もし亭主に男と夫と父性の三要素があり、女房に女と妻と母性の三要素があるとするなら、結婚十年目の亭主にはその順位は次のようになる。男が第一。次が父性、最後が夫である。つまり男にとっては結婚生活をいくら続けても男の心理がいちばん大きな比重を占め、これにわが子かわいやの父親的感情が続き、最後に女房にたいする夫の気持がある。これは当然だ。男はまず働かねばならぬ。運命を切り開かねばならぬ。朝から晩までデレデレ父性や夫の心理ではおられんのだ。
だが普通の女房にとっては、順位は次のようである。まず母、次に妻、そして女。あるいはまず妻、次に母、最後に女。いずれにしろ妻の部分が男の夫の部分より高い位置にあることは、私がかなりの家庭夫人にたいして調査した結果に得た結論である。
こうした順位などどうでもいいが、困ったことがここに起る。つまり女房たちは自分たちの順位と同じものを亭主に要求するからである。一般の亭主にある「男、父、夫」の順位を「父、夫、男」の順位か「夫、父、男」の順位に変えろと言うのである。
「あなたは家庭をかえりみない」
「あなたは自分のことしか考えない」
彼女たちの多くの不平はすべてこの順位変更の欲望から出ている。
そのくせもしおおせの通り、われわれ亭主がその順位を変えたとしよう。すなわち家庭にばかり心をむけて男の要素を少なくしたとしよう。すると彼女たちはたちまち、怒りはじめる。「デレデレしている」「働きがない」「男らしくして下さい」
われわれはこうして女房がこわくなってくる。こわいというより、何か横にいるだけで重い気持になってくる。そう……それは正月にもちを食いすぎて腹部がふくれたような不消化な感じに似ている。そしてきょうも牛の反すうのような顔をして、昔のことを噛みしめている女房たちの顔をみては深いため息をつく。あるいは、気が狂ったように突如として娘時代のような甘え声をだす彼女たちに仰天し、恥ずかしさをごま化すためにブッと一発やる。そうではないか。読者諸氏。
(この文章にたいする女性側の反論はいりません。どうせ、こちら[#「こちら」に傍点]が負けるに決っているんだから……)