「うまい考えがあるよ。パリにはね、若い亭主たちのために女房操縦術を教えている先生がいるんだ」
急に熱心な口調でしゃべりはじめた彼の説明によると、パリのエトワールのそばに、女房をうまくあやつる方法を教える講座があるというのです。なんでもその先生というのは、離婚回数八回という経歴の持主で、自分の過去の苦い経験や苦労から、
「女房、この未知なるもの」
という本を書き、無知で結婚に憬れるバカな男や、すでに、苦い目にあっている亭主たちのために、コンセツ丁寧に、女房をあやつり、懐柔し、まるめこむ秘訣を教授しているというのである。
その先生ならば、きっとお前のふかい懐疑にも、明確な解答を与えてくれるだろうと、P君は手をもみながら呟きました。
「住所がわかるか」
「うん。俺、たしかに新聞でみたよ」
ゴソゴソ、ガサガサ、彼は古新聞をひろげて、やっとそのアドレスをみつけてくれました。
"44 rue Hamelin"
外に出ると、雨がふっていた。雨の中をバスにのって、教えられた住所まで出かけてみました。パン屋や八百屋にはさまれた黒ずんだ建物の入口に、なるほど、
「ムッシュー・ルリイ家庭学教授」
銅板のはり札が出ている。ルリイ先生は三階に住んでいると、門番が指さして、
「結婚するのかね、あんた」
「いや、もう絶対にしたくない男ですわ」
ぼくは笑いながら答えました。
「絶対にね、死んでもね」
ルリイ先生の扉のベルを押すと、奥から足音がきこえてきました。扉があいて、いやらしいほど黄ばんだ銀髪の老人が、ヒョコ、ヒョコとあらわれました。
「ムッシュー」
すこし卑猥な微笑をうかべて人をみあげる。
「私は日本から……」
「ヒ、ヒ、ヒ、ヒ」
この老人の笑声は奇妙でした。その肉のたるんだ顔は、彼が八回も離婚したという奇妙な経験を暗示しているようでした。