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ぐうたら愛情学27

时间: 2020-10-10    进入日语论坛
核心提示:思い出のハンスウ性 牛がこのごろ、東京から姿をみせなくなった。ぼくは動物といえば何でも好きだが、馬と牛とどっちが好きだと
(单词翻译:双击或拖选)
 思い出のハンスウ性

 牛がこのごろ、東京から姿をみせなくなった。ぼくは動物といえば何でも好きだが、馬と牛とどっちが好きだと言われれば、
「牛」
 と即座に答える。印度には二度ほど行ったが、あの国の風物のなかで一番好きなのは、街路とか田舎道に牛がたくさんいることだった。牛はこの仏教国では神の使いとされて大事に扱われているからである。
 なぜ牛が好きかというと、あの眼がちょっと、白痴的で善良そうで、馬のそれのように小利口なところがひとつもないからである。みなさん女性は、どちらがお好きですか?
「馬よ。やっぱり颯爽《さつそう》として」
「牛なんかイヤ。大嫌い。鈍ですもの」
 ははア。そうですか。なるほどねえ。ところで、みなさん、牛と馬と、どちらが女性のイメージをもっていると思われますか。
 牛って、ハンスウするでしょう。
「ハンスウってなあに」
「ハンスウってのは」周作さんは答える、「一度、胃袋におさめた食べものを、また口のなかに戻してモグモグやっているでしょう」
「ああ、やってる。やってるわ。きたない涎《よだれ》なんか、たらして……」
「あれですよ、ハンスウっていうのは」
 ところで、ぼくはあのハンスウしている時の牛の顔が大好きなんである。ペチャペチャ、グチャグチャ一度たべたものをまた口にもどし、うまそうに噛《か》みしめ、また胃袋に入れるそのぼくの大好きな牛の横顔こそ女のイメージ。
「失礼ね」
「人を馬鹿にしないでちょうだい」
「いい気になるんじゃないわよ」
 だって奥さま、お嬢さまたち、そうではないですか。
 女っていうのは男とちがって、必ずむかしを大事にする。むかしの思い出を大事にする。
 この間、サマセット・モームという英国作家の芝居を見にいきましたらね、粗野な亭主に苦しんでいる妻が妹から、
「どうして、あんな人とつながっているの?」
 そうきかれて、
「思い出[#「思い出」に傍点]につながっているの」
 と答えておったが、その言葉、女だなあと、実に実感がありました。ああいう台詞は、とても男には言えない。男は自分の妻が現在、粗野になった時、それに耐えて、ただ彼女との昔の思い出を噛みしめるなんて、とてもできないのである。
 え? あなたたちだってそうでしょう。あなたたちの御主人が別に粗野な男性だと申しあげているのではない。あなたたちの御主人はやさしく、男らしく、心こまやかにちがいない。
 しかし、夫がどういう方であれ、いや、夫がやさしく男らしければ男らしいほど、女というものは台所仕事、洗濯、その他もろもろの家事をやりながら、彼との楽しい過去の思い出——婚約時代のこと、彼が結婚を申し込んだ日のこと、初めての接吻のこと——をもう一度、お腹の底から口の中に戻して、グチャグチャ、ピチャピチャ。
「あの時の良二さん、ステキだった」
「あたしも今はこんなにお婆ちゃんになったけど、あのころは若くて美しかった」
 噛みしめ、味わい、また、頭のどこかにしまっておく。つまり、わが愛する牛くんたちが食物をハンスウするがごとしで、そのイメージにおいて、はなはだ類似点があるのです。だから、こういう時の女性の顔は牛に似ておる。牛がハンスウしておる時の顔に、はなはだ似ておる。
 男はなぜ過去を忘れるか——
 こういう表現が万一、失礼ならば、哲学的に書きましょう。哲学者ジャン・ポール・サルトルが言っている、「女は過去に向い、男は過去よりも未来を志向する」
 哲学的に書けばそういうことになるが、要するに意味は同じだ。女は牛がハンスウするような顔をして、いつまでも過去を噛みしめ味わい、また胃袋の中に戻す。しかし男というものは、だいたいにおいて、過去よりも未来のほうが大事なんです。なぜなら、過去にいつまでもこだわっていては、運命など切り開けない。過去にいかに美しい思い出があっても、それよりも自分のこれからを立派にすることのほうが大事だ。
 だから多くの夫は、自分がむかしラブレターで何を書いたか、むかし接吻をして言った言葉なんか、すっかり忘れておる。かく申すぼくなぞも自分が婚約した日、結婚式なんかほとんど憶えておらん。ぼくだけがそうじゃない。A君だって、D君だって、E君だってみんなそうだ。
「あなた」
「なんだ」
「あなたは明日が何の日だったか、憶えていらっしゃる」
「明日? なにかな。なんだったけな。NHKが集金にくる日なのか。美空ひばりが生れた日か」
「まア」女房どのはワッと泣きだす、「口惜しいわ。おぼえていないの、明日は私たちが婚約した日じゃないの」
「そ……そうだったけな」
 男にとっては妻がこんなツマらん(?)ことを自分が忘れたぐらいで、なぜ泣きだすのか、さっぱりわからん。そりゃ、あたりまえです。男にとっては過去なぞ、そんなに大《たい》したもんじゃない。
 結局、その翌日、彼は女房をつれて六本木かなにかのレストランで晩飯をくわされ、
「思いだすわねえ、あなた。婚約のころを」
「う、うーん」
 すっかり機嫌をよくした妻は、
「近ごろ、こんな所、一年に一度しかつれていってくださらないけれど、これから婚約日には二人で外出しましょうね」
「う、うーん」
 チェッ。なんでこんなつまらんことで、つまらん出費をせねばならぬのかと、亭主は苦《にが》い気持だが、顔だけは嬉しそうにしないと、またヒステリー起されては困る。
「あなた、幸福?」
「う、うーん」
 助けてくれ、と言いたくなりますわい。こんな夫婦がよく、おりますなあ。五月、十月ごろの町のレストランに。
 要するに、すべてこれらは、女の中にある牛のハンスウ的傾向のせいで。しかし、女性よ、そのためにぼくを怒ってはいけない。すでに書いたかもしれませんが、夫婦喧嘩で男がやりこめられるのは、女の過去にたいする異常な記憶力のせいなんです。
「あなたは、二年前の三月十七日に、こう言ったんですよ。二年前の三月十七日に」
「そ、そんなこと言ったか」
「言いました。チャンと憶えてんだから。その二年前の言葉と今と違うじゃありませんか」
「それは、その」
「どっちが正しいんです」
「君です。すべて君です」
 女が牛であることよ。万歳。
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