八年前、フランスに留学していたころ、病気にかかって二、三週間ほど入院したことがありました。
病室は三人が一室の部屋で、ぼくは真中のベッドをあてがわれ、右と左にフランス人の男が寝ていた。右の男はスペイン人とフランス人の混血で体格もよく、仕事は画家だと言っていました。彼にくらべると、左の患者はチビ助の上に、塩センベイのような顔をして、おまけに口もとにちょび髭《ひげ》をはやしている。職業は税関の役人だそうです。
毎日、五時ごろになると、この二人の男に細君がやってくる。
お二人の細君が見舞にこられるのは、御当人たちにとって結構な話でありますが、独身留学生のぼくには、まことに迷惑だった。と言うのは、この二組の夫婦は——まあ、その気持もわからんのではないですが——病室の中だというのに、大きな音をたててキッスはする、かたく抱きあう、甘い声を出して互いに慰めあう……それを眼のやり場もなく天井を睨んで、見て見ぬふりをしていたぼくの胸中も察して頂きたい。
幾分、ヤケのヤンパチの気持も手伝って、お恥ずかしい話でありますが、左右から洩れてくる白人夫婦の甘いささやきをじっと聞いていた。ところが、夫が女房をよび、女房が夫をよぶ言葉の甘いことと言ったら……、
「ぼくのキャベツ」「わたしの蜜蜂ちゃん」「ぼくの小羊」「わたしの小ねずみ」
ぼくは左に寝ている塩センベイのような税関役人のちょび髭の顔を見るたびに、これが「わたしの小ねずみ」であり、「わたしの蜜蜂ちゃん」なのかと、阿呆らしく、馬鹿らしくてならなかったが、御当人は平気の平左。
だが、これはなにも彼一人の責任ではない。一般にフランス人——フランス人だけではなく、欧州人男女の愛の表現は、我々日本人から見ると実に濃厚であり、誇張的であることはみなさま御存知の通りです。
またぼくは、三、四ヵ月ほど、あるフランス人の家庭に下宿したことがありましたが、この家の娘に婚約者の青年ができて、毎日遊びにくる。娘はその青年と親や兄弟の前でも平気で肩をくみあったり、腰に手をまわしたり、時にはウットリとした眼差しで彼を眺めてはばからない。そして、彼女の親や兄弟も一向にこの態度をふしぎがらないのです。彼等はふしぎがらないが、同宿しているぼくのような日本人にはやはり照れてしまう愛情表現でありました。まあ、考えてもみてください。かりに、あなたの御主人がこのフランス的夫婦愛の表現方法をそのまま真似て、突然ある日、
「ぼくのキャベツ君」
「ぼくの小羊」
そうあなたを呼んだら、あなたはどんな気がするでしょう。きっと御主人のおツムが、陽気のせいで変になったと思われるにちがいない。逆にもし、あなたが会社から帰った御主人にニッコリ笑って、
「わたしの蜜蜂ちゃん。小ねずみちゃん」
と言ってごらんなさい。彼の顔がどんな色になり、家庭内にどんな大騒ぎがもちあがるか。
こんな誇張的な夫婦の愛情表現は、外国人とはちがって我々日本人の感覚には、たしかに不むきなのです。妻から、「わたしの蜜蜂ちゃん」などと言われると、背中にジンマシンが起きるような顔をするのが、日本の亭主族の特徴です。と同時に、彼自身も自分の女房にむかって「ぼくの小羊クン」などと、とてもささやくことはできない。
だから、「日本人の男は、女性にたいして愛情の表現が拙劣である。あまりに照れくさがりすぎる。もう少し外国人の男性を見習って、濃厚な表現をすべきである」という評言が、よく雑誌などにも書かれるのです。しかし、ぼくは、この考えに必ずしも賛成することはできない。ぼくは、女房から「蜜蜂ちゃん」などと言われれば、それこそ七面鳥のように真赤に照れる日本の亭主族の気持が、充分理解できるような気がしますし、また、この照れ方を決して女性にたいし無神経な行為とは思っていないのです。