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ぐうたら愛情学35

时间: 2020-10-10    进入日语论坛
核心提示:「女と記憶」再考  「昔のこと」をもち出す癖 はなから尾籠《びろう》な話で恐縮だが、私はこういう男を知っている。この男、
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 「女と記憶」再考
 
  「昔のこと」をもち出す癖
 はなから尾籠《びろう》な話で恐縮だが、私はこういう男を知っている。この男、結婚して十年目になるのだが、夜など、夫婦二人っきりで散歩せざるをえない時、少しでも女房が甘えた身ぶりや鼻声を出すと、たちまちブッとオナラをするのだそうである。
 私には彼の気持がよくわかる。もちろんせっかく女房が甘えようとしているのに、その気持を粉砕するがごとくオナラなどするのはよろしくない。よろしくはないが、われわれ亭主族には、古女房がいい年をして娘時代のような声をだせば、穴にでもはいりたいほど照れくさいのだ。背中にジンマシンの起きるように恥ずかしいのだ。だからその照れくささをゴマ化すために、彼女の心に水をかけるためにブッとやりたくもなるだろう。彼の気持はよくわかる。読者のなかにもワカル、ワカルと言われる方は多かろう。
 
 女性読者はこれ以上、読まないで下さい。
 私は女房というものを考える時なぜか、牛を連想する場合がある。牛は一度、胃袋に入れたものを幾度も幾度も口に戻してモグモグ噛みしめている。あれを牛の反すう[#「反すう」に傍点]というのだそうだが、女房もまた牛と同じように、昔のことを幾度も幾度も思いだしては反すうする癖があるらしい。女房ほど過去の事をよくおぼえている人種はないのである。
 婚約記念日や結婚記念日は亭主たちにとって、もう過去のどうでもいいことであるが、女房族にとっては宝石以上に大事なものらしく、思いだしては噛みしめ、思いだしては噛みしめている。亭主がうっかりこの日を忘れようものならたいへんだ。愛情がないとしかられる。二人の思い出を大事にしないと涙ぐむ。
 彼女たちは家事をやりながら、反すうする牛と同じように目をトロンとさせながら、過去を噛みしめているのではないだろうか。私は女房族というものを考える時、口を動かしている牛を思いだす。
 男にはこういうことはない。男にとっては過去の思い出よりこれからのことで頭がいっぱいなのだ。だから夫婦げんかをする時には、昔のことを必ず持ち出す女房には絶対、記憶力ではかなわない。かなわないから、手がとぶ。手がとぶと、もう、こちらの負けだ。なにしろ世は暴力否定の民主主義の時代である。
 いったい、どうしてこういう違いができたのであろう。
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