この前、吉永小百合さんと対談していた時、彼女がこんな話をした。彼女には(現在の夫君、岡田ディレクターと交際する前に)ボーイ・フレンドがいた。その青年がある日、吉永さんにこういったのである。
「ぼくは君がトイレに行くなんて信じられないよ」
その言葉を聞いた時、吉永さんは「大変カナシカッタ」そうである。
「だって彼が、わたしを女優として見て、人間として考えてくれないと思えたんですもの」
と彼女はそう私に説明した。
なるほど、私にも吉永さんのこの時の気持は分かる。しかし男として、私はその青年の気持も分かる。彼はむしろ吉永小百合さんに次のようにいいたかったのであろう。
「男には、女性が露骨にトイレに行く姿など見たくない心理のあることは分かってくれたまえ。理屈では君がトイレに行くことは承知しても、そう思いたくないのだ」
何と子供っぽい心理、何と幼稚な心理だと女性の諸君は思われるだろう。しかしどんな男にも、多かれ少なかれ、この幼稚な心理はあるはずだ。
多くの場合、男が女性に幻滅するのは、彼女に「慎みが欠けた」一瞬である。この一瞬を、私は「悪魔のささやき」と呼びたい。
先日、ある女優と食事をした。美しく飾ったその女優は、流行の服を身につけて現われた。
だが食事が始まる前、彼女は「慎みを欠く」ことをした。まだ皿が運ばれないのにパンかごからパンを取って、それをヒジを付きながら食いちぎったのである。
こういう動作は、恋している男から見ると「かわいい」と思うものかもしれぬ。しかし私はこの女優に恋心を抱いていなかったから、一瞬、戸惑った。戸惑ったのみならず、いいようのない白けた、幻滅した気持を味わったのである。
断わっておくが、この感情には彼女の人格に対する軽蔑《けいべつ》はない。軽蔑はないが、できればやってもらいたくないという感情が働いたのは事実である。
食事の仕方を見ればその人が分かるというのは、ある意味で至言だ。
もしこれをピクニックに行った時としよう。ピクニックでパンを食いちぎったって一向にかまわない。ピクニックの時、正式のマナーを誇示するような食べ方をした女がいたなら、私はただちに、
(この阿呆《あほう》)
と、もっとイヤになるだろう。彼女は時と場所を心得ていなかったからだ。皆と和気藹々《わきあいあい》、騒ぎながら野原や山で食事をする時には、レストランとは違った楽しい食事作法があるのであって、これをキチンとした作法でやられては、雰囲気ぶちこわしなのである。
悪魔のささやきは女にいつ来るか、決まっていない。男に膚を許した瞬間、女が急にハスッパな言葉を使ったため、男が白けたという例は幾つもある。
自分の友人の悪口を恋人に聞かせた時、彼が急に幻滅したような顔付きになるのを、皆さんの中には経験された人もいるでしょう。男は自分は上役や同僚の悪口はよくいうくせに、女が他の女の悪口をいうのを聞くのを好まないのである。
私が来世、もう一度、男に生まれたいと思うのは、女に生まれれば恋人や夫の前でいつも「慎みに欠けぬ」よう注意を払わねばならぬからです。皆さんは大変ですなあ。