夫としての力を持て。父親としての権威を回復せよという有識者の言葉が近ごろ、方々の雑誌に載っている。女房側からも近ごろの父親はふがいないという発言がある。しかし女房のものである「家庭」において、どのようにして権威を持てるのか。具体的に教えてくれる文化人はいない。みな無責任な理想論ばかりである。私は父というものが子に権威を持てるのは西部劇に出てくる父子のように、ウシの捉え方、銃の打ち方——つまり実際生活の技術を伝授できるような関係の場合だけだと思っている。そうした父としての技術を持たぬ現在の日本亭主にどうして権威など持ちえようか。それ以外の権威はすべて民主主義のおかげで子供たちがせせら笑い、否定するようなことばかりである。しかし、早いところ、何とかせねばならない。
女が家庭に体ごと結びつけるのは、木の色にあわせて体の色を変えるカメレオンになれるからである。娘は結婚式の翌日から、態度、顔色、指の動かしかたにいたるまで、もう妻づら[#「づら」に傍点]である。赤ん坊を生んだ妻はその瞬間から、もう母親に変化している。あの変貌の早さに男はとてもついていけない。男は夫や父であるよりもいつまでも男なのだが、女は女を捨てて全く女房に変り、全く母になりきることができる。そして彼女たちは自分たちがこう変れたのだから男も男をすてて全く夫になり、全く父になることを要求してくる。男にとってはそれが不可能だから、彼は家庭にあっては村八分にされていくのだ。