一年ほど前、友達の外国人夫妻が日本を去るというので、飼っていた小さな西洋犬を私に押しつけて引きあげていきました。その日、私は外出していて帰宅してからこの犬を見たのですが、まるでボロボロのよごれた毛糸のパンツ(昔、子供のころ冬になると近所の女の子がよく、はいていたものです)を丸めたような犬で、ひどく人見知りをするらしく、ヒガんだような眼でじっとわれわれを見るだけで、なかなか馴《な》れてこない。
味噌汁の残りをご飯にかけてやっても「ふん、こんなものが食えるか」という顔をする。奴は外人の家でチーズやバターやパンをもらって食べていたのです。私は断然、怒って、怒鳴ってやった。
「なんだ、お前は、日本人の家に来たのだぞ。日本食をくえ。ここは日本人の家だ」
それから彼にオケサ節やお猿のカゴ屋などを歌ってきかせ、日本精神を注入するよう心がけました。奴は仕方なく、渋々、味噌汁の残りをなめ、変な顔をしておった。
半月ほどたつと、やっと彼も日本家庭の良さがわかったのでしょう、警戒心をとき、あのヒガんだ眼もしなくなり、お愛想に尾っぽをふるようになった。一ヵ月すると、すっかりズウズウしくなり、家のなか、庭のなかを暴れまわり、私が大事にしている庭の桔梗《ききよう》はほじくる、廊下には丸い小さな糞《ふん》をするで、すっかり慎しみがなくなってしまった。
私はこの彼の態度を見て、こう思った。
「ああ、なんという奴だろう、しかし考えてみると人間の女性のなかにも、こんなふうなのがいる」
読者諸姉よ、怒らないで頂きたい。あなたたちは例外だと私は知っているのです。
だが時として、女性のなかには、最初は男にはなはだしく警戒心をもちながら、一度、馴れるとその相手の男性にすっかり慎しみを欠いて、ゲンナリさせる人が時々いるのです。男性に警戒心のある時は、彼女は大変すましている。すましすぎて、時にはこちらがそんな気が毛頭ないのにハッシと睨《にら》みつけたり、イヤらしいと怒る人がいる。そういう女性に限って、その男性にすっかり気を許すと、もうすっかり何もかも曝《さら》けだして、彼の前でハンドバッグから紙をだしてお手洗いに駆けこんだり、頬杖《ほおづえ》をついてピチャクチャ、ポチャクチャ、機関銃のようにしゃべりまくる。
そんな女性をあなたたちも身近にきっと一人、二人、ご存知でしょう。
男というのは妙なもので、女性が自分に気を許していない間は相手にどんどんプラス点を与えるくせに、彼女が自分の恋人か細君になった瞬間から——つまり女性がすっかり自分に気を許してしまった時から、きびしい採点者になるのです。
「もう恋人(夫)だから、多少、慎しみを欠いてもかまわないのだ」
というのは女の論理です。だが、
「もう恋人(妻)なのだから、そういうことはしてもらいたくない」
というのが男の理屈です。
「だって、あなただって、同じことをしているじゃないの」
というのは女の考え方です。
「いや、男が慎しみを欠いても、女がそれをしていいとは限らない」
というのはすべての男の感覚です。
「身勝手ね、そんなの不公平」
と女性はいうでしょう。たしかに身勝手だと思います。身勝手とは思いますが、男とはそういう身勝手を女に求めるものであることを、まず頭に叩きこんで頂きたい。
どんなに長年、つれそっても亭主の前で靴下をずりあげたり、足の裏をみせて昼寝をしてもらいたくないもんですなあ。