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ぐうたら愛情学70

时间: 2020-10-10    进入日语论坛
核心提示:雌鶏に刻を告げさせよ 三浦朱門がある随筆で私のことをほめていた。遠藤はすべてにつけて細君よりデキがわるい。それなのに、彼
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 雌鶏に刻を告げさせよ
 
 三浦朱門がある随筆で私のことをほめていた。遠藤はすべてにつけて細君よりデキがわるい。それなのに、彼の家に行くと、遠藤は威張りかえっている。あれは立派だと。三浦にこうも尊敬されると、当人の私はそれほどでもないよと微笑したくなるが、これは事実である。私が細君よりデキがわるいことも事実であり、にもかかわらず、家庭において私が威張っていることも事実だ。
 第一に私は妻のできることができない。妻は自動車の運転ができるが、私はできない。本当を言うと一緒に教習所まで習いにいったのだが、私が免許試験に失敗したのは、実は深慮遠謀があったのだ。この遠謀についてはあとで書く。
 また女房は乗馬は大学時代にやったが、私は馬が大嫌いだ。蓼科高原で駄馬に乗ったらこれが突然、暴走し土産物屋にとびこんだため私は大恥をかき、爾来、あの長い顔をみるだけで胸糞がわるくなる。しかしこれもわが深慮遠謀には大いに役立った。
 ともあれ私にできて女房にできぬのは小説をかくことと一日中、居眠りをすることぐらいであろう。にもかかわらず、私は女房に威張っている。第一に私は家事について一さい手伝わない。縦のものを横にも動かさなければ、横の物を縦にも動かさない。日曜日など、私は家族サービスなどして車に家族をのせて出かける連中のマネをしたことはない。世の亭主がみれば、私は羨ましがられるであろう。
 と言って私は明治時代という男尊女卑の時代に生れたのでもない。また万事が男性優位主義の鹿児島県の出身でもない。私は戦後、男女共学をやりだしたころ、慶応の学生であり、また女房はその慶応の仏文科で私の後輩であった。彼女の頭にも女性解放の思想ぐらい吹きこまれたに違いない。
 しかし戦後の大学生であった私はいわゆる男女同権というものに矛盾を感じていた。戦後の男女同権というのは、女が男と同じになろうという同権でこれは甚だおかしい。彼女たちの言い分は大変都合がよくできている。彼女たちは自分たちは男と同じであるから、社会的に同じ待遇にしろと言う。そのくせ、自分たちに都合が悪い時には、かよわい女性を大事にしない男は野蛮だという。
 たとえば同権ならば男と女がデートした場合、ワリカン主義でいくべきだ。にもかかわらず、喫茶店でコーヒーを一緒に飲んでも女はこちらが彼女の代金まで払うのが当り前という顔をして先に店から出ていくではないか。もしワリカンを要求すれば非近代的、非文化的男性だと軽蔑する。そのくせ、職場などでは男も女も同権だ。お茶くみはイヤだ。月給にも差別をつけるなと言うのは甚だ矛盾していると私は思う。
 大学の時、私はこの男女同権の矛盾に気がついたから男女分権論を一人、三田で主張し、同期の女子学生のヒンシュクをかった。現在、六本本の仏蘭西料理屋Rを経営しているI女史など、そのころ、私を野蛮人と言った女子学生であった。
 しかし私は今日も男女同権論者ではない。男女分権主義者である。結婚をする時も、この点を、絶対に死守すべきであると固く固く心に誓った。そのために嫁えらびには非常に頭を使ったものだ。
 まず、弟妹多い長女であること。次にオフクロが昔風の女であるような家庭の娘をもらうつもりだった。なぜなら長女というのは、幼いころから姉として弟や妹にオヤツもゆずり、オモチャも貸すように教育されているのが普通である。次女とか三女というのを嫁にすると、我儘者が多いにちがいない。嫁をもらうなら長女に限る。それにオヤジが横暴でオフクロが昔風の女の家庭に生れた娘は、自分はあんな母親みたいになりたくないと反発しながら結局は男とは自分のオヤジのようなもの、女とは母親のようなものと最後には考えてしまうものである。
 私はだから長女でオヤジが我儘でオフクロが昔風の温和な人という娘をさがした。相手は私のかかる深慮遠謀にも気づかず、知らぬが仏で結婚したのが運のつきである。
 結婚しても私は狐のように狡滑《こうかつ》であった。何年か手伝ってやるふりをして、わざと失敗してみせるのである。皿洗いを手伝ってくれと言われればウンと言い、手伝うふりをして皿を二、三枚割る。皿は惜しいがやがてこれが倍の効果になって戻ってくる。どこかに使いに行かされても、わざと忘れて戻ってくる。自動車学校に行ってもわざと落第する。これが十回、二十回と重なると女房は呆《あき》れ果て、この男にものを頼むと損害の方が多いと諦めてしまい、もう何も頼まなくなる。大掃除の時なども、手伝われると、足手まといですから遊びに行って下さいと言う。よし、じゃあ行ってやろうとこちらは悠々と出かけるわけだ。
 万事がこの手を使うから私は家では何もしないでいられる。三浦朱門はそれをみて、私のようにデキのわるい男が、なぜ家庭でああも威張っておられるのかとふしぎがり、尊敬したわけである。
 世の軟弱な亭主諸君よ。君たちは一週間クタクタに働かされているのだ。日曜まで車の運転をして家族サービスなどする必要はないではないか。もともと自動車免許などとってデキのいい所をみせるからそういう悲惨な結果になったのだ。今からでも遅くない。女房の前ではデキのわるい亭主を装え。そうすれば私のように女房の運転する車にふんぞりかえっていられるのだ。今からでも遅くない。雌鶏《めんどり》に刻《とき》を告げさせ、君は眠っていることだ。これが君を幸せにする第一歩である。
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