多くの日本の亭主族は、彼ほど極端ではありませんが、ある程度、同じ「照れくささ」のために女房にたいする愛情の表現をストレイト・ボールでは行わずに、ナックル・ボールで、表現します。つまり、生の形ではとてもあらわすことができず、一《ひと》ひねりも二《ふた》ひねりもした愛情の表現方法をとるようです。それがよいか、悪いかは別として、こういう夫の心理を若い新妻やこれから結婚なさる女性は理解しておいて損はない筈です。
というのは、若い恋人時代や、新婚ホヤホヤの時代ならばとも角、結婚して一年もたつと、日本人の亭主族は女房にたいし、たとえば、次のような心理になるのが普通です。
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(1) センチな、甘い愛情表現をしまいとする。
(2) 逆に、女房が白昼や他人の前でセンチな、甘い愛情表現をすると照れくさがる。
(3) 友人や他人の前で、自分の妻のことを知らん顔をしようとする。
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このような心理は、女性の側から見るとまことに妙なものですが、一応は誰でも夫たるもののかかる心理です。女の側から見ると、まことに小児的なもののようですが、これは夫にとっては、色々な原因からそういう気持になっていくものなのです。
だから、結婚生活後ようやくこの時機にたっした妻は、自分の御主人が、恋愛時代や新婚時代のやさしい態度をガラリと失って、急にえらそうな面構えになったことに気がつくことがよくあります。昔のように優しい言葉もかけてくれなくなった。こちらがそういう甘い雰囲気を求めても、知らん顔をしている……そういう妻の側の不平を聞くのもこの頃である。
だが、早まってはいけない。亭主がこの頃から仏頂面をしたり、甘いささやきをしなくなったからといって、ただちに自分たち夫婦に倦怠期が訪れたのではないか、夫の愛情がつめたくなったのではないか、他に恋人でもいるのじゃないかと速断するのは早すぎると言うものです。
心配は、おそらくいらないでしょう。ただ、これは御主人の愛情表現が、昔のように直球の投げ方ではなくカーブやシュート、つまり変化球にかわってきたと見るべきでありましょう。愛情がなくなったのではなく、その噴出孔が別のところにできたのでありましょう。
ぼくの知っている奥さんで、やはり、今、申しあげたような不満にとりつかれた人がいました。昔ほど夫がロマンチックな愛情の表現をしなくなったからです。ところがある日、彼女は病気で二週間ほど寝こまなければならなくなった。ところが、この病で、夫は昔のようにロマンチックな言葉などは喋らなかったが、男らしい、言い方や行為で、彼女を大いに慰め元気づけてくれたそうです。
「つまり、夫の愛情のあらわし方も、昔とちがって結婚生活によってベタベタしなくなったのかもしれませんネ」
と、彼女は後日《ごじつ》、そんな感慨を洩《も》らしていました。
この例が、いい見本だと思うのですが、もし同じ不満をもっていらっしゃる奥さんは、二、三日の仮病をつかって、御主人の反応をためしてごらんなさい。あなたは彼がこういう危急存亡の時に、やはりあなたの支え[#「支え」に傍点]であることが、おわかりになるでしょう。
ぼくは、こうした問題について、よく結婚して五、六年以上たった友人と話すのですが、彼等は、異口同音にこう言っています。
「ぼくたちの女房にたいする愛情のあらわし方は、青春時代みたいにベタベタとした惚れたハレたなぞではできんなあ。男の愛情なんて、女房がイザ本当に困ったという時にあらわれるんじゃないかな。女房にこの野郎と怒るのも愛情である場合もあるからなあ」
考えようによっては随分虫のよい話ですし、ぼくも先ほどから申しあげている通り、これがよいと言っているのではありません。しかしこういう夫の心理は一応、頭にふくんでおくことは、妻として決して損ではないから、繰りかえして述べるのです。