わからないと言えば、結婚前、先輩の柴田錬三郎氏の所に伺ったことがありました。
「女房など処理するのはひどく簡単なことじゃないでしょうか」
「いや、そうではない」ひくい声で氏は首をふりながら、「お前にもやがてわかるであろう」
「でもぼくの結婚する娘はしごくギョしやすい女です。今まで幾度もダマして小遣銭をまきあげてやりましたが、すぐ、ひっかかりました」
「彼女もやがて安達原の鬼婆のような女になるであろう」
「そうかなア、すると女房とは一体どんなものです」
すると柴田氏は変なことを言いました。お前は正月に餅を十個以上食ったことがあるかと訊ねるのです。
「あの腹にもたれたような重苦しい感じ……あれが女房というもんだ」
この先輩の説明を当時あさはかだったぼくはフフンのフン、先輩はそうかもしれないがこちとらはうまく処理してやる、腹にもたれるのが女房なら消化剤を考えだすことだと勝手な熱をあげていました。だが今日それが愚かな空想だったことをぼくは知っています。
世の中に恐妻という言葉がある。あれは身勝手な夫たちが細君を懐柔し丸めこむために作った言葉だと言われている。自分たちはいい気なことをして、そのくせ表面は女房にペコペコしてみせる策戦だというのです。
「わかっているわよ。男の人たちの狡猾な手。恐妻なんかってウマいことを言ってサ」
ぼくはたびたびそのような言葉を知りあいの奥さんたちからもききました。そしてむかしはぼくも恐妻などとは中年のいい気な男たちのあみだした策戦だろうとしか考えていなかったのです。
だが今はちがう。今はその考えを改めている。夫というものは真実、女房がこわいのです。