必ず見つけて、毎日一時間、何かの本を欠かさず読んでいました。
 しかも彼女は、決して「教養ありげ」な女性ではありませんでした。
「主人は仕事で忙しいでしょう。だからパーティーやお客さまを御招待した時、話題になる本を読む暇がないのです。私が代りに読んで、彼に内容やその本の批評を話してあげるのです」
 と、その若い夫人はニコニコしてぼくに説明してくれました。
 これがほんとうの内助の一つだ、とぼくはその時、思ったものです。
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