谷崎賞を受けた小島信夫氏の『抱擁《ほうよう》家族』について伊藤整氏はこう言われている。
「これまで妻なるものがまともに男性作家によって書かれた小説はほとんどなかった。したがって妻を中心として組織されている家庭というものもほとんど書かれなかった。書かれていたものは、日本の家庭の中でのみあるべき妻という置きかえの可能な役職を持つ性格なしの女であり、しからざれば妻という名の娼婦だった」
伊藤氏はこういう意味で妻を中心として組織されている家庭を書いた『抱擁家族』の新しさを指摘されているが、この指摘は的確だ。
私のこの原稿は『抱擁家族』論を書くことではないのだが、しかし伊藤氏のこの批評を読みながらあらためて自分の家庭や現在の日本の家庭についていろいろ考えさせられた。
現代の家庭というものを思い浮べるとき、私は変な話だが、アンコ型の力士の取り組みを考える。技というものを持たぬアンコ型の力士はただ力まかせに相手をねじ伏せようとする。見ているとぶざまで滑稽だが、しかし家庭における夫婦というものも結局このアンコ型の力士のように毎日、相手をねじ伏せる角力《すもう》をとっているようなものではないか。『抱擁家族』の第一部にはそうした夫婦の力わざのやりきれなさ、ぶざまさ、二人の荒々しい息づかいがにじみ出ている。