こんな話からはじめることを許してください。
昨日、会合がありました。ぼくが数日後、外国に行くというので友人たちが新橋の中華料理屋で御馳走してくれたのです。
外は晩秋の霧雨、少し寒かった。だが部屋のなかは暖かく老酒《ラオチユウ》がうまかった。もう幾日かで日本のたべものとも友人や仲間たちともしばらくお別れだと思うと流石《さすが》に感傷的な気持もしないではない。盃をなめながらぼくは一人、ぼんやり物思いにふけっていたのです。
と、その時……
周囲の友人たちがしきりに「女房が、女房が……」と話しあっているのに気がついた。思わずぼくは微笑したというものです。というのは三十代の男が十人あつまると必ずうちあけあう例の愚痴話を彼等もやっていたからです。
その愚痴話とは——世の奥様、お嬢さまには申し訳ないが女性にたいする男としての不満、女房についての夫としての不平なのである。もっともその席上に集った連中はめったにこうした愚痴はこぼさぬ人々らしいのですが晩秋の夜のさみしさが彼等の心を弱くしたというのでしょう。
「女房という奴あ……なんで……あんなにムッチリ肥るんだろうねえ」
責任をとってもらうためにハッキリ実名をあげますと、こう呟いたのは劇作家の矢代静一という人です。彼は日本の夫婦のうち大半の夫はみじめな鶏のように痩せこけているのに、女というものは結婚後、なにを食わせてもムッチリ肥っていくことがいまいましい[#「いまいましい」に傍点]と確かに言いました。
矢代さんの奥さんはむかし女優をやっていられたほっそりとした美しい人。だから矢代君までがそう述べるなら、うちの女房などはムッチリどころかブクブクにちがいないと他の連中は溜息をついたものでした。
「俺たちの留守中にぬすみ食いをしているんだろうか」と一人の男が言いました。
「いやいや、そんなことはない」
これには一同も全く同感だった。家計についてはあれほど献身的でシワン坊の女房が日に三度の食事以外、別に一食ぬすみ食いをしている筈はないという信頼心だけは流石《さすが》彼等も自分の細君にはもっているようです。
「あのね。女房族というのは肉体的にぼくら男性より下等ですよ」
この言葉を言ったのは絶対にぼくではない。戦中派の発言で注目された評論家の村上兵衛という人です。そういえばこの人も一人の夫として思いなしか痩せて蒼白な顔をしていたので皆はふかくふかく肯きました。
「なぜ」
「女房というのは出産の体力を保持するため、男性よりも体が強健にできあがっているのです。ごらんなさい。戦後の栄養失調時代にぼくら男あバタバタ死にましたのに女性は一人も死なんかったでしょうが……」村上さんはひくい声で説明してくれました。「女房族とはアミノ酸グリコーゲンを男性より数倍保持しとるのだそうです」
「ほう……アミノ酸、グリコーゲン」
「このアミノ酸グリコーゲンが体にあるため、彼女たちは飯のようなデンプン質を食うとブクブク肥るようにできている」
「なるほど、なるほど」
「彼女たちがイモを好んで食べるのはそのためです。しかし男性にはイモや飯をくっても肥るだけの底力がないのだ……」それから村上さんは一段と声をひそめて教えてくれました。「だから……女房なんかには何を食わしてもいいんだ。要するにあいつ等は何を食うても肥るようにできあがっとるんだ!」
ぼくはその叩きつけるような言葉をきいた時、びっくらしました。そんなことを言うのはいかに相手が女房族とはいえアンマリだと思ったからです。
だが他の連中たちはひどく感心したのか、
「そういえば、うちの家内なぞいつも頭痛がする、腰がいたいと不平ばかし言っているが、ありゃウソだったのか」
「ウソじゃないでしょうが、これからは特に同情する必要はないでしょうね。女の方が男より体がもともと頑丈なんだから」
「本当に彼女たちは昼寝一つさえしないからな。日曜日ぼくが昼寝しているとすごく怠け者のように言うんです。自分たちの体力でぼくらを計られたらかなわんなあ」