このルリイという老人の部屋は、アパートの中庭に面していました。テーブルの上には、食べかけのパンのかけらや厚い猥らな先生の唇の跡のついたコップがおかれ、床には古新聞や裸体の女の表紙のついた雑誌が散乱している。
「この間、日本人が尋ねてきたね。ムッシュー、コノという政治を勉強している日本人」
「コノ? 聞いたことねえですなあ」
パリには今、六百人ほども日本人がいるそうです。政治を勉強しているコノ君をもちろんぼくが知る筈はない。ひょっとすると、この間、パリにきた自由党の河野一郎氏ではないかと思いましたが、政界の実力者と自称する氏が、家庭における非実力者として、こんな老人の家にくる筈はないでしょう。
断っておきますが、ルリイ先生の個人教授(?)は一回千フラン(千円)もする。乏しい懐中からシブシブぼくは三回分の金を前払いした。これは読者も編集部も御記憶ねがいたい。
今日の講義は「女、この不潔なるもの」という題目で先生の話をたっぷり三十分、伺うことでした。
「なぜ、この話を前もってせねばならんか」老人はポキポキ指をならして説明しました。「多くの若い青年のロマンチシズム、あるいは若い亭主のセンチメンタリズムは、自分の恋人や妻になる女をあまりに美化しすぎるからである。結婚後の第一幻滅は自分の女房が——いや、女性が、男性と同じように肉体的動物であることを発見した瞬間である」