そこで、妻の側からは、こういう夫の心理にはどう反応すべきでしょうか。それには、それぞれの夫婦によってニュアンスややり方の差がありますが、大体の原則論として、次の二項をお考えになっておくとよいと思います。
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(1) 主人に見習って、自分も全く愛情表現をかくすようになってはいけない。といって、恋愛時代、新婚時代と同じストレイト・ボールの投げ方をしては、やはり下手である。
(2) 主人に、女の心理を折あるたびに教えてやること。女とは元来、あらあらしい表現よりは、いたわりや優しさの方を求める心理が強いと教育すること。「バッケヤロ」という愛情表現よりは、「おい、疲れないか」といういたわりの愛情表現をしてほしいと、そっと教えること。
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まず(1)から簡単に説明します。これをよく理解して頂くためには、前に書いた「夫の悩み・夫の不安」というぼくの文章をもう一度よんで頂くと有難いのです。あの文章の中で、ぼくは夫の中にはあなたたち妻に、妻でもなく、子供の母親でもない「女」の部分を求める心理があることを書きました。ここではそれをくりかえしては詳述しませんが、もしあなたが御主人の愛情表現の照れくささに追従して、自分も知らん顔をするようになると、夫という始末におえぬ子供は、至極、寂しがり不服な気持を持ち出すのです。我儘きわまる話ですが、男とは、また夫とはそういう駄々っ子なのだから、手におえません。手におえないでしょうが、そこは「眼をつぶって」やってください。そして、夫が愛情表現を照れくさがれば照れくさがるほど、こちらは愛情を見せてやってください。
ただ、この愛情を見せてやるというのも、甘い結婚前と同じ表現ではいけません。「スキ」とか「愛している」という言葉を、夫の顔を見るたび露骨に言えというのではありません。こういう濃厚な表現方法は、恋愛時代や新婚時代には繰りかえして[#「繰りかえして」に傍点]も飽きますまいが、お互いに朝から晩まで顔をつきあわせている夫婦では食傷してしまいます。
妻の愛情表現には、やはりコツがあります。ほんの一例ですが、妻らしい色気を出すということです。色気といっても、下品な言葉とお思いにならないでください。いや、むしろ妻こそ妻らしい色気を大切にすべきです。色気というのは、「そこはかとなくあらわれる魅力」と言えましょう。さりげない立居振舞に出る女の魅力です。これも、そんなにムツカしいことではなく、会社から夫が戻る直前に、家事でバラバラになった髪をちょっとなおすとか、夜ねむる前にルージュを濃く引いて、口に仁丹をふくんでおくだけでも色気なのです。
妻の愛情に夫がグンとまいるのは、彼女が自分の夫にたいする思いやりをそっと[#「そっと」に傍点]表現した時だと、ぼくの友人はみな口をそろえて言っています。
「いやね。これでもか式に愛情を押しつけられると、こちらも重荷なものだね。ところが、さりげなくやられて、ああこんな所までも考えていてくれたのかと気がついた時は、女房の情けが身にしみるね」
というのがおおむね夫の気持でしょう。どんなに生活が苦しくても、夫の男としての自尊心を傷つける言葉を一言も口に出さぬこと、一ヵ条だけでも一年間守ってごらんなさい。これもムツカしくはない。つまり、「あなたの会社は、ボーナスが少ないのねえ」とか、「田中さんは、あなたと同じ年なのに、もう課長ですって」などと夢々言わぬことだけでいい。夫というのは、神経が粗雑なようで案外、こういう妻のそっとした目だたぬ愛情を素早く感ずるもの。そんなとき、これは「スキ、スキ、スキ」の言葉だけの愛情表現よりは、百倍、ぐんと男の心にしみてくるものなのです。
次に(2)は、むしろ妻になる亭主教育の一つと言えましょう。
姉妹の多い中に育った男性は、こういう女の心の動きを知っていますが、男の兄弟しかいなかった亭主は、あなたたちが想像できないほど、ごく常識的な女の神経に無頓着なのが普通です。彼は、男の神経でそれを考えていることが多いのです。
たとえば、「お前がスキだ」と言うのが照れくさいあまり、「バッケヤロ」と言うのは、男仲間での法則を妻にも適用しているにすぎません。男同士の仲間——たとえば兄弟や親友の間では、「よお、久しぶりだなあ、バッケヤロ」「バッケヤロ。お前も元気か」というように、バッケヤロは親愛の情を示す表現です。これを彼は、親しい自分の女房だから用いているのです。
だが、このバッケヤロがいくら親愛な妻にたいしてとはいえ、女である以上は、やはり親愛感よりはあらあらしいひびきを与えてくることを、彼に知らせてやるべきでしょう。女というものは、(1)ちょっとしたいたわりの言葉でも、それが優しければ優しいだけ、しみじみと心に感じること、(2)女とは、過去の思い出(婚約記念日、結婚記念日、二人の誕生日)を男が考えるより以上に大切に思う存在であることなどを、折あればそっと彼に優しく教えてやってください。
始めは彼は、
「バッケヤロ、そんなこと、おかしくって……」
などと言っているかもしれません。しかし、彼は、決してその妻の言葉を忘れているのではないのです。
ぼくは保証しますが、彼は、その次の結婚記念日に自分のノミシロを倹約して、あなたに手袋の一つ、帯留の一つでもそっと買ってくるにちがいありません。もっとも、それをあなたに手渡す時、例の照れくささのあまり、「バッケヤロ」とまた言うかも知れませんが……。