これは既にぼくがのべましたように、女房とはどんな些細な過去の出来事でも決して忘れていない。そして、今日、起ったある出来事について諸君に恨みごとを述べる時は、彼女は二年前、三年前、四年前のカズカズの出来事に遡って愚痴をこぼすということです。「今日だけじゃないわよ。あんたはきっとお忘れでしょうけど、一年前の一月一日にだって、おなじことをやったじゃないの」
男たちは人がよく善良ですから、そんな一年前、二年前のことをすっかり忘れている。忘れていないまでも、すっかり清算がついたと思っている。時効にかかった筈の古証文をもちだされたって、支払う必要はないと考えている。だがこれは男の論理というものです。女房は決して、「水に流す」ということはない。むかしの出来事、むかしのケンカ、むかしの侮辱、みんなあの雀のように、小さな頭の裏にシツコク陰惨に叩きこんでいるのだ。そして牛が一度食べた食物を胃袋から出して味わうように、彼女たちも過去をゲップと一緒に口の中に戻して噛みしめ、イヤらしい快感を味わっているのであります。何と怖るべきことではないか。