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ぐうたら愛情学34

时间: 2020-10-10    进入日语论坛
核心提示:「女性のユーモア」再考 女性にユーモアがないとは近ごろ、よく言われる言葉だが、これは間違っている。女性とはそれ自体、ユー
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「女性のユーモア」再考
 
 女性にユーモアがないとは近ごろ、よく言われる言葉だが、これは間違っている。女性とはそれ自体、ユーモアのある存在であって、御婦人が真面目になればなるほど、彼女はわれわれのユーモア感をそそるか、ユーモアの対象になるのである。
 ただ、こういうことは言える。女性はユーモアを感じないか、本心ではユーモアをバカにしている存在だということだ。それにくらべて男はたしかに女性よりはユーモアを愛することができる。
 と、書けば、もう柳眉をさかだてる女性も読者のなかにはいられるだろう。ひょっとすると、この原稿が載ってから一週間以内に私のところに無記名の葉書で「あたしたち女をバカにしている」と書いてくる女性もいられるかもしれぬ。だが、もしこの原稿を読んで自分たちはバカにされたと怒る人がいられたら、その御婦人は既にユーモアがないのである。すぐむきになって怒るからである。
 女性は本質的にはユーモアを感じない。それは彼女たちは愛する男が三枚目になることを決して望まないことでもよくわかる。愛する男が道化師であることは、ほとんどの女にはとても耐えられない。彼女の周りに五人の男がいて、その三人がマジメ人間や秀才や二枚目であり、あとの二人がバカか道化師であれば、彼女は決して恋愛、もしくは結婚の対象にこの後者をえらばないであろう。
 
 河盛好蔵先生の御説によると、ユーモアとは、自分をバカ、もしくは道化師の位置において、バカや道化師になれぬ人間をひそかに笑う感覚である。もしくはバカ、道化師の感覚をひそかに味わう楽しみでもある。だから自分をバカや道化師の位置におけぬ人間はユーモアの感覚がないと言える。
 女性は自分が他人からバカにされたり、道化師に見られることは絶対にゆるさない(化粧品と美顔術の発達はこの女性たちのユーモア欠如を最大に利用したものである)。自分にゆるさないだけではなく、恋人や夫や子供にもゆるさない。それはちょうど文化人といわれる人や大学教授が他人からバカにされたり道化師になることをきらうのとよく似ている。文化人といわれる人や大学教授に女性的な人物が多いのはそのためである。
 徳川夢声氏は私にある日、こう言われた。「女性にユーモアがないのは、やはりお産ということを生涯の大事業にかかえているためではありませんかな」。あるいはそうかも知れない。それは最近、よく上映されるお産映画を見ればよくわかる。あれは皆、マジメを装っている。本当はエロが売りものなのに、いかにも厳粛、マジメな映画のように宣伝されている。
 ユーモアを味わう楽しみを知らぬ人間——つまり道化師になることを絶対にきらう人間はそれ自体、ユーモアの対象になる。女性はユーモアを感じないが、それ自体、ユーモラスな存在であるのはそのためである。彼女たちがマジメなつもりになればなるほど、それはユーモラスな存在になる。戦争中の愛国婦人会の婦人たちや、キリスト教婦人会の婦人の写真などを見ると、われわれが何となく、おかしくなるのはそのためである。教育ママたちが漫画の対象になるのもそのためである。
 
 私は週一度、大学に講義に行くが、文科系の大学には女子学生が圧倒的に多い。女子学生たちのなかには、懸命にノートをとることがマジメな勉強ぶりだと錯覚している学生が多い。しかし、面白いのは彼女たちはその自分のマジメさに陶酔するあまり、ノートを全部とることだけに終始してしまうのである。そしてある日、これら女子学生のノートを見てみると「かくてエヘン、二十世紀の小説はエヘン」というように、私のセキばらいまでマジメに筆記していた者がいた。これほど女性のマジメさと、その本質を象徴しているものはないように私には思われた。
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